翁長沖縄県知事、菅官房長官との初会談での冒頭発言全文


今日の日経新聞の一面、トップニュースではありませんが二つの大事なニュースが。
◎一つは経産省が発表した2030年時点の望ましい電源構成「ベストミックス」について。原発については、「新設しないで40年廃炉を守れば比率は15%程度に。安全審査に合格すれば最長20年運転延長可能。経産省ではこれで原発比率21〜22%まで増やせるとみている」。40年を60年に延長して安全だと言えるのか。再び『アブナイ安全神話』に未来を賭けるアブナイ日本に逆戻りとはならないのか・・・。

◎もう一つは、5日に行われた菅官房長官と翁長沖縄県知事との初会談についてです。(写真の記事は日経の2面より)

ニュースや新聞記事で断片的に伝えられる翁長氏の言葉や、「原則論」とか「平行線」という評価については、この翁長氏の全文を読んでみると、一寸違うのではないかと思います。翁長氏の言葉に圧倒されます。
さすが”オール沖縄”、”イデオロギーよりアイデンティティー”のスローガンで10万票の差をつけて選ばれた知事さんだけのことはある。政治家って、こんなふうに戦後70年の歴史と県民の思いを背負って代弁してくれる人のことだと思います。
沖縄タイムスに全文が紹介されています:http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=110519 (菅官房長官の言葉は実際の順序とは逆に、翁長氏の後に紹介されています)
◎菅官房長官の発言内容は、「政府とすればぜひこの負担軽減策、危険除去、日米同盟のまさに抑止力の維持、そうしたことを考えた時にこの辺野古移設はぜひ進めさせていただきたい」という言葉に尽きると思います。翁長氏は、それぞれについて懇切丁寧に反論しています。


翁長知事と菅官房長官の会談 冒頭発言の全文



(菅官房長官との会談に臨む翁長雄志知事の車に声援を送る抗議集会参加者=5日午前9時10分、那覇市泉崎)



翁長雄志知事



 菅義偉内閣官房長官、お忙しい中をこのように時間を割いていただきまして意見の交換の場を作って頂きましたことに感謝を申し上げたい。


 いま、官房長官から話がありましたが、沖縄は全国の面積のたった0・6%に74%の米軍専用施設が置かれ、まさしく戦後70年間、日本の安全保障を支えてきた自負もありますし、無念さもあることはあるんですよね。


 そういう中で、官房長官の方からそういったことに対して大変、ご理解がある言葉をもらったわけではありますが、そういうことでありましたら去年の暮れ、今年の初めと、どんなにお忙しかったか分かりませんが、こういった形でお話をさせていただいて、その中から物事を一つ一つ進めるということがありましたら、県民の方も理解はもう少し深くなったと思うんですね


 私は日米安保体制が重要だというのは、私の政治の経歴から言っても十二分に理解しております。しかしながら日本の安全保障を日本国民全体で負担をするという気構えがなければ、いま尖閣の話もされましたけれど、たった一県の沖縄県に多くの米軍施設を負担させておいて、日本の国を守るんだと言っても、私はよその国から見ると、その覚悟が大変、どうだろうかと思います。


 ですから日本国民全体で負担をする中に日本の安全保障、日米安保体制、日米同盟というようなものをしっかりやっていただきたいというのが私の気持ちであります。


 オスプレイなども、本土の方で訓練をするという話もありましたけれど、残念ながら基地を、基幹基地を本土に持っていくという話がないもんですから、いずれ訓練をしてみんな沖縄に戻ってくるんじゃないかというそういう危惧(きぐ)は今日まで70年間の歴史からすると十二分に感じられることなんですね。不安がある。



 そして、どんなに申し上げても米軍の運用に自分たちは口は挟めないというような形で物事が終わってしまいますので日米地位協定の改定も環境問題もさることながら、抜本的な意味合いでやっていただかないと私は沖縄の危惧するようなものはなかなか日米地位協定の中で解決しにくいと思っています。


 私は今日まで沖縄県が自ら基地は提供したことはないんだということを強調しておきたいと思います。


 普天間飛行場もそれ以外の取り沙汰される飛行場、基地も、全部戦争が終わって沖縄県民が収容所に入れられて(地元に)いない中で、あるいはいるところは銃剣とブルドーザーで、いないところは普天間飛行場も含めて基地に変わったんですね。私たちの思いとはまったく別に全て強制接収をされたわけであります


 自ら奪っておいてですね、県民に大変な苦しみを今日まで与えて、今や世界一危険だから、普天間危険だから大変だという話になって、その危険性の除去のために沖縄が負担しろ、と。お前たち代替案は持っているのか、日本の安全保障はどう考えているんだ、と。沖縄県のことも考えているのか、というこういった話がされること自体が日本の国の政治の堕落ではないかと思っております


