五月のお茶のお稽古


昨日は、お昼前に夫が「四国山行―剣山と石鎚・瓶ケ森縦走」に車で同行の仲間をピックアップしながら3人で出かけることに。私は、火曜日からぶり返した咽の痛みで少し熱があり、今週もヨーガは直前で連絡もせずに休んでしまいました。熱が下がらないようなら、お医者さんへと思っていましたが、何とか微熱どまり。ここ数日、三食と洗濯以外は何もしないで、特に水・木の昼間は二階の寝床で本を読んでいたので、「憲法の無意識」(柄谷行人著)を読むことが出来ました。そして、昨日は午後からお茶のお稽古でした。
日傘をさして先生のお宅へ。車庫に車が入っていたので、お二人はすでに…… 玄関先で可愛い紫陽花が咲いていたので写真を撮って中へ。丁度お二人が玄関の三和土におられて、先生が、水盤に活けてあるお花の説明をされていて、お一人が写真を撮っておられるところでした。

お軸は「薫風自南来」、”五月の風が南から吹いて来る”、そして花籠は竹、アヤメと紫陽花ではなくて「七段花(シチダンカ)」といって、六甲の植物園の「幻の花」で、そこから挿し木でもらったものよ、とのこと。我が家の山アジサイより一回り大きく、周りに咲いている花がとてもかわいい咲き方をしています。帰ってからネットで調べました:


七段花(シチダンカ
アジサイの仲間の一つで、幕末の頃にオランダから来日したドイツ人医師シーボルトが植物調査をおこない、その成果をまとめた「日本植物誌」にスケッチで記録されていたシチダンカ・・・。
日本国内で130年間にわたって、これに該当する植物が見つからず、“幻の名花”とうたわれました
昭和34年、六甲山小学校職員の方が偶然にも六甲ケーブル沿いで見慣れない植物に出会い、専門家の同定(種類の判定)でシチダンカであることが分かりました。
以後、六甲山小学校の皆さん方と森林植物園との協力で株を増やし、国内で次第に広がっていきました


5月は炭を使う炉ではなくて、風炉を使います。
棚は涼しげな小ぶりの四方棚(読み方は”よほうだな”)。即中斎好みだそうです。先代の御家元が即中斎さんだったかな。
下の棚に置いてある小ぶりの水差しは佐渡島の無名異焼とか。備前焼に似ていますが、備前より硬質で金属的な光り方をしています。初めて聞く焼き物です。棗はフジの花の絵柄の漆塗り。

無名異焼(むみょういやき)とは


佐渡金銀山中より産出する酸化鉄を含む鉱物を無名異(むみょうい)と言い、それを陶土に用い、高温焼成したものです。
その特徴は、製造工程での生磨きや焼成後の砂研磨という特殊な作業があることです。
又、200目の篩(ふるい)で水簸(すいひ ※)した陶土は微粒子のため約3割も収縮する(通常の焼物は、10〜15%位の収縮です)。そのため製品は非常に硬く、たたくと澄んだ金属音を発し、使用するに従って光沢を増してきます。
   <※水簸(すいひ) 微粒子の粘土を調整する工程で砂や不純物などを取り除く作業。水濾し。>


無名異焼の歴史は、文政2年(1819年)に、伊藤甚平が佐渡金山の坑内で産する無名異を用い楽焼を製造したのに始まり、安政4年(1857年)に伊藤富太郎がその無名異で本焼を始めました。その後、初代・三浦常山は、従来の質のもろい無名異焼を中国の宜興(ぎこう)窯の朱紫泥と同様な堅牢な焼物にしようと努力を重ね、高火度の朱紫泥焼を完成させました。

最初にお茶を点てることになった私が選んだお茶碗は新しい九谷焼
新しいというのは、線描きではなくて、九谷五彩(赤・黄・緑・紫・紺青)の色彩を重ねる手法だからです。
新しいと言っても、「もう30年」になると先生が。夫が一番長く勤めた会社を辞める時にもらった記念品がこの九谷の花瓶でした。
八十吉さんのモノだと高価なので、八十吉風というのでしょうか。この九谷焼のお茶碗は、見るのも、使うのも初めてでした。

三代目の徳田八十吉(1933年9月14日 - 2009年8月26日)は、従来の九谷焼のように、絵柄(山水・人物・花鳥風月)ではなく、色の配色のみで作品を仕上げてるのが大きな特徴です。 色は約70色を使い分け、色の濃淡(グラデーション)のみで作品を仕上げる技法「彩釉(さいゆう)」を生み出しました。また、多くの作家は、従来より上絵の焼成温度は900℃前後でしたが、徳田八十吉は、1000℃前後で焼成していることも特長です。高温で焼成すると、深い色味が出るのです。作品の形状はロクロ成形で、面取成形を使い、多種多様のものがあります。
紺系の色釉を中心に、絶妙な濃淡を使い分け、作品の深みを出しています

蓋置は八つ橋。
喰籠に入れて出された主菓子は、
「落とし文」という名前がついています。
緑色の葉で黄色い餡を包んで、
その緑の葉の上には丸い白露が乗っています
この「落とし文」という和菓子は今の時期によく使われる和菓子です。

先生の説明によりますと、 虫が、くるりと巻いた葉に卵を産み付けて地上に落とした様子が、恋文を相手に気付くように落として拾わせた、昔の“落とし文”に似ていることから、名付けられているそうです。

お客さんに回って、お二人が点てられたお茶を戴きました。九谷焼のお茶碗は、縁より真中に行くほどに周りの色が重なって黒く見えます。そこに泡立ったお抹茶が入ると、見た目にもとても美味しそうなので、途中で飲むのを止めて写真を撮ってみましたが、写っていないようです。
赤い小皿に入れてあるのは、ほうじ茶味の金平糖。京都の老舗の金平糖屋さんの新作?だそうです。
先月は手を痛めておられたためお客さん役だけだったNoさん、今回は立礼式でお点前を。電熱のコードがお部屋を横切っていますが、襖を取ってすだれに変えてあるお部屋の設(しつら)えが涼しげです。
このNoさん、明日は、老人会の会長さんとしてその功績が表彰されるそうです。もう8年、副会長さんが亡くなられてから会長になって、誠心誠意、粉骨砕身、創意工夫をこらして毎日が敬老会のような生活を送っておられますので、表彰されても当然。今月の誕生日で71歳ですが、それでも若手。市の担当者とのやり取りや、他地域の老人会との話し合いとか、催し物の段どりとか全部ヴォランティアですから、なかなかできることではありません。
そして、Naさんからは、ロンドンの可愛いお土産を戴きました。アールグレイのお茶ッ葉が入った缶です。息子さんが海外勤務になり、ご家族とご夫婦でロンドンに行ってこられました。テニスを若いころからやっておられたご主人が、ウィンブルドンを訪ねてコートに立ったら足が震えた、という話に、”なるほど「聖地」だもんね〜”でした。
いつもロングスカートに足袋代わりの白いソックスをはいています。正座の状態から手にお茶碗を持ったり建水を持ったり水差しの薬缶を持ったりして立ち上がるのですが、薄物のスカートの裾が足に絡んでなかなかうまく立ち上がることが出来ません。着物だとこういうことはないのかな・・・なんて思いながら・・・。帰りは先生に庭に植えてあるお茶花の説明を受けながら帰ることに。左下は京都の葵祭の葵です。