"下り坂の下り方"(内田樹氏)と「戦後と災後の両方同時に」(加藤典洋氏)

◎昨日のマレーシアの世界卓球団体戦、男女とも相手は中国。圧倒的な応援団で完璧アウェイ状態の中、ともに負けました。中国は強かった。歯が立たない感じ。ともに銀。よくやりました。楽しませてもらいました。


内田樹 ‏@levinassien ·

 
・・・  朝ご飯の前に平田オリザさんの新書タイトル不詳。でも序章のタイトルがいいですよ!「下り坂をそろそろと下る」)の推薦文を書きます。タイトルから分かる通り、「衰退期」を迎えた日本をどう愉快で生産的でラブリーなかたちに導くかについてのきわめて現実的な考察です。


平田オリザさんの本のタイトルは序章と同じ「下り坂をそろそろと下る」(講談社現代新書)でした。僕の推薦文は以下の通りです


日本は衰退期に入った。だが、いまだ多くの人々はその現実から目をそらし、妄想的な『富国強兵』路線にしがみついている。
その中にあって、背筋のきりっと通った『弱国』への軟着陸を提案する“超リアリスト”平田オリザの『立国宣言』」

そういえば、平川くんもわっしいも高橋源ちゃんも、書いていることは「誇り高い弱国へのゆるかなな後退戦をどう愉快にかつ創造的に戦うか」という問いに導かれているようです。


これからの論壇は「ありえない経済成長」のための自滅的な経済政策と「札ビラと砲弾で国威を購う」薄っぺらな外交政策を掲げる人々と、長い後退戦をどうていねいに、きちんと戦い抜くかを自力で考え出そうとする人たちとに二極化してゆくことになるのでしょう。


七つの海を支配した世界帝国からわずか20年で大西洋の島国にまで「縮減する」という大技を繰り出したことでイギリスはみごとに生き延びました。アメリカもおそらく長期的にはアングロサクソンの先輩の「帝国の縮減」モデルを採用することになるでしょう。


「弱国化」プログラムを手持ちの材料と自前の思考力で構想できる国だけが21世紀のヴィジョンを遠望できるのだと思いますそのための戦略は本当の意味で「イノベーティブ」なものでなければなりません。真の「イノベーション」は計画することも、査定することも、予算をつけることもできません。


内田樹氏が「AERA」の原稿に、平田オリザ氏の著書「下り坂をそろそろと下る」のテーマである「衰退期」について書いたという「つづき」です。

内田樹 ‏@levinassien ·


平田さんの本はこんな一節から始まります。「まことに小さな国が、衰退期をむかえようとしている。」これはもちろん司馬遼太郎坂の上の雲』の冒頭の一節の書き換えです

オリジナルはこうです。「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。」明治初年の日本は「開化」に向かっていました。短期的に近代国家を立ち上げるという急務の意味を日本人は理解し、その負荷をわが身に引き受ける覚悟ができていました。それだけ若々しかったということです。


開化期か衰退期かを識別する指標は軍事力や経済力や人口数ではありません。「成長」プロセスにあるか、そうでないかというだけのことです。「成長」とは背が伸びたり、知識が増えたり、技術が身に付くことではありません。変わることです。そして、変わった結果、以前より複雑なものになることです。


今の日本が衰退期にあるのは、人口減のせいでも経済活動の不振のせいでも軍事力の不足のせいでもありません。複雑になることを止めたせいです成長とは「より複雑な生き物になること」です。進化したせいで「単細胞になりました」という生物は存在しません。



成長することで、人間は考え方も感じ方もふるまい方も、それ以前よりも複雑になり、厚みを増し、可塑的なものになります。それが「開化期」にあるということです。衰退期の兆候はその逆です。たしかに社会制度やルールは今もどんどん変化しています。でも、変化した結果、以前よりも単純になっている。


今の日本ではほとんどの場合「システムを変える」は「システムを単純化する」と同義になっています。考え方や感じ方やふるまい方を定型化・常同化することが「変化」だとみんな信じている。だから「変化」に向けて一歩進むごとに、どんどん「単細胞化」している。これは成長ではなく致死的な退化です。


総理大臣は国会答弁について「ロボットに代わってほしかった」と述べたそうです複雑な思考も複雑な修辞も操作できないしする気もない人が統治者として君臨し、国民の半数が彼を支持している日本人はある時点で「複雑になる」ということをどこかで放棄したのでしょう。そのときから衰退が始まった。

日経新聞朝刊の文化欄、「東日本大震災5年 問いかける言葉」の4回目(3/3)は,文芸評論家の加藤典洋氏。「戦後・災後に目をつぶるな」というタイトルの文章ですが、後半の部分を書き移してみます。

震災は昨年70年を迎えた戦後社会の問題をも照射しているとみる。>


 「戦後」と「災後」は悪魔の蛇の下のように2つに分かれている。私たちはこの両方に同時に対応することを求められている。 日本の戦後は、経済成長によって国内的文脈においては終わっただが一方で米軍基地問題など対米従属的な構造があるため、国際的文脈においてまだ終わったとはいえない。そんな跛行(はこう)性の戦後が、今度は「災後」にぶつかった。そういう状況に今の私たちはいる。


 有限性の社会を人間がどう生きるかという災後の問題はすぐには答えが出ないそこから目をそらせようとするかのように、秘密保護法や集団的自衛権など戦後的問題が出てきた。山積する問題の一部をつまみ食いして、別の問題に目をつぶることがあってはならない戦後と災後の問題は同時かつ全方位的に考え尽くすべきものだ


 米神学者のラインホルド・ニーバーは「変えられるものを変える勇気と、変えられぬものを受け入れる冷静さと、そして変えられるものと変えられぬものを識別する知恵を、神よ与えたまえ」と説いた。この言葉を胸に、私たちは難しい時代に向き合わねばならない。

内田樹氏の上の文章を読んだ後でしたので、内田氏の云う「複雑さ」は、加藤氏の「戦後と災後を同時にかつ全方位的に考え尽くすべき」難しい問題に重なってしまいます。この「複雑さ」を引き受けて、「戦後と災後」の難題に立ち向かう人たちこそ、日本の未来を切り開くことが出来る人たちですね。終わらせたくなければ、引き受けて立ち向かわなければならないでしょう。