 日本の国の品格という意味でも、世界から見てもおかしいのではないかなと思っておりまして、この70年間という期間の中で、どれくらいの基地の解決に向けて頑張ってこられたかということの検証を含めて、そのスピードからいうと、責任はどうなるのか、これもなかなか見えてこないと思っています。


 一昨年でしたか、サンフランシスコ講和条約の発効の時にお祝いの式典がございました。日本の独立を祝うんだ、若者に夢と希望を与えるんだという話がありましたけれど、沖縄にとっては日本と切り離された悲しい日でありまして、そういった思いがある中で万歳三唱を聞いたりすると、本当に沖縄に対する思いはないのではないかなと率直に思いますね。 


 27年間、サンフランシスコ講和条約で日本の独立と引き換えに、米軍の軍政下に差し出されて、その間、27年の間に日本は高度経済成長を謳歌(おうか)した。私たちはその中で、米軍との過酷な自治権獲得運動をやってまいりました。想像を絶するようなものでした。官房長官と私は法政大学で一緒でありますけれど、私は22歳までパスポートを持って、ドルで送金を受けて、パスポートで日本に帰ったもんですよ。そういったものを思い浮かべると、あの27年間、沖縄が支えたものは何だったのかなと大変思い出されます 


 官房長官「粛々」という言葉を何回も使われるんですよね。僕からすると問答無用という姿勢が大変埋め立て工事に関して、感じられて、その突き進む姿というのはサンフランシスコ講和条約で米軍の軍政下に置かれた沖縄、そしてその時の最高の権力者がキャラウェー高等弁務官だったが、その弁務官が沖縄の自治は神話であると言った



 私たちの自治権獲得運動に対して、そのような言葉でキャラウェー高等弁務官がおっしゃって、なかなか物事は進みませんでしたけど、いま官房長官が「粛々と」という言葉をしょっちゅう全国放送で出て参りますと、なんとなくキャラウェー高等弁務官の姿が思い出されて、重なり合わすような、そんな感じがしまして、私たちのこの70年間は何だったのかなというようなことを率直に思っております。
 

 プライス勧告と言いまして、27年間の苦しい中でも強制接収された土地をさらにプライスさんという方がおいでになって、強制買い上げをしようとした。とっても貧しい時期でしたから、県民は喉から手が出るほどお金が欲しかったと思うんですけどみんなで力を合わせてプライス勧告を阻止したんですですから、いま私たちは自分たちの手の中に基地が残っているんですね。こういった自治権獲得の歴史を私は「粛々」という言葉には、決して脅かされない、このように思っております。
 

 上から目線の「粛々」という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していくのではないかとこのように思っております。


 ですから私は辺野古の新基地は絶対に建設することはできないという確信を持っております


 こういった県民のパワーというものは、私たちの誇りと自信、祖先に対する思い、将来の子や孫に対する思いというものが全部重なっていますので、私たち一人一人の生きざまになってまいりますから、こういう形で粛々と進められるようなものがありましたら、私はこれは絶対に建設することは不可能になるだろうなと思います。


 そうしますと建設途中で頓挫することによって、起きうる事態はすべて政府の責任でありまして、その過程で見えますね、世界からも注目してますので、日本の民主主義国家としての成熟度が多くの国に見透かされてしまうのではないかと思っています。


 そして、官房長官にお聞きしたいのは、辺野古基地ができない場合、これはラムズフェルド国防長官が普天間は世界一危険な飛行場だと発言され、官房長官も県民を洗脳するかのように普天間の危険性除去のために辺野古が唯一の政策だとおっしゃってますけど、辺野古ができなければ、本当に普天間を固定化されるのかどうか、これを聞かせていただきたいと思うのですね。ラムズフェルドさんも官房長官も2人とも、多くの識者も、世界一危険な基地だと思っているのに、辺野古ができなかったら固定化ができるのかどうか、これをぜひお聞かせ願いたいと思っています。



 それから、普天間が返還されて、辺野古にいって4分の1になるんだという話があります。嘉手納以南が返されて相当数返されるというのですが、一昨年、小野寺前防衛大臣がお見えになったとき、一体全体それでどれだけ基地は減るんですか、とお聞きしたら、今の73・8%から、73・1%にしか変わらないんです。0・7%なんです。なぜかというと、那覇軍港もキャンプ・キンザーもみんな県内移設ですから、県内移設でありますので、普天間が4分の1のところにいこうが変わらない。おそらく、官房長官の話を聞いたら、全国民は相当これは進むなと、なかなかやるじゃないかと思っておられるかもしれないけれど、パーセンテージからいうとそういうことです。


