カストロとゲバラと広島+福島

メイプルストリートの楓が成長して
紅葉の美しい通りになりました。
生コンの建材屋さんの手前までの
短い区間ですが、見頃です。
◎国会が大変なことになっています。
民主主義国家の国会とは到底思えない…

内田樹さんがリツイート 前田 直人 ‏@Nao_Maeda_Asahi 11月25日
山本有二農林水産相の発言、今回の萩生田光一官房副長官の発言などで「予告済み」の強行採決であるかのように繰り返される。異常なことだ]→「予告済み強行採決が繰り返されている」 共産・志位氏:朝日新聞デジタル(http://www.asahi.com/articles/ASJCT6VJZJCTUTFK023.html)


山崎 雅弘さんがリツイート Shigeshi ‏@shigeshi711 11月26日
安倍晋三は、年金カット法案の採決時、「私が述べたことを理解しないなら、何時間やっても一緒だ」と言い放った。これは、自分の言うことを聞かなければ、時間が経てば強行採決するのみと言う、独裁政治の本音を吐露した言葉だ全ての法案は、作れば必ず通る。もう、国会は、存在意義は無くなった。


キューバフィデル・カストロ氏が25日に亡くなったというニュース。とうとう、という感じですが、まだ90歳だったのですね。私の年代で思い出すのはキューバ革命(1959)とキューバ危機(1962)。冷戦期のアメリカの目と鼻の先に社会主義国キューバ誕生。フルシチョフケネディの一触即発の核戦争危機でした。
オバマ大統領は昨年、そのキューバと54年ぶりの国交回復合意を成し遂げましたが、トランプ次期大統領は”野蛮な独裁者”と相変わらずの毒舌で、合意見直しをしかねない様子です。
日本との直接の関係で思い出すのは、広島を訪ねたゲバラカストロ両氏が残した言葉です。二人が一流の革命家であり政治家であったことがわかります。あまり知られていない二人の、そしてゲバラの娘さんの広島訪問について書いておられる2010年の記事を見つけました。(引用元:「クーバファーム奮闘日記」http://yaplog.jp/cuba/archive/129)(二人の写真はネットから。下2枚はブログから)


1959年7月15日、キューバ革命からわずか半年後、
 チェ・ゲバラは、使節団を引き連れて、団長として日本を訪問しています。(31歳のときです)
 このことは、唯一「朝日新聞」が取り上げただけで、ほぼマスコミは無視しました。


 23日には、愛知県のトヨタ自動車工場や、新三菱重工の飛行機製作の現場を見学。
 24日には久保田鉄工・堺工場を見学し、丸紅、鐘紡と回って、
 夕方には、大阪商工会議所主催のパーティーに出席しました。 

 
 当時、ゲバラは日本では無名に近く、通産相の池田隼人とは、わずか15分だけ面会しただけでした。
 今から思えば、ずいぶん非礼な扱いを受けたようです。
 (でも、翌年には日本とキューバの通商協定が締結され、現在も継続中です。)


  24日に大阪に泊まった際、広島が大阪から遠くない事を知り、ゲバラは「ゲリラ作戦」を敢行しました。
 翌日(25日)、神戸の川崎造船所を視察した後に、オマール・フェルナンデス大尉とマリオ・アルスガライ駐日大使を伴って、全日空機で岩国空港に飛びました

 

 ゲバラは、広島県庁職員案内の下、広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆資料館と原爆病院を訪れました


 中国新聞の記者であった林立雄氏が単独取材したさいに、
 「なぜ日本人はアメリカに対して、原爆投下の責任を問わないのか」と、ゲバラは言ったそうです。


 ゲバラが広島の状況に驚愕し、その事実をキューバに帰って報告して以来、 キューバでは現在でも、初等教育で広島と長崎への原爆投下をとりあげています 


  日本では、「8月6日」と「8月9日」が忘れ去られる傾向があるだけに
 キューバの教育のすばらしさに、目を見張るものがあります。
 (もちろん、キューバの教育はすべて無料であることを付け加えておきます。)


 カストロも2003年に、広島を訪問し、慰霊碑に顕花しています

                                
 娘のアレイダ・ゲバラも2008年5月に原爆死没者慰霊碑を訪れています

チェ・ゲバラには「原爆の悲劇から立ち直る日本」という著作があるそうです。これを読んだ方のブログの一言感想には、

1959年キューバ革命のあとチェ・ゲバラは来日し、ヒロシマを訪れた。そこで彼がみたのは驚くべき経済復興の姿であるが、同時にそこに、原爆の悲劇の痕跡がまったく見当たらないことにむしろ戸惑っており日本が原爆の悲劇から「立ち直っている」のではなく、米国の核の傘下にいて、そのようにみえているにすぎない、と言い切っている点が注目される。

☆全文はコチラで:http://ameblo.jp/ohjing/entry-11640397065.html
ゲバラの広島訪問の報告をカストロが教育に取り入れ、広島・長崎への原爆投下はキューバの教科書に記載されているというのは、感動します。そして、ゲバラに遅れること40数年、21世紀に入ってカストロ氏は広島訪問を実現。
★それでは、二人の残した言葉です:

チェ・ゲバラ
《「痛ましいのは原爆が投下されて14年たった今年も後遺症で多くの人が亡くなっていることだ
資料館では、胸が引き裂かれるような場面を見た」(帰国後キューバの新聞に寄稿)》
 

革命の同志、キューバフィデル・カストロ国家評議会議長(当時)も2003年3月に広島を訪問。資料館で「このような野蛮な行為を決して犯すことのないように」と記帳しました。帰国後、このようなメッセージを広島市に届けました。


カストロ議長】
《「何百、何千万の人々があの地を訪れるべきだ。あそこで起こったことを人類が真に知るために」「あの攻撃はまったく必要のないもので、モラル上も正当化できない」「日本国民は一言も恨みを発しなかった。それどころかそのようなことが2度と起こらないよう平和を願う記念碑を建てた」(帰国後に国会で演説)》



◎ここまで昨日下書きしていたら、夜の報道ステーションカストロ氏の日本とのかかわりが取り上げられていました。
2003年の広島訪問以降にも、2012年のキューバでのエピソードが。
2011年の福島原発事故後のことです。
核への怒り、核被害者への優しい気持ちは終生変わらなかったようですね。
記事がありましたのでコチラ:<「好々爺」「オーラ感じた」 カストロ氏、日本にも縁 2016年11月26日>(http://www.asahi.com/articles/photo/AS20161126002485.html