映画「とうもろこしの島」と老医師


この夏と秋の天候不順のため、山行予定がことごとく雨で流れ、夫の無口が続きます。土曜日、前日の夕刊の映画案内で見つけた映画に誘われました。いいよ、と私。この日のランチは、夫が母にもらったカニ缶を使ってパスタを。母も呼んで、三人で350グラム、父のために少し取っておいて、完食。父は、お昼に一人でゆっくり母の準備した食事を時間をかけて食べます。パスタは夕食のワインと一緒に楽しんで食べているそうです。
さて、3時15分、テアトル梅田の「とうもろこしの島」を見るため、出かけました。駅の反対側のスカイビルにあるシネ・リーブルと間違って、余分に歩いてしまいましたが、何とか上映時間に滑り込みました。静かな映画でしたが、内容は劇的。息をのんで見終わりました。
ところで、テアトル梅田は、そういえば、昔、茶屋町のLOFTの地下に何回か一人でも出かけたことがありました。すっかり忘れていました。そして、茶屋町界隈の変わりよう!! 今は若者の街に生まれ変わり、三連休初日でもあって、お祭り騒ぎのような賑わいでした。

映画を見終わってから映画館でもらったチラシの写真に書かれている言葉が映画を紹介していますので載せてみます。
かつてピアニストのブーニンさんが亡命前のソ連時代の唯一の楽しい思い出としてグルジアの首都トビリシの演奏旅行を挙げていました。そのころ、初めてグルジアを知りました。今は、英語読みのジョージアと呼んでほしいとか。そのジョージアの最西端に、アブハジアはあります。アブハジアジョージアの間にはエングリ川が流れていて、その中州にある小さな島がこの映画の舞台です。

アブハジア人はジョージア人とは全く別の、独自の歴史、文化、宗教、言語を持つ。1980年代後半、ジョージア人の民族主義者が、それまで自治共和国だったアブハジアの統合を主張したことに対して、アブハジアが反発。1991年のソ連邦解体を契機に、より分離独立の機運が高まり、1992年の独立宣言後、大規模な軍事衝突が続き、多くの犠牲者、難民がでる。1994年に停戦合意が成立したが、今日も緊張が続いている」(チラシより)
映画はセリフが少なく、淡々とアブハジア人の老人の島での営みを映します。老人は家を建て、土を耕し、火をおこし、魚を取って、火にあぶり、残った魚は塩をして日に干します。内戦で両親を失った孫娘を連れてきて、種をまき、水をやります。とうもろこしの苗は育ち、少女は娘になります。ある日、とうもろこし畑の中に傷ついた敵兵を見つけ、小屋に入れて看病。やがて、癒えた若者と美しい娘は、言葉は通じなくても、背丈を越して成長したとうもろこし畑で仲良くもなります。味方の兵士を乗せた舟がやってきて、老人はワインを注ぎます。老人は敵兵を匿い通します。
ある日、収穫間際のとうもろこし畑に容赦ない雨風が襲い…恐ろしい結末に言葉もありません。そして、また、中州も人も循環を始めます。
いろんな想像が働きます。島はある地域であり、また地球でも。老人と孫娘は、ある地域の人であり、また人類でも。あの島で老人と孫娘の二人の営みは、大自然と人との太古から繰り返される営みの象徴でも。また、人は大自然と対峙しているのに、人同士が争いあって何になる…といっているようでも。グルジアソ連との関係が、アブハジアとの間では入れ子のように繰り返されている。でも、この映画はグルジア映画です。

夜、ETV特集で「福島原発に一番近い病院 ある老医師の孤軍奮闘2000日の記録」を見ました。時間が遅いので、録画して途中でやめるつもりでしたが、やめられなくて最後まで。
福島第一原発から22キロ離れた双葉郡広野町の高野病院。原発事故で患者を避難させることが当然だとされた事故直後から、高野病院長は、患者を動かすことが命を絶つ場合もあると留まることを決めました。その81歳の老医師と支えながら共に働く看護師や医師たち。患者さんの方でも、先生、大丈夫?と老医師をいたわり、自分の気持ちだからと毎週水曜日に栄養ドリンクと一枚のおせんべいを届ける患者さんも。
命を大切にすること、命を全うできるように・・・臨床医として、自分の健康や命を顧みるより、今、病む人たちに、命ある限り、できることをやるのが義務だというこの老医師の生き方・・・。夫が、すごいのを2本も見た、と。私も、なんとも言えない思いで1日を終えました。大きな災厄に対して無力な人間が打ち負かされるというよりも、そんなことがあっても、人は営々と人としての尊厳をかけて生きていくものだという静かな力に圧倒されて・・・。