◎蛙ブログ10日で取り上げた「ゆめ風だより」の今村登さんのリレーエッセイの最後に、今村さんは、「自然を克服する」という発想が、障害者から見れば「障害を克服する」という発想に通じる。「克服する」という発想を捨てて、ありのままを受け入れて多様性を認め合えるインクルーシブな社会にしていきたい。それは「自然と共存するという発想」。時に自然は猛威を振るうことがあるということが当たり前として、工夫して受け入れるまちづくりの復興を、と書いておられました。
ペシャワール会の中村哲氏がアフガニスタンですでに実践されていることは、この発想に基づいています。
今年は、夏、地元のメープルホールで中村哲氏の講演を聞く機会がありました。小柄な中村氏が、現地にいては工事の指揮をとり、日本に帰っては全国を講演して歩いておられる姿に真近に接することが出来ました。ノーベル平和賞に最も近い日本人じゃないかと思います。
ペシャワール会の会報(No.126)が届きました。巻頭言の中村哲さんの報告の中から、一部を書き移してみます。
予期せぬ洪水に、迷いなく全力投入
−−技術を絶対視せず、忍耐を重ねて自然と共存PMS(平和医療団・日本)総院長/ペシャワール会現地代表 中村 哲
堰が機能停止
皆さん、お元気でしょうか。
現在、マルワリード用水路の更に下流にある「ミラーン堰」(灌漑面積1100ヘクタール、約4万人)の建設に忙殺されています。着工から一年、今春までに、取水口近傍の村落を保護する堤防をかろうじて築き、臨時の取水堰を作りましたが、予想せぬ洪水で地形が変り、大幅に設計を変えています。
今年二月の「真冬の大洪水」の突発、七月の熱波に続く集中豪雨で堰が機能を停止、予想を超える大きな工事になっています。他方で干ばつはなお進行中、飢餓人口が増え続け、国民の四分の一の760万人以上が飢餓線上にあると言われています。PMSでは、「戦より食料自給」を掲げ、灌漑設備の充実による飢餓対策を各方面に訴え続けていることは、これまで報告してきた通りです。
大洪水と地形変化
しかし、大河を相手の仕事は、計画通りに進まないことがの方が多く、自然は制御できないことを思い知りました。
クナール河沿いの作業地は、急流の大河です。問題になって来た新局面は、洪水流に伴う砂州移動や河道の変化でした。
<中略>
自治性の伝統
なかなか伝わりにくいのは、アフガン農村に国家管理を拒む自治性が強く、政府の側でも公共事業をまともに執行できる予算や組織がないことです。支配も受け付けない代わりに、地域のことは地域自ら行うという体質です。
取水堰は日本の近世に完成した「斜め堰(福岡県朝倉市)」の構造を取り入れ、現地ふうに焼き直したものですが、おそらく二百年以上の昔、飢饉や一揆が日常であった時代、わがくにの農村も似たような状態であったろうと想像しています。知れば知るほど、先人たちの知恵と忍耐には驚かされます。
その偉さは、堰の設計と工事を自ら行ったというだけではありません。改修を村民自らが行い、用水路という自らの生命線を二百年以上、維持してきたことです。
とすれば、私たちも似たような苦労をたどっていることになります。一時帰国時に、山田堰土地改良区や河川・灌漑方面の厚意で、改めて土砂吐きの構造を見学できました。細かい点は割愛しますが、見事です。土砂堆積を避け、上下流に影響を与えない工夫がきちんと凝らされています。
しかし、それ以上に、「壊れなければ強くならない」という、地域に遺された言葉は、胸を刺すものがあります。技術を絶対視せず、自然の中で人間の分を弁(わきま)え、忍耐を重ねて共存していくことです。近代で置き去りにされた先人の謙虚な逞しさが、ここにあります。この点こそが、はるかアフガニスタン東部の農村事情と直結し、水利施設を維持して郷土を護る力になるのだと思いました。
生きるための戦い
かくして川沿いの寒風を衝き、工事は続けられています。私たちが掲げるのは、生きるための戦いです。巷ではテロや空爆、難民のうわさが絶えませんが、私たちは「対テロ戦争」などという、おぞましい戦列には加わりません。それこそが果てしない暴力の応酬を生み出してきたからです。
水が善人・悪人を区別しないように、誰とでも協力し、世界がどうなろうと、他所に逃れようのない人々が人間らしく生きられるよう、ここで力を尽くします。内外で暗い争いが頻発する今でこそ、この灯りを絶やしてはならぬと思います。
今年もいろんなことがありましたが、変わらぬ温かい祈りと支援に支えられ、現地は希望をもって歩んでいます。困難な事情にもかかわらず、ここまで来れたことを感謝します。日本も大変ですが、どうぞ工事の成功をお祈り下さい。
良いクリスマスと正月をお迎えください。
二○一五年十二月 ジャララバードにて