大阪ダブル選挙について、考える


大阪府知事・市長のダブル選の結果は、共産党が早々と自民党候補を自主支援すると判断をしたにもかかわらず(あるいは、したからこそ?)維新ダブル当選となりました。
これは、共産党がシールズたち若者の「野党は共闘!」にいち早く応えて、来年の参院選での「国民連合政府」構想を打ち出して野党共闘を呼び掛けたことに、どんな影響があるのでしょうか?それとも関係はないのか? 今回は、「野党」共闘ではなく、「与党」自民党を交えての問題でした。自民党の反共意識は根強いものがありますし、「アカ攻撃」の影響を受けている世代もまだまだ健在です。支援される側の事情?を考えて、今回は、自主投票でもよかったのか。
私自身は、東京から応援に駆け付ける自民党の面々を見て、こんな人達の応援を受けてまで…ちょっとオカシクはないか…やはり大義なき共闘?は野合と言われても仕方がないとも思いました。反橋下維新なら、東京から応援に駆け付けた自民党の現政権に責任ある大物議員さんたちは、応援する資格がありません。彼らの大親分さんたちが橋下維新に期待し応援しているからです。
それでも、維新の知事・市長を誕生させるより、維新のやり方で苦労してきた大阪自民党の知事や市長を誕生させる方がマシと思ったのですが…そう、思わなかった人たちが大勢いたということを、「反戦な家づくり」さんが、数字で明らかにしています。(引用元:http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-1431.html

僕たちのアイデンティティ


大阪には縁もゆかりもある身としては、ダブル選について一言かいておかねばなるまい。

ただ、この数ヶ月、生業があまりに多忙で、選挙運動にはほとんど関われなかった。
なので、あるていど客観的な視点で、今後のためのメモを書いておく。

まず、開票結果

府知事
松井 一郎 2,025,387票 得票率64.1%
栗原 貴子 1,051,174票 得票率33.3%

市長
吉村 洋文 596,045票 得票率56.4%
柳本 顕 406,595票 得票率38.5%


知事はダブルスコア、市長もぐうの音の出ない惨敗だ。


状況を分析するために、5月の住民投票との比較をしてみたい。
出口調査での支持政党の割合を、表にした。

※維新は「「おおさか維新」と「維新の党」の合算。維新の党をまだ橋下の党だと思って回答している人が多いと思われるので。


棄権を含む支持率の変化を見てほしい
維新も13%ほど減らしているが、自民は27%、公明はなんと62%、共産にいたっては70%も減っている


つまり、今回の敗北の直接の原因は自民、公明、共産の固いはずの支持者が投票に行かなかったということだ。
その他と書いてある中の多くは、社民と生活であり、これも前回の75%が棄権している。
これは決して責めているのではなく、現象をできるだけ正確に見ているのである。


言うまでも無いが、公明、共産、社民、生活の支持者が、前回とほぼ同じ投票をしていれば、余裕で勝てた
これは、数字から明らかだ。
しかし、彼らは、共産との相乗り、自民との相乗りという呉越同舟を潔しとしなかった
蛙注:結果として)そんな投票をするくらいなら、維新が勝った方がマシだ、と判断した。
世の中全体の運命よりも、個人的なプライドを優先した(結果となったby蛙)。

住民投票とダブル選挙と一緒にして比較して良いのか、という問題はありますね。実際、維新は都構想は争点にしない戦術で住民投票で票を取れなかった区を重点的に廻るという戦略でした。だから、「前回と同じ投票をしていれば」という仮定がそもそも成り立たない状況を維新は狙っていたとも言えます。そういうことを少し割り引いて考えても、この数字はとても意味があると思います。


やはり、ここで肝に銘じておかねばならないのは、自民と共産の組織に頼らなければ維新のようなヤクザな政党に対抗することもできないという、情けない現状である。
自共相乗りが良いとか悪いではなく、それ以外に方法がないという、自分たち自身の現状の無力さ、組織力のなさを、骨身にしみて確認しておかなければならない。

