「草案の緊急事態」と「被爆国の首相が核先制不使用反対!?」と城山三郎氏次女の平和運動

毎日放送MBS)のゆるい番組「ちちんぷいぷい」のコーナー”石田ジャーナル”では、石田解説員さんが時々政治の難しい問題を取り上げて優しく解説しています。今週は、「緊急事態とは」でした。



◎問題があるのは、「緊急事態」を誰がどう判断するかですが、草案では、内閣総理大臣の判断によっていかなる状況でも考え方次第で『緊急事態』と決められ、すべての権限が集中すると読めます。これに危機感を感じて、大阪弁護士会はパンフレットを作って注意を促しています。



大阪大空襲の語り部・久保三也子(87)さんは、15歳で学徒動員・終戦まで爆弾工場で働いていた。
「国民を黙らせる方に行かせてる」「憲法より内閣が上位に立ったみたいに命令で押さえつけてごらん、内閣の方が権力持ってる、軍隊や自衛隊をもっててごらん」「国民なんかなんぼけしからんと思うても・・・・」
敗戦後、新しい憲法になって久保さんが「国がこういう方向で行くんなら、私はこの国で生きていけると思った」のは憲法第99条でした。
それなのに・・・「決まったときは大したことなくとも、次々勝手に政府が決めていく。政府のやることをちゃんと見ていて欲しい。自分らが国民主権者なんやから。」
皮肉なものですね、「憲法尊重擁護」の現行憲法第99条に反して、安倍自民党が考える「緊急事態」は自民草案の「第99条」になっています。

◎緊急事態条項はアメリカやフランスではどうなっているか? 憲法の中に書かれている国もあればアメリカのようにもともと大統領権限が強いところは書かれていない。日本はアメリカの占領下、憲法制定時、問題になり、1946年4月の第1回交渉で「災害などの突発によって緊急な立法ないし財政措置を講ずる必要が生じた場合、どうするか?」GHQに聞いた。お手本のアメリカに倣って内閣に権限を持たせる案があったが、結局、国会尊重ということに。フランスは今同時テロを警戒して緊急事態宣言を出していますが、来年1月までの期限があります。そして、しめくくり↓です。

◎2日ほど置いて、「ちちんぷいぷい」のあとの「Nスタ」では、安倍首相がオバマ大統領の「核先制不使用」に反対していたことをワシントンポストが報じたことを取り上げていました。


このニュースを聞いて、誰でも思うのは、オバマ大統領が原爆投下国のアメリカが戦後初めて広島へ来られ、原爆ドームを背に世界に向けてメッセージを読み上げていたとき、安倍首相は殊勝な顔をして傍に立っていたではないか・・・と。腹の中で何を考えていたのか…あの時ついでにメッセージを読んだ安倍首相は、オバマさんも、被爆者も、世界も裏切ったことになります。

8月6日、9日、原爆の日広島市長も長崎市長も訴えました。そしてジュネーブでは若い人たちが一生懸命考えて、世界に核廃絶を訴えています➡
その肝心の日本の首相が、中国の核先制不使用(中国は1964年の最初の原爆実験に成功した直後から「いかなる場合でも中国の方から先に核兵器を使うことはない」という「核の先制不使用」を掲げる一方で、核戦力の近代化と増強を着々と進めた)に応じて(変更を封じ込めることにもなる)、アメリカのオバマ大統領が広島メッセージを一歩を進める「先制不使用」に踏み込もうとするとき、世界唯一の被爆国が、なんという裏切り。首相の資格なしです。
原子爆弾を使用した国が、国内の反対を抑えてでも核先制不使用に踏み切ろうというときに、原子爆弾を落とされた国が、国内の平和への願いを無視して反対するなんて、原子爆弾んで死んだ人たち、今も苦しんでいる人達、核使用反対を訴えてきた人たちへの裏切りです。本当に呆れてしまいます。何を目指しているのか・・・恥ずかしくないの・・・このニュースを伝えたキャスターの最後の言葉、「それでも被爆国の首相ですからねぇ〜」。

◎16日、日経新聞城山三郎さんの次女・井上紀子(57)さんが取り上げられています。2007年に亡くなった城山三郎氏は、「戦争の実態を伝えるために作家になった」と、父の思いを受け継ぎ、「9条の会・茅ケ崎」のメンバー30人の一人として長崎原爆忌の9日にJR茅ヶ崎駅前で「核兵器の廃絶を」「戦争させない」などのメッセージカードを掲げました
井上さんによると、「作家としての原点は戦争だった」。戦争の「大儀」を信じ、敗戦の3か月前、17歳で海軍特別幹部練習生に志願入隊。そこで体験したのは下士官の非人間的ないじめ、玉砕を繰り返すしかなかった戦争の実態、国家の個人に対する裏切り。戦争が長引けば水中特攻隊員としてなくなっていた可能性も。父は戦後なぜ自分は生き残ってしまったのか悩んだ末、戦争を語り継ぐために生かされたと考えるようになった」。
井上さんは集会で、「父は亡くなる直前、『あの戦争で得たのは憲法9条だけだ』と絞り出すような声で話していた」と語り、平和憲法を守る決意を訴えた。