120年前、夏目漱石、熊本で詠む


◎「今年は夏目漱石が熊本の第五高等学校の教師として熊本にやってきて百二十年、来年は、生誕百五十年の記念の年」なんだそうです。それで、最近よく夏目漱石が取り上げられるのですね。
8日(日曜日)の日経の最終頁の文化欄は「熊本の俳人漱石」というタイトルで、坪内稔典さんが書いておられます。坪内稔典さんは、母の俳句の教室がある千里中央で、何年か前、伊丹三樹彦氏の後を受けて数年、俳句教室の先生でした。母から聞いたところでは、私と同い年で、その頃は大学の先生と掛け持ちだったと思います。このエッセイの中でも、「私の住む箕面勝尾寺」という言葉が出てきますので、あの頃と変わらず箕面に住んでおられるようです。後半部分を書き移してみます:

熊本の俳人漱石     坪内稔典



<前略>


ところで、漱石が熊本にいたのは、一八九六年四月から一九〇〇年七月半ばまで。熊本の漱石は九〇〇余りの俳句を残したが、彼は正岡子規を中心とする新派の俳人として世に知られていた。私はかつて「俳人漱石」(岩波書店)を著し、熊本時代の漱石を「ときめきの俳人」と呼んだが、そんな漱石にあこがれていちはやく門下生になったのが第五高等学校の学生、寺田寅彦だった。因みに、漱石が小説家としてデビューするのは一九五〇年、まだまだ先の話である。


   菫(すみれ)程な小さき人に生まれたし 


   草山に馬放ちけり秋の空


   秋の川真白(ましろ)な石を拾ひけり 


 右は私がことに好きな熊本時代の漱石の句。どの句も光景がすっきりとしてきれいだ。菫、馬、石はいずれも小さなもの、その小さなものが鮮烈なのだ。もしかしたら、熊本の現在の地震による避難所の一隅に漱石の愛した菫が咲いているかもしれない。その菫に気づいた少年や少女がいるのではないか。


   つなみ(海+旧漢字?)去って後すさまじや五月雨(さつきあめ)


 一八九六年六月、三陸地震が発生し、三十メートル近い高さの大津波が沿岸を襲った。漱石がその津波を詠んだのがこの句。「後すさまじ」とは、二万人を超す死者が出たことなどを指すのだろうが、漱石は言葉を失って「後すさまじや」としか言えなかった気きがする。それから百二十年後、地震はかつて漱石がいた熊本に発生した。
 ところで、私の本を作ってくれた熊本のスタッフは、車の中で寝泊まりしていたが、「笑顔で片付け作業を行っている」とメールをしてきた。とてもうれしい。


つぼうち・ねんてん/ 1944年愛媛県生まれ。俳人。句集に「ヤツとオレ」、著書に「もー六俳句ますます盛ん」(桑原武夫学芸賞)など。

(二枚目のバラは、先ほど、雨の小止みの中の蕾です)