今回の大阪は、なにせ自民との相乗りで、自民党本部はリベラル側がいやがる応援弁士を選りすぐって送り込んできたわけで、それを嫌って棄権した人たちを、責める気持ちにはならない。
大局を見ていない、というのはまったく正論だし、私自身も歯を食いしばって栗原候補に投票したけれども、それができなかった人を責めるのは、ちょっとお門違いな気がする。
というか、皆が皆、そんな大局判断で投票行動できるような国ならば、そもそもこんな苦境にはなっていない。

そして、こんなあまりにも不健全な相乗りではなく、オール沖縄のような「ひとつのアイデンティティ」「無二のプライド」を軸にした連合を、どうしたら作れるのか、腰を押しつけて考えなくてはならない。


大阪はたしかに特徴的な地域ではあるが、沖縄のようなやむにやまれぬアイデンティティはない。そこまでの過酷な歴史はない。
オール沖縄には、自民党はもちろん民主党すら入っていない。
オール沖縄に本土の私たちが学ぶことは何なのか。


それは、私たちのアイデンティティは何なのか、ということ。
「日本人」とか「国民」というと、いわゆる左陣営は拒絶反応を示すけれども、国という単位を嫌でも認めるのであれば、その単位でなにをどうするのか、から逃げるわけにいかない。


◎これ以降の、右と左に拘った(配慮した?)「家づくり」さんの理屈がちょっと難しすぎて、あるいは大阪のことなのか国政のことなのかが、私にはよくわからないのですが、今回の大阪の選挙にとって、オール大阪になれる一つのアイデンティティーとは何だったのかということは、考えてみる値打ちがあるように思います。
それが、反橋下維新ではなかったのか・・・それなのに、橋下維新と戦っている大阪自民党の応援に、陰で(否、日向で堂々と)橋下維新にエールを送っている官邸が、今の政治に大いに責任ある立場の国会議員さんたちを送り込んできた、という矛盾。
では、応援に来なかったら良かったのか…と云うと、そこが問題ですね。橋下維新は安倍政権の補完勢力であるということ、憲法改正自民党と一緒になってやろうとしているということは、反維新ならみんな知っている。だからこそ、反維新は、反安倍である必要があったのではないか…と思います。
憲法無視の官邸のやり方を、自民党自身が許してしまっている。国会の運営が民主的に行われていれば、安保法制の法案があんなクーデターまがいに『成立』するなんてあり得なかった。そういうことに対して、大阪自民党が反安倍でない限り、「オール大阪」にはなれなかった。なぜなら、橋下維新の政治のやり方は、同じ性格のものだから。 

「大局的に考えて」、維新よりも自民の知事や市長の方がマシと考えた者は、まず、大阪で、民主主義的とはとても言えない橋下維新が知事、市長になれば、行政の現場はヒドイことになる、このことをまず阻止したい。自前の候補を出せないのなら、まず橋下維新に対抗している自民党を選んで、その上で、国政にも影響を与えたいという期待、願い、(下心?)があったのですね。それが、どの政党支持者からも賛同を得ることに失敗したということです。これは正攻法で当たるしかないということなのかもしれません。大義は大事ということではないでしょうか。
じゃぁ、どうすればよかったか。自民党の市長候補や知事候補に投票してはいけないのか。国政で反安倍なら、大阪でも自民党には反対すべきなのか。自民党に反安倍を踏絵にしたところで無理なのは判り切っています。それではもともと一緒にはやれません。
今回のダブル選挙で、オール大阪というような、一つのアイデンティティー(反安倍・反維新・民主主義を守れ・憲法を守れ)にまとまれないときは、無理をしない。沖縄の真似をしないという事も大切なのでは。自民党は、自民党で反維新だったのですから、共産党は、自民の反発を招く”押しつけ支援”を控えて、また、自民候補を支援するという「決定」をするのではなく、国政では反安倍だけど大阪では維新に反対する自民党を支援するという「大局的な」判断を支持者に訴えればよかったのでは。市民は「反安倍」を下ろして沈黙してしまうのではなくて、市民の立場で、反安倍ではあるけれど、安倍に直結する橋下維新よりは、維新に反対している自民の方がよりマシだと「大局的に」判断しようと訴えればよかったのではないか。大局的とは何か…をそれぞれの政党や個人の立場で考えて訴えればよかったのでは。それが大義だったのではないか・…と考えたり。