ツボミと道徳科と「翼賛体制の構築に抗する 言論人、報道人、表現者の声明」

庭で見つけたクリスマスローズのツボミです。

二ゲラの種をまいたその間からチューリップの芽も出ています。

◎少し前の4日(水)の夜7時のNHKニュースで知ったのですが、今までの「道徳の時間」が、格上げされて「道徳科」というのが新たにできるそうです。キャスター氏の解説では、一応、狙いは、いじめ対策なんだそうです。何を教えるかというと、自分とは違う意見の人をのけ者にしないで、その人の意見をよく聞くことだとか。なんだ、まず安倍さんに道徳科の授業が必要なんじゃない…と聞いていて思いましたが、いじめ問題を考える会の女性が、一つの考え方を強制しないことが”いじめ”を生まない第一ですと話していました。この件、余り取り上げられていないのですが、「真実を探すブログ」さんで見つけました。
●<【これは酷い】文部科学省が低学年の教育に「わが国への愛着」を盛り込む!道徳を「特別な教科」と位置付け!これからは道徳科に! >(http://saigaijyouhou.com/blog-entry-5484.html
このブログのコメント欄で見つけたカルタです。


社民党の安倍流「戦争の出来る国作りカルタ」


安倍流「戦争の出来る国作りカルタ」


★つかの間の景気煽って人気取り(安倍晋三

★お隣をコワイコワイと敵にする(安倍晋三

★育つんだお国のために氏ねる人!(下村博文

★見るな!聞くな!口出すな!お前らみんなテロリスト(石破茂

★積極的平和主義って武器を売ること?(安倍晋三

★知らぬ間に九条変えるナチスまね(麻生太郎

◎9日(月)、「翼賛体制の構築に抗する 言論人、報道人、表現者の声明」が出され記者会見が開かれました。

人質事件後「あしき流れ」 政権批判自粛にノー


東京新聞 2015年2月10日 朝刊


政権批判を自粛する動きに警鐘を鳴らす声明を発表する古賀茂明さん(右から3人目)ら=9日、東京・永田町の参院議員会館で(小平哲章撮影)


 過激派「イスラム国」による日本人人質事件が起きてから、政権批判を自粛する雰囲気がマスコミなどに広がっているとして、ジャーナリストや作家らが九日、「あしき流れをせき止め、批判すべきことは書く」との声明を発表した。


 ジャーナリストの今井一さんらがまとめ、表現に携わる約千二百人、一般の約千五百人が賛同した。音楽家坂本龍一さん、作家の平野啓一郎さん、馳星周さんら著名人も多い。今井さんは、国会で政府の事件対応を野党が追及したニュースの放映時間が一部を除き極めて短かったと述べた。


 声明は、人質事件で「政権批判を自粛する空気が国会議員、マスメディアから日本社会まで支配しつつある」と指摘。「非常時に政権批判を自粛すべきだという理屈を認めれば、あらゆる非常時に批判できなくなる。結果的に翼賛体制の構築に寄与することになる」と警鐘を鳴らしている。


 九日は中心メンバーの七人が会見。慶応大の小林節名誉教授(憲法学)は「今回の事件で安倍晋三首相を批判するとヒステリックな反応が出る。病的で心配している」と語った。元経済産業官僚の古賀茂明さんは「自粛が広がると、国民に正しい情報が行き渡らなくなる。その先は、選挙による独裁政権の誕生になる」と危機感をあらわにした。


◎ 「賛同人には古賀氏の他、音楽家坂本龍一氏、憲法学者小林節氏、思想家の内田樹氏、映画監督の是枝裕和氏、パロディー作家のマッド・アマノ氏、作家の平野啓一郎氏、パーソナリティー吉田照美氏、劇作家の平田オリザ氏、吉本芸人のおしどりマコ氏ら多数の有名人が集まった。」「古賀氏は改めてこう言った。『これまでもマスコミの自粛、萎縮というものを感じていましたが、いまは相当な危機を感じています。翼賛体制にはホップ、ステップ、ジャンプがあって、ホップで権力側は報道にやんわり文句を言う。そうなると現場は面倒になって、ステップでメディアは自ら権力側に迎合していく。そうした報道により、ジャンプで、選挙による独裁体制が確立する。今はステップの段階に来ています』」(日刊ゲンダイ
◎全文です:(引用元:http://no-nukes.blog.jp/archives/8053086.html


