塚本幼稚園新体制 と、友あり遠方より来る・・・

◎塚本幼稚園のホームページに新理事長のあいさつ文が載りました。新体制でのスタートです。
森友学園、大騒ぎになりましたが、塚本幼稚園の新理事長のあいさつ文を読む限り、反省はまともで歓迎すべき内容だと思いました。「あんな学校ができたら大阪の恥」と先月の平家物語の講座では皆が思っていたのですが、「瑞穂の国記念小學院」の開校もなくなりました。大騒ぎの結果、地元ではよい結果になっています。あとは、国会です。国会議員さん、自民党の議員さんも含めて、しっかり頑張ってください。(森友学園新理事長の挨拶文はこちら:http://www.tukamotoyouchien.ed.jp/wp-content/uploads/07216f9fab6acf7d288005900360f996.pdf


◎さて、先週、山口のWさんから電話があり、伊丹の長女さんのお宅に東京の次女さんと息子たちが泊って、京都でお墓(二人にとっては両親でWさんの亡きご主人と病没されたという先妻さんの)参りした後の30日、中津のホテルをとるので、31日箕面で会えないかとの連絡。以前は子供会の世話役メンバーを中心に6,7人も集まったのですが、認知症の方が二人、寝たきりの方が一人、鬱の方が一人、体調思わしくないという方が一人。元気なのは、千葉へ引っ越したFさんと、ヨーガ仲間のSさん、この日、かつての勤め先の同期会と重なって残念と連絡があったUさんと私だけになりました。
このころには桜並木のトンネルの桜も満開かと思っていましたが、前日、ぽかぽか陽気で、モクレンと桜の古木が切り倒された後に植えられた若木の1本だけに花が咲いていました。一転、金曜日は雨の寒い日になりました。10時半ごろチャイムが鳴って外に出るとキャリーバッグを横にWさんが。何年振りかの再会です。ホテルから大阪行きのリムジンバスが出ていたので阪急電車で来たとのこと。あちこち、家が新しくなったり空き地が埋まったりでわからなくなったとも。
お昼は、ここ半年夫が週一回は作ってくれるようになったパスタ料理でおもてなし。ちょうどお天気も雨模様、外に行けない夫の気晴らしにも料理は丁度良いので、お願いしました。私は先にスープを作って、レタスとキュウリとトマトを刻んでパックに入れ、玉ねぎのみじん切りを作ってサラダの下準備OK。

夫が準備をしている間、Wさんと積もる話をして、私たちよりずっと以前にスペイン旅行もされていたので、パソコンを取り出してブログのスペインの写真を一緒に見たり。11時過ぎ、隣の父の週一回の看護師さんの訪問も終わるころなので、母に連絡するため隣へ。お昼は、母が以前使ってと渡してくれていたカニ缶を使ったトマト味のパスタができました。ケッパーや松の実やオリーブが複雑な味を醸し出していて上出来。四人で美味しい美味しいと言いながら戴くことに。さすが半年も続けると夫のイタリアンの腕も上がっています。
流しで夫が片づけ物をしている間、こちらでは母がWさんの三人のお孫さんの写真を見ながら、話しています。「後妻で来て大変な苦労をして育てて、今度は、ご主人が病気、定年後2年で亡くなられた後、二人の娘を苦労して育てて、二人とも結婚させて、大変だったわね。それから山口へ戻ってお母さんと9年間、親孝行できて、お母さんも喜んでおられたでしょう。でも若い時、苦労しといて良かったんじゃない。今はこんな可愛いお孫さんたちからお祖母ちゃんと言われて、長女さんとこには泊めてもらったり、今、幸せでしょう」「そうなんです、今は、何にも思い煩うことがなくて、本当に、幸せです。朝起きて、同じように明日を迎えられたらいいなとしか思わないです」と。