 それからもう一つ、那覇軍港とかキャンプ・キンザーなどは2025年まで、2028年までには返しますと書いてあるんですが、その次に「またはその後」と書いてあるんですよ。これ日本語としてどうなんだろうかと思うんですけどね、2025年、2028年までに返すんだということを書いておいて、その次に「またはその後」という言葉が付いているんですね。これでは、「話クヮッチー」といって沖縄では「話のごちそう」というのがあるんですが、いい話をして、局面を乗り越えたらそのことは知らんぷりというのが戦後70年間の沖縄の基地の問題だったと思うんですよね。いまこうしておっしゃられてオスプレイはどこそこに持っていくんだ、あるいはたくさんの基地が返るんだという話をされても、「またはその後」が付けば、50年くらい軽くかかるんじゃないかという危惧は、沖縄県民はみんな持っているんですね。ですからこういうところをぜひ、ご理解いただきたいと思っています。


 安倍総理が「日本を取り戻す」という風に、2期目の安倍政権からおっしゃってましたけど、私からすると、日本を取り戻す日本の中に、沖縄は入っているんだろうかなというのが、率直な疑問ですね。


 それから「戦後レジームからの脱却」ということもよくおっしゃいますけど、沖縄では戦後レジームの死守をしているような感じがするんですよ一方で、憲法改正という形で日本の積極的平和主義を訴えながら、沖縄で戦後レジームの死守をするようなことは、私は本当の意味での国の在り方からいうとなかなか納得がいきにくい、そういうものを持っております。
  

 それから昨日、一昨日の官房長官沖縄県民の民意というのがありました。


 いろいろなものがあってあの選挙は戦ったんだよ、と。だからいろいろあるでしょう、という話がありましたけれど、昨年の名護市長選挙、特に沖縄県知事選挙、衆議院選挙、争点はただ一つだったんですよ。何かというと前知事が埋め立ての承認をしたことに対する審判を問うたんです。ですからテレビ討論、新聞討論、確かに教育、福祉、環境、いろいろあります。いろいろありますが、私と前知事の違いは、埋め立て承認以外には違いがないんです、政策に


 ですからあの埋め立て承認の審判が今度の選挙の大きな争点になりまして、その意味で10万票差で当選したということは、もろもろの政策にやったようなものではないんだということをぜひご理解いただきたい。


 ですから、沖縄県民の辺野古基地の反対というのはですね、県民の圧倒的な考えが示されたものだと思っております。そういうことで、ぜひご理解いただきたいと思います。



 振興策も話をされておりましたので、私は沖縄県はいろいろ難しいのもあります。


 例えば、基地があることによって困ったことは何だったかというと、9・11のニューヨークテロでビルに飛行機がぶつかっていった時に、大変なことが起きたと思ったら、1週間後に沖縄に観光客が4割来なくなったんですよ。4割来ないということが大変なこと、あの時の沖縄県の苦しみは大変だったですね。


 尖閣も、日本固有の領土でありますし、守るというのも結構でありますけどしかしながら尖閣で何か小競り合いがあると、いま石垣島に100万人の観光客が来てますけども、小競り合いがあったら、すぐ100万観光客が10万くらいに減るという危険性も十二分に持っているんですね。


 ですから私はそういう意味からして、ぜひとも沖縄は平和の中であって初めて沖縄のソフトパワー、自然、歴史、伝統、文化、万国津梁の精神、世界の懸け橋になる、日本のフロントランナーとなるそういった経済的にもどんどん伸びていって、平和の緩衝地帯として、他の国々と摩擦が起きないような努力の中に沖縄を置くべきだと思うのであって、米軍基地があったりすると、最近はミサイルが発達してますので、1発2発で沖縄が危なくなる。


 こういったことなども考え合わせると、米軍もアメリカももうちょっと遠いところに行きたがってるんじゃないかな、と。日本の方がかえってそれを止めて抑止力という形でやっておられるんじゃないかという疑問が大変ございます


 アジアを見据える、あるいは中東を見据えるところまで沖縄の基地が使われるんじゃないかと思ってますけど、この辺の根本的なご説明がないと、新辺野古基地はおそらくは難しい。県民の今日までのいろんな思いは絶対に小さくはなりません。もっと大きくなって、この問題に関して私は話が進んでいくと思っています。


 そういうことで、私は今日官房長官にお話はさせていただきましたが、安倍総理にもこのような形でお話する機会があれば大変ありがたいと思いますけどね、その面談のお手配をお願いしたいと思いますし、基地負担軽減担当大臣でもございますので、ぜひ辺野古の建設の中止をされながら、しっかりと話し合いをして基地問題を解決していただきたいと思っていますので、よろしくお願いを致します。