11月3日は文化の日の祭日。この週、夫は月火水と三晩、山の読図の講習会やコーラスの練習があり、やっとゆっくりした夜、撮り貯めの録画から何か見ようということに。我が家のテレビは、予約していないのに、過去の予約が効いていて勝手に録画します。キチンとチェックして削除しておかないと肝心の見たいものが予約できていないときがあります。この夜がそうでした。日曜夜11時からのNHKの海外ドラマ、トルストイの「戦争と平和」を予約録画して月曜か火曜あたりに見ることにしています。この夜、見ようとしたら録画できていません。それで勝手に録画されたものを削除しがてら、見たいのを見ようとということに。BSプレミアムの「昭和の歌人たち」の山田耕筰が二人で楽しめそうということで見ることに。
由紀さおりさんとお姉さん。他にも水森かおり、クリス・ハート、クミコさんたちが出演。クリスさんの声はまるでボーイ・ソプラノを聞いてるようでしたし、クミコさんの♪チョッキン、チョッキン、チョッキンな〜は、聞いたことのない「あわて床屋」で新鮮でした。最後の「赤とんぼ」の一つ手前で、川中美幸さんが歌った「南天の歌」。これは、初めて聞く歌でしたが、あの永井隆さんの詩に山田耕筰が曲をつけています。病床の永井博士に山田耕筰が文通でやり取りしてできた歌だそうです。川中美幸さん、小ぶしを封印? 山田歌曲の難曲を歌いあげて見事でした。気になって、ネットで歌詞を調べました。そっくり引用です:
山田 耕筰 Kousaku Yamada ( 1886 - 1965 ) 日本
「 南天の花(1949) 」詩: 永井隆
南天の花 咲きぬ
ひそかに 咲きぬ
おもかげは かなしかるもの
この花の しずけさに似て
焼跡に ふたたび生きて
南天の花は 咲きぬ
南天の花 散りぬ
ひそかに 散りぬ
おもかげは ほのかなるもの
この花の はかなさに似て
焼跡に われのみ生きて
南天の花に 泣きぬ
1949年12月作曲 「長崎の哀歌」の副題もついている作品です。詩の永井隆は放射線科の医師、長崎の原爆投下で妻を失い、自らも白血病に苦しみながら被爆者たちを救い、体が動かなくなってからはこの悲劇を語り伝えることを続けながら昭和26年(1951)43歳で亡くなっています。
そんな彼の詩にひそやかなメロディを山田耕筰が付けています。耕筰の妻となったソプラノ、辻輝子の録音がありますが残念ながら現代に歌い継がれる歌とはなっていないようです。
彼の妻が被曝で即死した家で生きのびた南天の木を永井が療養している家に移し替え、その花を眺めながら歌った詩、さりげない言葉の裏に深い悲しみが満ちていますが、穏やかな曲想はそれをとてもさりげなく、さりげなく伝えてくれています。
( 2013.08.02 藤井宏行 )
◎永井隆さんと言えば、ブログで子どもたちへ残す言葉を取り上げたことがありました。今は戦争放棄の憲法ができて平和国家として再出発できているが、世の中には必ず戦争したい人が出てきて、九条を破棄しようとする、そんなときは、子どもたちよ、戦ってでも、九条を守るのですよと言う内容でした。そんなことを思いながら茶の間のテレビをつけたら、報道ステーションが憲法公布の日に寄せて、佐藤功という方の「憲法と君たち」を取り上げていました。「今日、公布から70年.”憲法”に託された思い…」というコーナーが始まったところでした。
- 作者: 佐藤功,木村草太
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内閣法制局の参事官として憲法の制定に携わった佐藤功さんは、朝鮮戦争と同時に作られた警察予備隊が2年後には保安隊、そのまた2年後には自衛隊に変わり、その内、憲法を変えて軍隊を持てるようにという動きの中、憲法についての本を書きます。
「父はまた戦争が繰り返されて、言論の自由や表現の自由が侵され、基本的人権が失われる世の中が来るのではないかという強い危機感があった思う。悲惨な戦争を繰り返させないためにどうしたらよいのかという思いで書いたのだと思います」と佐藤さんの長女まきこ(68)さんが語ります。そして今「さまざまな改憲か護憲かと国論が二分されるような状態になってきたので、もう一度復刻を呼び掛けたところ、たくさんの出版社からオファーがきて」復刻版が出版されることになったそうです。
内容を少し紹介していました:
日本の国民は戦争を放棄する。
そして戦争のために必要な軍隊はいっさい持たないということを今の憲法が決めたのだ。
基本的人権や民主主義ということは、今の憲法でほかの国に追いついたことなのだ。
だけど、平和だけは違う。戦争放棄の点だけは違う。ほかの国が日本よりおくれているのだ。ほかの国がその点では日本のまねをしなければならない。それが今の日本の憲法の中で一番わたしたちが、君たちが、
世界にむかって誇ってよいことじゃないだろうか。
◎永井隆博士の強い危機感も文章に残っています。放射線障害に病む病床にいて子の行く末、この国の行く末がどんなにか気がかりだったことでしょう。「いとし子よ」からです。(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20150814/1439536804)
「戦争が長びくうちには、はじめ戦争をやり出したときの名分なんかどこかに消えてしまい、
戦争がすんだころには、勝ったほうも負けたほうも、なんの目的でこんな大騒ぎをしたのかわからぬことさえある。
そうして、生き残った人びとはむごたらしい戦場の跡を眺め、口をそろえて、――戦争はもうこりごりだ。
これっきり戦争を永久にやめることにしよう!そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、なんとなくもやもやと戦争がしたくなってくるのである。
どうして人間は、こうも愚かなものであろうか?
私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。…
わが子よ!
憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。
憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。
どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。
自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。
これこそ、戦争の惨禍に目覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。
「しかし理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。
日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、
と叫ぶ声が出ないとも限らない。そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて、
世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。
「もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ…誠一よ、カヤノよ、
たとい最後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、
きっぱりと◆戦争絶対反対◆を叫び続け、叫び通しておくれ!
たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても
◆戦争絶対反対◆の叫びを守っておくれ!
(写真は3日の唐池公園)