2015/02/10

翼賛体制の構築に抗する 言論人、報道人、表現者の声明

自粛という名の翼賛体制構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」


 私たちは、[ISIL]と称する組織・集団による卑劣極まりない邦人人質惨殺事件を
強く非難し、抗議するものである。また、この憎しみと暴力の連鎖の帰結として起き
た事件が、さらなる憎しみや暴力の引き金となることを恐れている。


 同時に、事件発生以来、現政権の施策・行動を批判することを自粛する空気が国会
議員、マスメディアから日本社会までをも支配しつつあることに、重大な危惧を覚え
ざるを得ない。


「人命尊重を第一に考えるなら、政権の足を引っ張るような行為はしてはならない」
「いま政権を批判すれば、テロリストを利するだけ」
「このような非常時には国民一丸となって政権を支えるべき」

 
そのような理屈で、政権批判を非難する声も聞こえる。
 だが、こうした理屈には重大な問題が潜んでいる。



 まず、実際の日本政府の行動や施策が、必ずしも人質の解放に寄与するものとは限らず、人質の命を危うくすることすらあり得るということだ。であるならば、政府の行動や施策は、主権者や国会議員(立法府)やマスメディアによって常に監視・精査・検証され、批判されるべき事があれば批判されるのは当然の事であろう。


 また、「非常時」であることを理由に政権批判を自粛すべきだという理屈を認めてしまうなら、原発事故や大震災などを含めあらゆる「非常時」に政権批判をすることができなくなってしまう。たとえば、日本が他国と交戦状態に入ったときなどにも、「今、政権を批判すれば、敵を利するだけ」「非常時には国民一丸となって政権を支えるべき」という理屈を認めざるを得なくなり、結果的に「翼賛体制」の構築に寄与することになるだろう


 しかし、そうなってしまっては、他国を侵略し日本を焼け野原にした戦時体制とまったく同じではないか?
70数年前もこうして「物言えぬ空気」が作られ、私たちの国は破滅へ向かったのではなかったか? 


実際、テレビで政権批判をすると、発言者や局に対してネットなどを通じて「糾弾」の動きが起こり、現場の人々に圧力がかかっている。


 問題なのは、政権批判を自粛ないし非難する人々に、自らがすでに「翼賛体制」の一部になりつつあるとの自覚が薄いようにみえることである。彼らは自らの行動を「常識的」で「大人」の対応だと信じているようだが、本当にそうであろうか? 私たちは、今こそ想像力を働かせ、歴史を振り返り、過去と未来に照らし合わせて自らの行動を検証し直す必要があるのではないだろうか?



 日本国憲法第21条には、次のように記されている。
 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」

 日本国憲法第12条には、次のようにも記されている。
 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」


 私たちは、この日本国憲法の精神を支持し尊重する。そしてこの精神は、「非常時」であるときにこそ、手厚く守られ尊重されなければならないと考えている。


 なぜなら「非常時」にこそ、問題の解決のためには、様々な発想や見方、考え方が必要とされるからである。

 私たち言論・表現活動に携わる者は、政権批判の「自粛」という悪しき流れに身をゆだねず、この流れを堰き止めようと考える。誰が、どの党が政権を担おうと、自身の良心にのみ従い、批判すべきだと感じ、考えることがあれば、今後も、臆さずに書き、話し、描くことを宣言する。


2015年2月9日

蕾の写真は赤白斑の椿とシャクナゲ(石楠花)。固い芽は、上から、スノーホワイトオオデマリアジサイ(紫陽花)。