「福島の子ども達がやってくる」と「とめよう戦争法、集まろう国会へ。」と「昭和47年の政府見解」の真実

◎今年も福島の子ども達を北海道に呼ぶ計画をたてている「おとじろうとらいるのひび」さん。
福島・郡山の今を伝えておられます。引用元:http://blog.rairu.com/?eid=1982


ぴっぱら通信268号より転載
  りかこ記


福島から子ども達がやってくる...


緑がきれいな季節になってきた。この季節は本当に気持ちがよい。毎年のことながらこの緑は幸せな気分にしてくれる。
4年前のこの時期に、山の上から鷹栖の町を眺めながら思い切り息を吸い込んだ。その途端、福島で外に出られずにいる子ども達を想像した。
ぴっぱらの子ども達が当たり前に遊んでいるその向こうで、福島のこども達が外で遊べない状況にあるということにやり切れなさと怒りが込み上げた。 自分には何ができるだろうと福島の原発事故以来考えつつけた。


 ずっと反対していた原発のこと。何もできずにあってはならない事故が起きたことへの自責の思い。原発を止めるためなら何でもやると心に決めた。
鷹栖のきれいな景色を見ながら、一人でも多くのこどもの受け入れをしようと思った。事故後の夏休みから福島のこどもの受け入れが始まった。
 チェルノブイリの事故後、放射能がある場所から離れることで自分の免疫力を高め、病気になりにくくなるということを聞いていた。
 今年も30人の小中学生がやって来る。先日、日頃親達が何を抱えて暮らしているかを知るために、福島に行って来た。


今まではこちら側の説明をして笑いながら終わっていたのが、今年は違った。
2年に一回の甲状腺検査でのう胞ができていることがわかったと一人の母親が言い出した。それに続いて「うちも」と何人かが言い出した。「初めて人に言いました。」とポツリ。時間外に個別に会いに来て打ち明ける母親もいた。



 事故後、学校も外遊びを制限したり、運動会を室内で行う等規制していたことがどんどん緩められ、サッカーや野球などの少年団の練習も当たり前のように外で行っている。
 みんながどんどん普通の暮らしに戻って行き、外での運動に不安になりつつも、こどもが好きなことを止められない。放射能のことを気にしているとは誰にも言えない。気にしていることにみんな疲れている。 目には見えない放射能。さしあたって何も変わっていないような気になって、何でもないと思いたくなる、みんなやっているから大丈夫と思いたくなる気持ちもよくわかる。


 チェルノブイリでは5年目からこども達の病気が出始めている。10年後には国が見逃すことのできない状況となり、国費で保養所を作り、子ども達は、最低21日の保養が必要と云われ、30年近く経った今も続けられている。
 国や大企業が何をしているか、大きい何者かの言いなりになっていないか、誤魔化されてはいないか、自分の身に何が降りかかろうとしているか、自分自身で嗅ぎ当てられる大人になってほしい。
 ぴっぱらを始めた理由の一つである。ぴっぱらの毎日、ただひたすらしたいことをして遊んでいるだけに見えるこども達。したいことを見つけてやり続けるなんて、そう簡単なことじゃないさ。かなりエネルギーがいるよね。
今日も思い通りにいかなくて大声で泣き、スタッフに気持ちを聞いてもらっている。こども同士、ケンカして互いの言い分をぶつけ合っている。いいぞ、いいぞ。ここで思い切り感性を磨いておくれと思う。自分で感じ、自分で考える力を養ってほしいと思う。

(写真は中央図書館前のシナボダイジュの木と、満開の花)


◎14日の日曜日、今国会で問題になっている戦争法案に反対する大規模な抗議行動が行われました。
ところが、日本のマスコミでは、大きく取り上げられることはありません。時の政権に都合の悪いニュースは流さないことになってしまっています。
1960年の安保反対闘争の時代と違うのは、政権のマスコミ対策が徹底して行われ、閣僚の8割以上が右翼団体といわれる「日本会議」のメンバーで占められ、その団体の思い通りの政治を実現するために政治が行われていることです。一方で、当時にはなかった情報伝達の道具を市民が手にしているという事もあります。
こうやって、14日の抗議行動に参加した方の生の情報をブログを通して簡単に手に入るようになりました。ところが、18歳に選挙権が引き下げられる理由の一つが、若い人の投票行動が与党に不利ではないという判断がある.と解説されています。昔と違って若い人たちが保守化したとも。
◎さて、14日の抗議行動の様子を実際に参加されたSPYBOYさんがブログで報告されています。一部をコピーさせていただきます。