1時ころ、父の分のパスタのお皿を持って母が隣へ引き上げていきました。そのあと、Sさんが来られて、今度は3人でお喋りです。桜餅を銘々皿に取って、コーヒーを淹れました。Sさんからは手作りのショウガジャムをいただいて、Wさんには布製のバッグのお土産。Wさんから送られた着物の中に化繊のがあったのでと割烹着のようなものを作ったから良かったら…と出されたのをWさんがセーターの上に早速試着。「本当はモンペがほしいの」なんて言いつつ、”これは良いわ〜”と、キャリーバッグの中に収めておられました。3時ごろ、お茶を淹れるので、Sさんに布製小物入れの御礼を言いたいと言っていた母を呼ぶついでに、父にはコーヒーと桜餅を小盆に乗せて届けることに。
今度は、女4人でお喋りです。母は最近、スーパーマーケットのベンチでたまたま隣に座った88歳の女性と交わした会話を披露したり、昨年の秋の白内障の手術の話をしたり、元気で過ごす秘訣を聞かれて日頃の生活ぶりを話したりお茶飲み話に花が咲きました。Wさんが、京都で行列ができているお店で買ったという和菓子をお土産に下さったので、お抹茶を点てることに。お菓子は「満月」というお菓子屋さんの「阿闍梨餅(あじゃりもち)」でしたが、餡を薄く包んだ周りのお餅が小豆の甘さと絶妙のバランス、とても美味しい和菓子でした。京都のお土産に覚えておこう!

Wさんも前日長女さんのお宅でみんなに聞かれたと言っていましたが、Wさんと私のなれそめ。Wさんの次女のUさんが小学校3年生、お姉さんはもう中学生だったかも(思春期に新しいお母さんで大変でしたね)。我が家の長男が4年生、次男は2年生でした。子ども会の役が回ってきた者同士、唐池公園で集まって、くじを引きました。Wさんが会長のくじを引いて、困ったWさんが「私は自分で子どもを育ててきたわけじゃなくて途中からなので学校や地域のことは何にもわからない」と言われました。それを聞いた私が役を交替したのが、そもそもの始まりでした。一年終わった後も、家に呼んでくださって、Fさんと二人でお茶を飲みに行ったり、二組の夫婦をお正月に呼んでもらったり。ご主人が内緒で保証人の判を押したせいで家を手放すことになり、移り住んだ借家が今度は阪神大震災の被害を受けてまた引っ越し。Fさんと二人、どうしてこうも不幸が続くのと胸を詰まらせて話したこともありました。
でもその都度、苦労を苦労と感じさせず、いつも明るく過ごしてこられたのを身近に見てきました。ご主人がパーキンソン病を発症された時も、パリまで二人で旅行されたり、国内旅行や日帰り旅行と出来る範囲で楽しみを見つけて二人で過ごされていました。人生のお手本であり、生き方で一番影響を受けた方だと思います。

徳山からバスで一時間の山の中の畑と田んぼに囲まれた一軒家で、お母さま亡きあと、愛犬と愛猫二匹を腕の中で看取って、今は一人暮らし。最近、ご近所の50代の若い方たちが子育て卒業で余裕が出きて、お茶に誘ったら来られることになったとか。コーヒーはいつもあるので声をかけてくれれば我が家はいつでもOKだからとお茶会をすることになったそうです。若い方の車で時にはランチや買い物に出かけたりも。私たちも初めのころそうやって招いて戴きました。どこに移っても住みこなし上手で、お茶に伺うとテーブルにはクロスをかけて小花が飾ってあり、まるでカフェでした。山口はまだ田舎だからとっても喜ばれるのと仰っていましたが分かる気がします。いつでもどこでもお友達に恵まれて本当に生き方上手です。
さて、6時の新幹線というので、5時前夫の車で千里中央まで。箕面の地下鉄御堂筋線延伸工事中の新箕面駅あたりに看板が出ていました。2020年完成。「私は80か〜」という声が後ろの座席から聞こえました。6時半ごろ、夕食の支度をしていると携帯に、イタリアンのお礼と今新神戸駅通過というメッセージが入りました。友あり遠方より来る また楽しからずや…でした。
(ビーズ織のブローチはこの日私が胸につけていたもの。箕面におられる頃にWさんから頂いたものです。Sさんは、山口に行ってからUさんと私と3人に作ってくださったビーズ織りの大作を胸元につけてこられていました)