月曜の会議とイチローの3000本安打、そして朝のコーヒー


8日の月曜日は、訪問医さんが招集された会議の日でした。隣の両親の応接間。今は父のためにベッドを入れていますので、父の寝室兼居間兼食堂です。食事介助のヘルパーさんに食べさせてもらうときには応接セットのテーブルが食卓にもなります。今朝は、そこへ、ケアマネさん、リハビリステーションのスタッフさん、介護用品のレンタル屋さん、ヘルパーさん、そして、訪問医の先生と看護師さんの6人が集合。両親と私を入れて総勢9人で話し合いです。
先生は以前から、もう、デイサービスに出かけた方がよいと言われていました。家族の者は、歩いている姿を見たことがないので、そんな無茶なという感じでした。山荘の百寿の会に出席したいと言っていた父が、玄関まで出て、上がり框から三和土(たたき)に降りるところで、無理と諦めたことがありました。あのやせ細った脚では、あの段差は無理と私も思っていました。ところがです、昨日は、話し合いが終わって、デイサービスに出かけることに決まったところで、一度歩いてみますか・・・となって、父が玄関まで出てくることに。

いつも使っている籐の杖替わりの支えを取りに行っている間にも、父が玄関まで出てきて、皆さんが大丈夫、大丈夫と言っています。あれ、これは、これは、と、

私はまた我が家の玄関に置いているステップ(木造りのコーナンで500円で買った低い踏み台)を取りに戻りました。それを上がり框において、様子を見ます。父は手すりと、籐の支えを持って上手に足を下して、スリッパを履いて、何でもないという顔をしています。みんなが歓声を挙げて、私も、「お父さんスゴイ、歩けるじゃない!」と。騒ぎを聞きつけて、夫も隣から顔を出して、「お父さん、すごいじゃない!」と。
6月に圧迫骨折で倒れてから、2か月ぶりのことです! ケアマネさんが、「今週の水曜日から、リハビリ行ってもらいます」と宣言。父は、こんなに大勢が自分のために集まってくださったのを意識してか、ずいぶん頑張っています。6月以来2か月ぶりの我が家の玄関です。玄関の上がり框に腰かけて、しばらくして、じゃ、帰ってみますかと、若いスタッフさんの掛け声で、腰を上げると、籐の支えを杖替わりに、さっさと歩いて戻ります、誰が歩けないと言った…みたいな顔をして。みんな大きな声で大騒ぎです。「皆さん、集まってくださったおかげです、頑張らなきゃいけないと思って・・・」と私が言うと、ヘルパーくんが「それもあると思いますよ、きっと」と賛成してくれました。こんなこともあるんですね〜

「8月まで持つかしらと思っていたのに・・・」と私が言うと、ケアマネさんが「そんなぁ〜」と言いながら、思い出して「そうでしたね、あの頃は、そうでした。心配しました」と。痛みで食欲がなくなり、床ずれができるほど寝たきりになって、自分で食べられなくなって、母も、十分長生きしたんだからこのまま楽になりたいのかもしれないね、無理強いはやめよう、なんて二人で話し合ったこともありました。人間の生命力ってわからないものです。
「早くリハビリに行った方が早く元気になり、長生きできます」と長男と同い年の先生がおっしゃるのに、母が「長生きしたいんでしょうか」「そんな、まだやりたいこともあるでしょう」「そうでしょうか、もう、やりつくして、無いんじゃないでしょうか」と母が口応えしています。先生は「連れ合いが元気な間は元気でいたいもんですよ、皆さんそう言います」「それは、そうですね。私はこの人のために生きていますから」と今度は素直に認めていました。
10時過ぎからの6人の会議は大成功でした。ケアマネさんが、これだけの人間がかかわっていますと仰っていましたが、本当にありがたいことです。この場に来ておられない看護師さんやヘルパーさんにもお世話になっていますし、デイサービスのスタッフさんは、みんな100歳のお祝いを言いたくて待ってますから、と言ってくださって。そうなんです、ちょうど誕生日の前の月から行けなくなっていましたので。誕生日のお祝いにいつも素敵な写真立てに入れた写真をお土産に帰っていましたので、母も、誕生日の日には気にしていました。これだけの人たちが父の回復のために働いてくださっている、と思うと本当にありがたいことだと思います。命の限界を勝手に決めてはいけないな〜と思いましたし、生きていることをこんなに喜んでくださる皆さんに囲まれて本当に幸せだな〜とも思いました。海の向こうでは、イチロー選手が3000本安打を達成、大勢の祝福を受けての言葉、「僕が何かをすることで僕以外の人たちが喜んでくれることが、今の僕にとって何よりも大事なことを再認識した瞬間でした。」人は、自分のためじゃなく自分以外の他人(ヒト)のために何かやることが生きがいなんですね。他人に喜んでもらったり、期待されたり、認められたり。父のこの日の皆さんに見守られての初歩きと重なって、イチローさんの言葉に納得、オリンピックでの選手の活躍を見るにつけ、つくづくそう思いました。

昨日は、そのあと、3時から天皇陛下のお気持ちの表明があり、山の道具を片付けていた夫もやってきて二人でテレビの前へ。10分ほどでしたが、お気持ちのこもった内容であり、皇室制度に触れない限りで”個人”としてのお気持ちを述べたいというものでした。自民党憲法草案で、憲法の文言から、「個人」を消して「人」に置き換えるというのが頭にあって、どうしてもここでピンときてしまいます。今の憲法でその地位を国と国民統合の”シンボル(象徴)”と規定された方が、象徴とは…を生きてこられてのメッセージですので、現行憲法の内容そのものを表していると受け止められます。私は、今の状況(安倍政治)のもとでは、好まざるとも、これ(天皇のお気持ちを発表される行為とその内容)は極めて明確な政治性を帯びたことであると思いますが、政治的な問題にならないように気を付けたいし、そういう扱いをしてほしくないなと思いました。


今朝、朝のコーヒーに母を誘うため隣へ。玄関からいつも見えるベッドの中が、珍しくもぬけの殻。部屋に入ると、父が朝食を前にして半分以上終わっている様子。母が、明日からリハビリだと思ってか自分で起きだして、もう「食べてるの、すごいね〜と。じゃ、お父さんも隣でコーヒー飲む?ということになり、夫に、「大変、今日からこっちで飲むって」と。二人がかりで昨日と同じように籐の杖替わりの支えを使い、ステップを置いて、我が家へ移動。長年の定位置の椅子に腰かけ、「2か月ぶりね〜」と思わずみんなで拍手です。こんな日をもう一度迎えられるとは思わなかったのです。母も、「また、ここで一緒に飲めるなんてね〜。皆さんのおかげやね。身内はアカンね。リハビリステーションのお世話になってるスタッフの方の顔を見て、行きたくなったのかね〜。行けるとは思わなかったのに。先生の言ってたことが当たってたね。行ける、行けばもっと元気になる、と早くから仰ってたけど、まさか、と思ってた」。
母の同郷・石川県出身の女子柔道松本薫さんが銅メダル、内村くんの念願、体操男子団体の金メダル、などオリンピックのうれしいニュースと重なって、今朝の父の快挙を喜びました。父も大きくうなづいて、夫のカメラにポーズを取って応えていました。(天皇陛下が仰っているという忘れてならない4つの日のうちの1つ、今日は、長崎原爆の日。その朝の一コマでした)
☆「平成28年 長崎平和宣言」(http://blog.goo.ne.jp/root41_1942/e/f00552d729d7f156e9e2d5fa1977932c?fm=rss
☆「広島平和記念式典」(「平和宣言」)(http://d.hatena.ne.jp/miyotya/20160806