12月5日が「世界津波の日」になったそうです。国連総会の第2委員会で全会一致で決まったとか。安政南海地震のあった1854年、和歌山県広川町のかつての村民が稲束に火をつけて高台に避難させたという「稲むらの火」の逸話に因んでこの日に決まったそうです。日本では2011年6月から「津波防災の日」に制定されたとか。
我が家では、12月5日(土曜日)、朝のコーヒータイムで母が、「今日は私たちの結婚記念日なの」と。
昭和17年のこの日に、母は花嫁姿で人力車に乗って親戚に挨拶をしながら大聖寺京町の父の家まで行ったそうです。
「恥ずかしかった」と母が。「山下神社で結婚式を挙げて」「新婚旅行は?」と夫が。「山中温泉、戦時中だし」と母。「そうだわ、戦争中だ」と私。父が「18年」と云いましたが、私が19年の春には生まれていますので、17年ということに。よくもマァ長きにわたって…仲良くと、夫と二人で顔を見合わせました。また、東斜め向かいの空き地の東の一部(写真の右側)で、新築工事が始まります。今のうちにと朝写真を撮りました。
さて、この日は、また、古典文学の会の忘年茶話会の日です。(写真は中央生涯学習センター3階踊り場から芦原公園を見て)
前日、私の担当だったお茶菓子を買いに行って、スプーンや柚子茶、布巾やナプキン、小さなミルク注ぎ2個を入れた紙袋を用意、昨日出がけに牛乳一本を加えて、1時前に自転車で家を出ました。
平家物語に入る前の先生のお話は、マイナンバー便乗詐欺のお話でした。その時の”ついでに”のお話ですが、先生のご主人が銀行でお金を下ろそうとすると、何に使うのか根掘り葉掘り聞かれた。オカシイと思ったら、詐欺にあってないか確かめていたんだと気づき、年寄り扱いされたご主人は少しご立腹気味だったそう。高知城の城主山内一豊の家老職の五藤家の子孫で、唯一人の男性が「1000万も下ろすからや」と茶々を入れてました。
先生は続けて、知り合いが環境詐欺にあったお話も。「私たち世代は真面目でしょ、世の中の役に立つことだったら少しでも協力しようと思うでしょ、そこを狙われたの」とか。かなりの金額を環境保護の資金として送金するつもりだったけれど、銀行の方が、訊ねてくださって、事なきを得たそうです。
さて、茶話会は二人の世話役で、20人ほどのコーヒーや紅茶、柚子茶を用意します。少し早目に先生のお話を切り上げてもらって、机を並べ替えてロの字型に、紙コップに自分で好きなものを入れて熱湯を注いで用意したマドラーで混ぜて、席まで持って行ってもらいます。ナプキンにお菓子を配って用意終了。一人ずつ名簿の番号と名前を言ってから、少しお話をして全員回ったところで1時間丁度ぐらい。
皆さん、70代、80代で、90代の方もお一人かお二人。ここでは私も若い方で、年下の方は3,4人だったかな、今日は。「みなさんのお話を聞いていると圧倒されて元気が出ます」と70歳になった方が言われた通り、先輩方のお話は、とても参考になったり励みになるお話ばかりでした。
その中で、家老の子孫の方が、神戸女学院と関西学院大学へ行ってヴォーリーズの建築を見てきたというお話をされました。玉岡かおるさんが朝の連続ドラマのヒロインのモデル、広岡浅子の本を書いておられて、それによると、ヴォ―リーズの奥さんの一柳満喜子さんを広岡朝子が紹介したとかいうお話だそうです。私は3日前のヨーガの皆さんとのインド料理店でのランチの時 に、浅子の娘婿(広岡恵三)がヴォ―リーズの奥さん(一柳満喜子)の兄だというお話を聞きました。これからの朝のドラマでこんなお話が出てくるのか…楽しみではあります。
Wikipediaで知ったことですが、評判の良かった朝の連ドラ「花子とアン」の村岡花子さんと、「あさが来た」の広岡浅子さんとは関係があります。「日本女子大学設立後も浅子の女子教育に対する情熱は衰えることがなく、1914年(大正3年)から死の前年(1918年)までの毎夏、避暑地として別荘を建設した御殿場・二の岡で若い女性を集めた合宿勉強会を主宰。参加者には若き日の市川房枝や村岡花子らがいた」のだとか。
(余談ですが、大河ドラマ「花燃ゆ」は安倍総理の長州の話、朝ドラの「あさが来た」は籾井NHK会長の出身である三井物産と関係のある三井の御嬢さん、NHKが気を使ってわざわざ権力者のゆかりの人を取り上げたとは考えたくありませんが…これは疑われる方が悪いですね。)
(写真は吹き抜けの二階から見た西の紅葉・東の黄葉と、廊下に貼ってあった人権週間の大阪弁のポスター)