「多数決で人の命を奪えるか」(鈴木邦夫氏)


◎「マガジン9条」から久しぶりに「鈴木邦男の愛国問答」です。
鈴木邦夫氏は、死刑制度に反対されています。
昨日の日経夕刊によると、「20年前、大阪市東住吉区の自宅に放火し、長女(当時11歳)を殺害したとして無期懲役が確定した母親の青木恵子(51)のと当時内縁の夫だった朴龍晧さん(49)の再審開始を認めた大阪高裁の決定について、大阪高検は28日、最高裁への特別抗告を断念すると正式表明した。検察側は再審でも有罪を主張する方針。ただ有罪を裏付ける新たな証拠を提示できない限り、無罪が言い渡される公算が大きい。」
◎27日の読売新聞夕刊の「寸評」コラムでは、この事件に関連して谷川俊太郎さんの「事件」という詩の一部を引用してありました。その引用部分を書き出してみますと:

「事件だ!/記者は報道する/評論家は分析する/一言居士は批判する」で始まり、終わり方は
「やがて一言居士は忘れる/評論家も記者も忘れる/全ての人が忘れる/事件を忘れる/死を忘れる/忘れることは事件にならない」


◎疑われ、自白を強要され、娘を保険金目当てで殺したとされて20年。この間、一審の時から弁護側の主張が何回かテレビでも取り上げられ、検察側の強引さは視聴者にも判断できました。検察のメンツの為に自由を奪われる市民、今までにも同じような事件がありました。権力が思い通りの結果を得るために何でもする。政府の沖縄辺野古の問題も同じですね。沖縄の民意よりは政府のメンツが大事なんですね。琉球新報のこの記事をここへ入れておきます:<「国の審査請求不適法」行政法研究者93人、辺野古で声明(10月24日 琉球新報http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20151025

◎さて、鈴木邦夫氏は、この事件から、死刑制度について書いておられます。
(引用元:http://www.magazine9.jp/article/kunio/23627/

第186回 多数決で人の命を奪えるか


(前略)



 それらの証拠を前にして高裁は「火災は自白通りの放火ではなく、車のガソリン漏れからの自然発火である可能性が否定できない」と、さらにこう言った。「無罪の可能性が高くなっており、刑の執行を今後も続けるのは正義に反する」と。「正義に反する」と言ったのだ。勇気がある。しかし、20年は余りに長すぎる。釈放されて、「よかったね」では済まない。新聞やテレビでは取り調べの様子も少しずつ明らかにされている。(中略)


人の心の傷、弱みにつけ込んで、「自白」させ、事件を「解決」しようとする。二人は余りに長い間、収監され、でも釈放された。他にも冤罪に苦しんでいる人が多いのだろう。


 10月22日(木)、24日(土)の2日間、死刑に反対する集会に出た。「共に死刑を考える国際シンポジウム『いのちなきところ正義なし 2015』」だ。22日は衆議院第一議員会館、24日はイタリア文化会館で行われた。イタリアからも多くの人が来て証言していた。名張ぶどう酒事件の奥西さんが獄中で亡くなった。死刑が宣告されていたが、冤罪の可能性が高いといわれていた。さらに、恐ろしい報告もされていた。すでに執行された死刑囚のうち、無罪の可能性のある事件がいくつもあると。そうなると、無罪の人間を殺しているのだ。法務大臣も「殺人者」となる。
 そんな怖い、危険性を抱えながら、でも日本では死刑を廃止できない死刑を廃止したら、凶悪犯罪が増えると思っているのだ。死刑は「犯罪抑止力」になると思っている。しかし、そんなことはない。世界各国で死刑廃止して犯罪が増えたという国はない日弁連のパンフレットによれば。

アメリカ合衆国では死刑廃止州よりも存置州の方が殺人事件の発生率が高いというデータがあります〉



 そうか。国家の殺人行為(死刑)があるから、民間の殺人を呼び込むのかもしれない。さらに日本では世論調査で80%以上の人々が死刑に賛成している。死刑があるから日本の治安は守られている。そう考える人が多い。じゃ、フランスやフィリピンなど、死刑を廃止した国は、国民の圧倒的な多数の意志で決めたのか。どうも違うようだ。イギリスは1969年に死刑を廃止した(1965年に執行停止)。国民の圧倒的多数は死刑支持だ。その年、81%が死刑を支持していた。フランスは1981年死刑を廃止。1981年の時点で、62%が死刑支持だ。フィリピンは2006年に死刑廃止。1999年には80%が死刑支持派だった。それで、よく実行できたものだ。国民の80%が「支持派」なのに、国家としては「死刑を廃止」している。だから、今の日本だってやれるのだ。勇気のある首相と法相がいれば。いや、「国民の声を無視した!」「独裁だ!」「ファッショだ!」と言われるだろう。日弁連のパンフではこう言っている。

〈そもそも、死刑は生命を剥奪する刑罰であり、国家刑罰権に基づく重大かつ深刻な人権侵害であることに目を向けなければなりません。フランスをはじめ、世界の死刑廃止国の多くも世論調査の多数を待たずに死刑廃止に踏み切っています〉 



 そうなのか。どうも我々は「多数の意見」が正義であり、それに従うのが民主主義だと思っていた。しかし、それ以前に国家は国民の命を守るのが第一だ、と考えているのだ。


〈これは、各国政府が犯罪者といえども生命を奪うことは人権尊重の観点から許されないとの決意から廃止に踏み切ったことを示すものであり、基本的人権の尊重を国の基本理念とする国家にあっては、国民世論をその方向に導いていくという決意の表れであると評価できるものです〉 


世論調査や多数決で人の命を奪ってはならない、ということだ。そうした基本を忘れてはならないだろう。