「節操なき安倍首相の主張に国民はNOを」

春節の前の日に、北朝鮮はロケット(ミサイル? 人工衛星?)を発射しました。アメリカに力を誇示しながら、中国にも言いなりにならないというアピールかな。中国も怖くないとなったら、アメリカが出るしかないかもしれませんね。わが日本、『非常事態』の訓練なのか、これをチャンスとばかりに長引かせて利用するのに大騒ぎ。お昼のNHKも特別扱い。そのうち、政府指定の『非常事態』になると、どのチャンネルを回してもNHKみたいになって「大本営発表」を聞くことになるんでしょうね。
◎「日本がアブナイ!」さんの昨日(7日)の記事は、「田原総も嘆く安倍の幼稚な演説〜節操ないご都合主義の主張に国民がNOを」というタイトルです。国会での安倍首相の野党挑発、言いがかり、子どものケンカみたいな発言に、最近は「また言ってる」と慣れてきました。この慣れがいけませんね。1月22日の施政方針演説について、田原総一朗氏の批判文を取り上げておられます。
この文中、引用されている浜矩子氏の首相施政方針演説批判の「まな板の上の鯉」のお話、なるほどその通りと思って読みました。国会で、安倍首相は、野党に対して「対案を出せ」とよく言います。大阪では、かつて橋下徹氏が政治家であった頃、盛んに口にしていたのが同じ「対案を出せ、対案もなく反対するな、無責任な」という言い方でした。一国の首相が、元知事・市長であった方の口癖を真似ているようでいただけませんが、さすが浜矩子氏は、キチンと批判されています。野党の仕事は、与党が出すまな板の上のコイを吟味するのが仕事。出された鯉とは別のを出してこっちが良いというのは野党の仕事ではないと。その通りですね。
また、田原総一朗氏は、主流、反主流、非主流のない閉ざされた今の自民党を変えることが出来るのは国民のみ、と。「日本がアブナイ!」さんの記事の中から、田原氏の記事の部分をコピーしてみます。
全文はコチラで:http://mewrun7.exblog.jp/24116408/

田原総一朗:あまりにも幼稚だった安倍首相の施政方針演説
BizCOLLEGE 1月28日(木)



 安倍晋三首相は1月22日、衆参両院の本会議で施政方針演説を行った。だが、この演説は冒頭から野党をあおり、結びも野党批判に費やすという異例の内容だった。


 今回の施政方針演説について、同志社大学教授の浜矩子氏が東京新聞で強く批判している。僕は、浜氏がアベノミクスを「アホノミクス」と批判することについては異論があるが、このコラムは面白かった。


●施政方針演説での野党批判は極めて異例


「一月二十二日、安倍総理大臣の施政方針演説が行われた。その『はじめに』の部分で、安倍首相は次のように言っている。「批判だけに明け暮れ、対案を示さず、後は『どうにかなる』。そういう態度は、国民に対して誠に無責任であります。(略)さらにご丁寧なことには、『おわりに』の中でも、『ただ反対と唱える。政策の違いを棚上げする。それでは、国民への責任は果たせません』と言っている」(1月24日付 東京新聞『時代を読む』より)


 つまり、冒頭でも述べたように、安倍首相が演説内で政権に対する野党の批判を非難したということだ。


 これに対し、浜氏は次のように強調している。


施政方針を打ち出し、それに関する精査と判定を受ける。それが政府与党というものの位置づけだ。対する野党は、なにはともあれ、批判することが仕事だ。むしろ、いきなり対案を出したのでは、問題の焦点は国民の前に明確にならない


 その上で、次のような面白い例え話を持ち出している。



まな板の上の鯉を徹底的に吟味するのが野党の役目
「国会論戦の場において、政府与党は、まな板の上の鯉であることに甘んじなければいけない。(略)こうして、まな板の上に載せられた魚を徹底的に吟味する。それが野党側の基本的な機能だ。


 この鯉は、国民という名のお客さまたちに召し上がって頂くに値するか。召し上がって頂いて大丈夫か。食中毒の恐れはないか。そもそも、この鯉は本当に鯉か。鯉の振りをした鰯だったりしないだろうか


 こうして、まな板の上に載せられた魚を徹底的に吟味する。それが野党側の基本的な機能だ。別の魚をまな板の上に持ち出して、こっちの方が新鮮だと主張するのが、彼らの役回りではない


