沖縄と北方領土と「一身独立して一国独立す」(福沢諭吉)


(2つ目です)
オスプレイが墜落したのは13日の夜ということでした。一夜明けて、墜落は「不時着」とか「着水」とか「不時着水」なんて言われ方も。抗議に出かけた沖縄県の副知事さんには謝罪はなく「パイロットは民家を避けた」のだから感謝されるべきと軍の責任者が言ったとか。副知事さんはその対応に”植民地丸出し”と述べていました。翌日、山口の宇部空港から真北にあたる日本海側の山の中の安倍首相ごひいきの山荘旅館でロシアのプーチン大統領を迎えて日ロの首脳会談。プーチン氏は、シリア・アレッポの緊急情勢の対応で(という説あり)出発が遅れ、3時間の遅刻。翌16日には東京に場所を変えて、会談後、共同記者発表。
(参照:「リテラ」<「プーチン訪日」大失敗をごまかす安倍官邸の情報操作にマスコミが丸乗り! ただのプレス発表を共同声明と>http://lite-ra.com/2016/12/post-2777.html
◎この会談の内容については、前もって発表がありました。いつも両親が読んだ後渡してくれる讀賣新聞13日夕刊にデカデカとプーチン氏インタビュー記事が掲載されました。実際には7日、モスクワのクレムリン(大統領府)で約80分間、読売新聞東京本社の溝口編集局長と日本テレビ放送網の粕谷解説委員長の質問にプーチン氏が答えました。一面から、二面、三面と使って大きな写真入りで詳細に内容が掲載。会談後の中身はこの通りでした。
インタビュー記事のプーチン氏の言い分は「日本はロシアへの制裁に加わった。制裁を受けたまま、どうやって経済関係を新しいより高いレベルに発展させるのか? 日本が(米国との)同盟で負う義務の枠内で、露日の合意がどのくらい実現できるのか、我々は見極めなければならない。日本はどの程度、独自に物事を決められるのか。」
◎ロシアにとっては、日本との平和条約締結の問題はあっても、領土問題はないという姿勢です。これをプーチン氏来日直前に大ニュースとして発表した狙いは、会談の中身は北方領土返還ではなくて経済協力に変更という方向転換を前もって読者に徹底させたいため?だったのかも。


◎沖縄でのオスプレイの墜落と米軍の『植民地的』対応、プーチン氏に「日米同盟の枠内で日本はどの程度自分のことを自分で決められるのか?」と言われてしまう。この相次ぐ2つの出来事は、日本が本当に独立国なのか、アメリカの同盟国という対等の立場ではなく、アメリカの言いなりに甘んじている従属国ではないか、という問題を考えるチャンスだと思います。
この問題を考えるとき、思い出す言葉があります。以前、NHKで日本と朝鮮半島との歴史を扱った番組で知った「一身独立して一国独立す」という言葉です。福沢諭吉の言葉ということで、もう少し詳しく知りたいと思いネットで探ってみました。以下コピーです。

強い日本は、「一身独立して一国独立す 」より


国と国とは同等なれども、国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶること能(あた)わず。その次第三ヵ条あり。


第一条 独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず


独立とは自分にて自分の身を支配し他によりすがる心なきを言う。みずから物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵によらざる独立なり。 みずから心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財によらざる独立なり。


外国へ対して自国を守るに当たり、その国人に独立の気力ある者は国を思うこと深切にして、独立の気力なき者は不深切なること推して知るべきなり


第二条 内に居て独立の地位を得ざる者は、外にありて外国人に接するときもまた独立の権義を伸ぶること能わず。


独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛(へつら)うものなり常に人を恐れ人に諛う者はしだいにこれに慣れ、その面の皮、鉄のごとくなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。いわゆる「習い、性となる」とはこのことにて、慣れたることは容易に改め難きものなり


第三条 独立の気力なき者は人に依頼して悪事をなすことあり


世間に外国人の名目を借る者はあらずや。余輩いまだその確証を得ざるゆえ明らかにここに論ずること能わざれども、昔日のことを思えば今の世の中にも疑念なきを得ず。こののち万々一も外国人雑居などの場合に及び、その名目を借りて奸(かん)を働く者あらば、国の禍(わざわい)、 実に言うべからざるべしゆえに人民に独立の気力なきはその取扱いに便利などとて油断すべからず。禍は思わぬところに起こるものなり。国民に独立の気力いよいよ少なければ、国を売るの禍もまたしたがってますます大なるべしすなわちこの条のはじめに言える、人に依頼して悪事をなすとはこのことなり。


右三ヵ条に言うところはみな、人民に独立の心なきより生ずる災害なり今の世に生まれいやしくも愛国の意あらん者は、官私を問わずまず自己の独立を謀(はか)り、余力あらば他人の独立を助け成すべし。

福沢諭吉著「学問のすすめ」より一部抜粋)
(引用元:http://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/45337336.html


大正デモクラシーの時代に日本の個人としての”独立”(自立心)が育まれたのではと私は両親の生き方を見て思っています。両親の自立心や自尊心は戦後育ちの私よりスゴイと思うことがたびたびです。福沢さんの独立の三カ条、どれも耳が痛い。第二条は自国の防衛を丸ごとアメリカに任せてしまった日本のことを言われているようです。第三条も外務官僚など当てはまりそうです。白洲次郎氏が、晩年、自民党政府の不甲斐なさに、”やれるものならやってみろ”と自前の日本防衛を国民に訴えてでもやる気があるのか嘆いている文章を読んだことがあります。トランプ氏に「金を払わないなら米軍を引き上げる」と言われたとき、「どうぞ沖縄からも本土や首都からも米軍はお引き取りください。日本の国は自衛隊で守ります」と言ってみたいものです。
内田樹氏のツィートです:

内田樹 ‏@levinassien 12月17日
領土問題でプーチンが譲歩してくるという予測が官邸にあったようですけれど、いったいいかなる根拠があってのことだったのでしょう。外交において「主観的願望を以て客観的情勢判断に代える」というのは絶対の禁じ手のはずです頭の中で思うことは止められないけれど、口に出さないでしょ、ふつう。


北方領土問題は「南方領土」問題との関連問題です。沖縄を米軍が「占領」している限りロシアがそれを放置したまま北方領土の「占領」を止めることはありえません。ソ連時代にそう明言しています誰が考えても北方領土問題は沖縄からの米軍基地撤去とセットでしか議論にならないのに。


日本にとっては北方領土と「南方領土」が同時的に返還されて、国家主権をいくぶんか回復できるわけですから、それがベストの選択であるはずなのに、「それがベストの選択である」という常識的見解を述べることが抑圧されている。それでは二つの「領土問題」はどちらも解決できるはずがない。