菅原文太さん、流行語大賞、そしてプロフェッショナル庭師スミザー氏

◎先週の金曜ロードショー高倉健さんの「幸せの黄色いハンカチ」を見たところでした。その同じ日に81歳の菅原文太さんが亡くなられたことを昨日知りました。昭和はいっそう遠くなりにけりの感が・・・
菅原さんといえば、映画スターというより(考えてみれば若いころ映画は松竹か東宝、たまに大映があったか? 日活、東映は見たことが無かったです。洋画かぶれ気味でしたし…)、私にとっては大河ドラマの「獅子の時代」の会津藩士です。それまでの大河とは違って敗者の側からのドラマで脚本は山田太一だったとか(Wikipediaより):


会津藩の下級武士である平沼銑次菅原文太、薩摩の郷士の苅谷嘉顕に加藤剛が起用された。勝者である薩摩藩の嘉顕と、敗者である会津藩の銑次がそれぞれの生き方を貫いて幕末・明治維新を生き抜く様を描いた。


それまでの大河ドラマとは異なり山田太一によるオリジナル脚本であり、しかも宇崎竜童(ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド)によるロック風のテーマ音楽が使用されるという、極めて斬新な作品だった。最高視聴率26.7%、平均視聴率21.0%と当時の大河ドラマの水準としては高い視聴率ではなかったが、パリ万国博覧会、樺戸監獄、秩父事件自由民権運動など、これまで取り上げられる機会の少なかった出来事が描かれた。


それまでの大河ドラマが中央政権の近くにいる有名武将など傑出した英雄たちのドラマだったのに対し、本作は地方に生きる草の根の庶民(に近い層)にスポットライトが当てられており、歴史に翻弄された人々の裏面史と言える内容になっている。特に、明治維新で“賊軍”の汚名を着た会津藩士の運命を描いている点で、旧来の英雄譚とは明確に一線を画しており、後の『琉球の風』や『炎立つ』、『八重の桜』の先駆と言えるものだった


映画『仁義なき戦い』シリーズや『トラック野郎』シリーズをヒットさせ、当時の日本映画を代表する俳優の一人であった菅原が、1年拘束される大河ドラマに出演することは、東映にとって興行の柱の一つを失うことであったが、菅原にとっては新たなジャンルに挑戦する作品となった。また鶴田浩二はじめ、山田のドラマ『男たちの旅路』と共通の出演者もいた。

◎そして、3・11以後は多分このドラマ出演の延長線上、もちろん宮城出身ということも無縁ではなかったろうと思いますが、NHKの「光は辺境から…自由民権 東北から始まる」(蛙ブログ2012年1月28日〜)のガイド役です。そして、東京都知事選と、今朝知ったことですが、沖縄でも翁長氏の応援に駆け付けておられたようです。「みんな楽しくHappy♡がいい♪2011年3月11日。その後私は変わりました」さんの<菅原文太「これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!」11/1沖縄(文字起こし)>からです:全文はコチラで:http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3988.html


プロでない私が言うんだから
あてになるのかならないのか分かりませんけど、
政治の役割はふたつあります


一つは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。


もう一つは、これが最も大事です。 絶対に戦争をしないこと!


私は小学校の頃、戦国少年でした。
小学校、なんでゲートルを巻いて、戦闘帽をかぶって竹槍を持たされたのか?
今振り返ると本当に、笑止千万です。
もう二度とああいう経験は子どもたちに、子どもたちだけじゃない、
大学生も、雨のなかを、大勢の将来大事な大学生が戦地へ運ばれて、半数が帰ってこなかった。

◎今朝の日経にも追悼の記事が掲載されました。その中から奥様の言葉を:


小さな種をまいて去りました
妻 菅原文子さんの話
 7年前にぼうこうがんを発症以して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち「明日に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」の心境で日々をすごしてきたと察しております。
 「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種をまいて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、ともに声をあげることでした。すでに祖霊の一人となった今も、生者と共にあって、これらを願い続けているだろうと思います
 恩義ある方々に、何の別れも継げずに旅立ちましたことを、ここにおわび申し上げます。


◎今年の流行語大賞が決まりました。「るりとうわた」さんのブログからです。
なるほど、二つ、くっつけて読めばいいんだ!!

集団的自衛権」は国家権力のトップにいるものが、自ら憲法解釈を変更しての暴挙ですよね・・・

それこそ、「ダメよ〜ダメダメ、集団的自衛権と、セットなら国民に、通じる内容です。(笑)

それにもうひとつ、「ダメよ〜ダメダメ、秘密保護法」と。

こんな忙しい師走に、700億円も使って選挙をする自民党に、ダメよ〜ダメダメの鉄鎚を下したいですね。

でも、どこに入れて良いか??
(引用元:http://d.hatena.ne.jp/sasameyuki47/20141201/p1


◎昨夜のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」は園芸師、こんな言葉あるのかな? ガーデンデザイナーのポール・スミザー氏でした。メインタイトルは「大事なものは、足元にある」。
2003年宝塚ファミリーランドが閉園後、英国風庭園シーズンズを含む宝塚のガーデンフィールズが昨年の12月には閉園になっています。スミザー氏のデザインした庭園のあとの様子が映っていましたが、全ての植物が取り払われて無残でした。あの美しい庭園が・・・悔しいでしょう。
本を読んで影響を受けた人が二人います。一人は中津燎子さん、もう一人はこのポール・スミザーさん。読んでというより写真を見てといった方が。彼のデザインした庭には目立った花は無くてただ色合いや形の違う草や葉が美しく、どれも昔見たことがある植物でした。それがイギリスの庭師によって・・・というのも驚きでした。万博の年生まれで長男と同い年というのも一寸ビックリでしたが。因みに、我が家の庭はスミザーさんには程遠く、考え方だけ取り入れて・・・ですが。
◎再放送が金曜日(木曜の深夜)にあるそうです。詳しくはコチラで:http://www.nhk.or.jp/professional/2014/1201/index.html

「居場所があれば、生きていける」「大事なものは、足元にある」「壊すのも人間、守るのも人間」・・・来日25年、流ちょうな日本語で語られる言葉も素敵です。文太さんは機械に頼らない無農薬有機農法でしたが、スミザー氏も無農薬の庭師です。人間が手を加えないで自然に生きていく力を引き出すやり方です。
PS.◎「もうすぐ北風が強くなる」さんも「菅原文太インタビュー」で追悼記事です。<「異端者でいいじゃないか」菅原文太さんが国民に送ったエール  12/2  日刊ゲンダイ>から、引用です:

日本は高度成長に入る頃から、アメリカに「農薬を買え」「化学肥料を入れろ」と突き上げられ、ハイハイと従ってきた。
農協が「大丈夫、安全だ」と農民にどんどん売って、60年代には、ヨーロッパの6倍、アメリカの7倍の農薬を農地に投入してきた。
今や日本の有機栽培率は、たったの0・16%。中国以下なんて情けないよな。

 ■農業も原発アメリカの実験場だ 
 農薬の怖さはそれこそ放射能とおんなじさ。

 人体への影響は目に見えない。農民は危ないから子どもたちを農地に入れないよ。
 儲からない上に危険だしじゃあ、後継者不足も当たり前だ。
 原発に農薬にと、日本はアメリカの実験場にされてきたんだ。

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