 この浜氏の主張は、まさに正論である。野党の批判を非難する安倍首相は、国会審議というものを理解していないのではないか、と鋭く指摘している。この批判が面白い。


 安倍さんは、民主党の質問に対してやたらにヤジを飛ばす。非常に幼稚で、言ってみれば国会をまるで子どもの喧嘩のように捉えているということだ。彼は質問されるのが嫌いなのだろう。しかし、これではみっともない。僕は長らく政治家たちを見てきたが、こういう人はあまりいなかった。



 自民党内に反対勢力がいなくなった
 なぜ、安倍さんはこれほどまでに野党を批判するのだろうか。昔であれば、そんなことをすれば、自民党内でこてんぱんにされていたはずだ。


 だが今の自民党内には安倍さんを批判する人はいなくなった。それは小選挙区のせいだ。小選挙区では選挙区に1人しか当選しない。当選するためには執行部の推薦が必要となる。だから、誰も安倍さんに逆らえないのだ。


 かつて中選挙区の時代は、自民党内には主流派、反主流派、非主流派が存在していた。5人区であれば3人を当選させるために、首相の派閥以外の議員にも党の推薦を出さなくてはならなかったからだ。そこでうまくバランスがとれていた。


 自民党の初代総裁についた鳩山一郎さん、その後の岸信介さん、田中角栄さん、中曽根康弘さんの時代にいたるまで、常に反主流派や非主流派といった派閥があったのだ。


 反主流派と非主流派は、首相の意見に対して、野党よりも厳しく党内で論戦していた。 かつて、岸さん、田中さん、福田さん、大平さんなどの歴代首相が交代をやむなくしたのは、自民党内の反主流派、非主流派の批判によるものだった



自民党は開かれた政党ではなくなった
 首相は国会で野党相手にさらに挑発するような振る舞いはせず、発言にも細心の注意を払っていた。


 当時は、この自民党内の主流派、反主流派、非主流派の論争によって政治が進んでいった。だから各新聞の政治部記者の幹部たちは、野党になどまるで関心を持っていなかった。


 新聞紙面のほとんどが、主流派、反主流派、非主流派の論争を報じていた。ところが、今は小選挙区制が導入され、非主流派、反主流派がなくなり、自民党内で安倍首相に対する批判というものが全くなくなってしまった。そのために、安倍さんは緊張度を欠いているのではないかと言わざるを得ない。


 そういう意味では、自民党が開かれた政党ではなくなったと言える。今、自民党内部では、議論が全くない。だから冒頭で述べた施政方針演説のような問題が起きるわけだ。


 小選挙区制は、二大政党がきちんと政権交代をやれるような強さがあれば機能する。しかし、小選挙区制は最大政党が強くなりやすい。野党が強くならない限り、監視機能すら望めなくなる。今はまさにこの状態だ。


 参院選後は憲法改正に向けて動き出す 安倍さんは、次の参院選で3分の2の議席をとって、憲法改正を目指している。もちろん、党内にはそれに反対する議員もいるが、いくらそうであったとしても、反論ができない。自民党内ではもはや政権に反対する勢力は存在できないのだ。



 野党がよほどがんばるか、国民が動かなければ、この流れは変えられないだろう


 国民が動くとは、もっとデモをするということだ。フランスやイギリス、ドイツなどでは、しばしば大規模な抗議デモが起きる。


 ところが、日本ではほとんど起きていない。市民運動の経験が歴史的に乏しい日本では、国民に「デモをする」という発想が湧きにくいということもあるだろう。


 昨年9月に、安保関連法案に抗議するデモが起こって大きな話題を呼んだ。SEALDsなどの若い世代が参加していたことも注目を集めた。だが、それでもデモはせいぜい10万人の規模だった。かつて岸内閣が日米安全保障条約を改正しようとした時は、30万人を超えるデモ隊が国会周辺を取り囲んだ。その混乱の責任を取る形で、岸さんは辞任した。


政治を動かせるのは国民の声だけ 
 安倍首相が国会で野党相手に幼稚な発言ができるのも、党内で対抗勢力が存在しないからだ。

 また野党がだらしない状況では、政権交代も起こらないし、むしろ与党の寡占化が進むだろう。そうなると、まずます誰も安倍政権にノーを言えなくなる。


 結局、安倍首相のおかしな発言や安倍政権のおかしな政策にノーと言えるのは、国民だけなのだ。国民の声こそが政治を動かす力を持っているのを忘れてはならないだろう。』