                                                    
反原連主催の原発再稼働反対の抗議とも、組合などが多い各種団体主催の原発反対集会とも、客層が異なっているのが面白い。年齢層は高いけれど、子供連れの人もところどころ混じっている。マスコミのカメラも結構多い。頭上にはヘリが2機、飛んでいる。帰宅して見たTBS五時半のニュースはこのデモを取り上げて『じっとしてられなかったので子供と一緒にきました』と言うお母さんを映していたが、ボクも含めて、多くの人が同じ気持ちだろう。


ちなみに今日NHKの7時のニュースを見たら、大して人数も集まってない福岡で行われた拉致家族会の集会とデモ、それに香港の民主化デモは取り上げられていたけど、国会前に数万人も集まったデモ!は影も形もなかった(笑)。NHKとしては今日のデモはなかったことになってるんだろう(笑)。(青字by蛙)

★是非「特別な1日」さんのブログ<『とめよう!戦争法案 集まろう!国会へ 6・14国会包囲行動』と映画『新宿スワン』>(http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20150615/1434315576)を訪ねて当日のデモの様子と思い思いのプラカードをご覧になってください。

◎昨日国会のやり取りを少しテレビで見ている中で、安倍首相が、戦争法案の根拠として「昭和47年政府見解」を持ち出しておられたように思いました。そこで、この「スクープ」という記事を思い出しました。タイトルは、「【スクープ!】「集団的自衛権行使容認の閣議決定」が覆る決定的根拠! 「昭和47年政府見解」の知られざる真実を小西洋之議員が暴露!! 」です。

<前略>


安倍総理は『外国の武力攻撃』に目的語が書いていないことを持ってして『我が国に対する』『同盟国に対する』という2つの意味を込めているのだ、と主張しています。ではこの政府見解を作成した人たちに聞いてみればいい」


 「政府見解を作成した人たち」とは誰か。小西議員が情報開示請求をし、入手した昭和47年政府見解の原本を確認すると、そこには当時の吉國一郎内閣法制局長官(当時)の判が押されていた。昭和47年政府見解を発した張本人である。


 その張本人である吉國長官は、この政府見解の基となった2週週間前の国会質疑で、「憲法9条をいかに読んでも他国の防衛までやるとは読み切れない」「日本への外国の侵略によって『国民の生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利』が根底からくつがえされる場合のみ自衛が認められるのが解釈の論理の根底」と述べ、「他国が侵略されていることは、まだ日本の生命、自由、幸福追求の権利が侵されている状態ではないので、まだ日本が自衛の措置をとる段階ではない」と明言していたのである。 



 さらに、昭和58年の国会で「集団的自衛権の行使は憲法改正の手続きが必要」と答弁した角田禮次郎・内閣法制局長官も、当時、この昭和47年政府見解に判を押した一人であったことも判明した。


 安倍政権が「集団的自衛権を行使できる根拠」として持ちだした昭和47年政府見解」を発した張本人らが、みな「他国への攻撃は、日本国民にとって急迫不正の侵害とは言えず、集団的自衛権は行使できない」としているのだ。集団的自衛権を行使容認するとした安倍政権の閣議決定の根拠は、完全に崩れ去った。


 同時に、国会に提出された「安保法案」も、4月末に18年ぶりに改定され、地理的な制限もなく米軍などの支援をできるとした「新日米ガイドライン」も、すべてが覆る。安倍政権は、この決定的な事実にどう向き合うのか、最注目である。
(引用元:http://iwj.co.jp/wj/open/archives/246547

<写真は庭に咲く額アジサイと白蝶草(ガウラ)>