雨の芦原公園と”パラオ慰霊は「記憶喚起」の旅”(日経新聞)


今朝の芦原公園。落葉樹の芽吹きの季節を迎えました。名残の桜の花もまだ残っています。写真はピントが合ってないのか、小雨のせいか、靄がかかっているようにも見えます。金曜日、ゴミ出しの日で、カラスが大声を掛け合って偵察に来ているグループがあります。
さて、両陛下は9日、ペリリュー島で「西太平洋戦没者の碑」と米軍慰霊碑に供花、遺族会や地元住民らとも懇談され、昨夜無事帰国されました。ペリリュー島の激戦については、日本側死者1万人、生存者34人、米軍側死者1700人だそうです。私がペリリュー島の名前を知ったのは去年。NHKスペシャルで見た番組でした。つい半年程前だと思っていたのに、8月のことだったようです。ブログには書いていなくて、NHKサイトの番組紹介をコピーします:


狂気の戦場 ペリリュー
〜"忘れられた島"の記録〜


初回放送:総合2014年8月13日(水)
午後10時00分〜10時49分


今年、アメリカで日米の熾烈な戦いを記録した113本のフィルムの存在が明らかになった。撮影地はフィリピンの東800キロに位置するパラオ諸島の小島・ペリリュー。「地球最後の楽園」と呼ばれるサンゴ礁の美しい島だ。70年前、日米両軍はここで死闘を繰り広げた。米海兵隊の最精鋭部隊と言われる第1海兵師団第1連隊の死傷率は、史上最も高い約60%。そのあまりの犠牲者の多さと過酷さから、ほとんど語られてこなかったため、「忘れられた戦場」と呼ばれている。


ペリリュー島は、太平洋戦争の中でも特異な戦場だった。日本軍はアッツ島以降続けてきた組織的な“玉砕”を初めて禁じ、持久戦を命令米軍が当初「3日以内で終わる」と予想した戦闘は2カ月半に及んだ。 今回発掘したフィルムには、日米双方が日増しに追い詰められていく様が克明に記録されている。NHKはフィルムを撮影した元米海兵隊のカメラマン(91歳)や、生き残っている日米元兵士の証言を記録。フィルムと証言から、ひとたび戦争が始まるとそれを終結することがいかに難しいか、戦場とはどんなものなのか、その厳しい現実を伝える。
(引用元:http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0813/

◎この戦闘で生き残った方たちのお話に、「玉砕・万歳突撃は禁じられた。持久戦を命じられた」「火炎放射器で焼かれたら、熱くて、最後は水、水が欲しいと言うんだと思った」。死んだ人に悪いからと名簿持参で参加した方は「この人は、優しい人でお祖母ちゃん子だった。最後に、”おばあちゃんバンザイ”と言って死んだ」。

◎さて、今回の慰霊の旅、日経昨日の夕刊の結びは、<戦後60年の2005年には太平洋戦争の激戦地だった北マリアナ諸島の米サイパン島を訪問。日米の慰霊碑に供花したほか、追い詰められた日本人が身を投げた「スーサイドクリフ」や「バンザイクリフ」で黙とうされた。天皇陛下戦後70年となる今年の年頭に当たり、「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本の在り方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」との書簡を文書で公表されていた。>
◎今日の朝刊は、今回の慰霊の旅を、戦後70年を迎える今年、陛下はどういうお気持ちで、また私たちはそれをどう受け止めたら・・・という記事になっています。途中から書き移してみます:

 両陛下は1995年(戦後50年)の長崎・広島・沖縄・東京「慰霊の旅」、2005年(同60年)のサイパンと、節目の年に戦争で多くの犠牲が出た地を訪れてきた。旅の目的は慰霊だが、その以上の意義があったのが「記憶の喚起」だった。
 ここ数年、周辺から聞こえてくるのは「歴史の忘却」に対する天皇陛下の憂慮である。2009年の即位20年の記者会見で、日本の将来で最も心配なことは「次第に過去の歴史が忘れられていくこと」であり、昭和の歴史には様々な教訓があり、歴史的事実を知って未来に備えることが大切」と述べられた。
 パラオへの出発前のお言葉でも、南洋の島々での玉砕について「このような哀しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」と強調された。
 両陛下の慰霊訪問は大きく報道され、日本人は忘れがちな「歴史的事実」と「教訓」を思い出す。それこそが戦没者に対する最大の慰霊だろう。ペリリュー島は長らく「忘れられた戦場」と言われていた。・・・・歴史は未来を生きるための「マニュアル」でもある。
 それを行動で説くような両陛下の姿勢を目にして、我々は負の側面も含めた自国の歴史に真摯に向き合う大切さに気付く。
 皇后さまは昨年の誕生日に文書で次のように述べられた。
 「世界のいさかいの多くが、何らかの報復という形を取ってくり返し行われてきた中で、わが国の遺族会が、一貫して平和で戦争のない世界を願って活動を続けてきたことを尊く思っています。(略)
 今、平和の恩恵にあずかっている私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています」
 戦後70年を経た日本人が、あの戦争の犠牲を無駄にしないため何に立脚して次の時代を生きるべきなのか。ここに言い尽くされている。

◎全文は蛙ブログ昨年10月20日の「美智子さま、80歳(傘寿)を迎え”戦争と平和”について…」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20141020/1413769514