「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」の矢部宏治・「戦後史の正体」の孫粼享対談

紫のクジャクアスターが咲いています。
紫色というのは不思議な色ですね。
明るい色でもなければ暗い色でもなく…
深い色なんでしょうね。
辺り一面が紫に染まってるようです。
◎先日矢部宏冶著「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」を読んで考えた事があります。一つは憲法の事、もう一つは九条のこと。
憲法については、「押しつけ憲法」論というのがあります。敗戦直後の占領下、GHQによる押しつけ憲法だから日本人による日本のための憲法に変えたいというのは普通に考えればマトモです。ところが、平和憲法は押しつけだから…と「押し付け」が九条とセットになると、九条を守りたい人々(私も含めて)の間では、いや「押し付け」ではない、五日市憲法の精神が汲み取られ、先人たちの民主主義や人権意識をGHQが取り入れたのであるから日本人が作ったと言えると反論します。

何年か前、東京の長男が帰省して、小林よしのり戦争論をすすめられた時、この話になったことがあります。あの頃私は、若い世代が押しつけと言うなら、もう一度選び直せばいいのだと思ったことがありました。そうでないと日本の平和主義も押しつけだということになる。本当に国民投票で九条を無くした方が良いと思う日本人が多数であるなら、私は少数者として不戦の日本を諦めるしかないと思ったのです。
憲法が与えられた憲法であるということ、自衛隊の存在が憲法九条とは明らかな矛盾であることは認めなければならない。こういう状態をそのままにしておくことは、大人が子どもに対して説明できない”大きな偽り”をかかえていることですので、今の国家や社会の在り方の根本が虚構、フィクションの上でしかない、こんなことを続けていて良いわけがないと、その時考えたことを思い出しました。
それから、20年ほど経って、日本の民主主義は危機的状況です。NHKは政権寄りの人事を押し付けられ、政府が右といえば右という会長が居座り続けて辞めさせることもかないません。戦時下の治安維持法並みの特定秘密保護法があり、さっそく京都大学では公安が学生の動向を探りに勝手に学内に入り込んでいます(北大の宮澤事件を思い出します)。そういう状況のなかで、国民投票そのものが国民の意見を正しく反映できるのか…本当に難しい時代になってきました。憲法についての記事をよく参考にさせていただいている「小海キリスト教会牧師所感」さんも、この矢部さんの本の憲法について”正論なんだけど…”と書いておられます。コチラで:http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20141104/p2
◎ところで、その「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」の著者・矢部宏冶氏と「戦後史の正体」の著者・孫崎氏が対談をしています。久しぶりに「みんな楽しくHappy♡がいい♪ 2011年3月11日。その後私は変わりました。」さんからです。11月4日のタイトルは、<「日本は戦後処理がまだきちんと終わっていない」10/08 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 矢部宏治・孫崎享対談(文字起こし)>。

◎本の内容をタップリ語っておられますので、本がまだの方にお勧めです。
出だし部分の途中から少しコピーです。

矢部:
で、戦後70年経つのに、首都圏の上空に巨大な米軍の管理区域があって、
いま、沖縄の辺野古では日本の税金で新しい外国軍の基地を作ろうとしている。
更にもう一つ言うと、もう福島では児童を中心に明らかな健康被害が、もう出ていますよね。
それをわかっているのに、見て見ぬ振りをして、なんの措置もとらないで、そのまま住民をまた帰還させようとしている。
どうしてそういうことが起こるのか? それをとにかく、ギリギリまで追い詰めていってみようと思ったんです。



米軍の基地を写したものなんですけど、丘の上から見ていると、普天間基地から飛び立った飛行機がブンブンブンブン島の上を飛び回っているんです。陸上、海上関係なく飛び回っているんですけれども、そして低空飛行をしているんですけど、唯一低空飛行をしないところがあるわけです。知っていますか?


孫崎:知らない。

矢部:米軍の住宅の上は飛ばないんです。絶対に飛ばないです。避けて飛ぶ。
これが航跡図なんですけれども、この全然何も飛んでいないところが米軍の住宅があるところですね。
同じ島の中で、日本人の住宅の上はどれだけ危険な飛行をしてもいい。
でも米軍の住宅の上はしてはいけないと。(↑紺色の囲みの中のラインが通っていないところ)
なんでこんなことが許されているのか?ということを、ま、でも結局それは法的な問題なので、
主に法的な構造という面からとことん調べていったというのがこの本です。
最終的には国連憲章までいって。
一言で言うと「日本は戦後処理がまだきちんと終わっていない」ということになるんですけど。

◎戦後処理についてドイツとの比較がなかなか考えさせられます。
国連の敵国条項に当てはまるのはドイツと日本だったのに、ドイツはベルリンの壁が壊れたのを切っ掛けに長年の謙虚で地道な努力の甲斐あって戦後処理が完成、以降、敵国条項には該当しなくなり、残るのは日本のみということに。この辺りも説得力があります。本を読んでみてください。


普通の「法律」よりも日米安保条約とか地位協定とか「条約」はもともと強いんですね、国が結んだものだから。ただ、「条約」よりも本当は「憲法」の方が強くて、基地を置いておくことによって人権を侵害されたり生命の危険があったら、ちゃんと「憲法」が機能してそれをやめさせなければいけないわけですけれども、この最高裁判決の結果、「憲法」の部分が消えるわけですね。<★砂川裁判の最高裁判決のこと>
憲法」の部分が消えることによって、「アメリカとの条約は日本の国内法よりも全て上位」という法体系が完成するわけです

これを「統治行為論」と言って、これが国民の身体財産の危険というような人権に対して「統治行為論」を適用したらこれはもう、三権分立じゃないですよね

最高裁で1959年12月16日に「日米安保条約ごとき(略)高度な政治性を有するものが、違憲であるか否かの法的判断は、(略)裁判所の司法審査権の範囲外にある」とされ、「日本国憲法の法体系よりも安保法体系の方が上で、日米合同委員会で決めたことは日本の法的なシステムよりも上位である、という事が固定化」された。
◎「Happy…」さんの書き起こし全文はコチラで:http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3944.html