「福島の放射能汚染の特徴としての『曖昧な喪失』」(宇野田陽子さん)

(「さくらのトンネル」に次いで2つ目です)
衆院選に向けて「原発ゼロ」で4野党が政策合意!後戻りしないで、しっかり共闘が組めるようになってほしいですね、今は国難の時です。

想田和弘‏ 4月5日
@KazuhiroSoda
この動きを歓迎します主権者は安倍政権とその政策を積極的に支持しているわけではない。欠けていると思われているのは受け皿。→衆院選へ「原発ゼロ目指す」=4野党が政策合意時事ドットコム(http://www.jiji.com/jc/article?k=2017040500792&g=pol)


◎手元に4月2日発行の「積み木」があります。
近くにある豊能障害者労働センターの機関紙です。福島県郡山市から障害児を含む家族を招いて春休みの保養プロジェクトとして箕面や能勢で楽しい企画をいろいろ考えて取り組んでおられた宇野田陽子さんという方が福島についての記事を書いておられます。
センターのお許しを得て(Tさん、ありがとう)そのままそっくり書き移してみます。ぜひ読んでみてください。

福島の人々に教えてもらったこと
         そして六度目の三月を前に考えていること                                                     
                                 宇野田 陽子

 

 福島県では、避難指示区域の解除が「予定通り」進められていますが、実際に解除された自治体への住民への住民の帰還率は10%程度にとどまっています。一方で、避難先での子供へのいじめが社会問題化しています。震災から六年、「曖昧な喪失」に深く傷つき続けた人々が、「明確な喪失」をさらに経験する状況も進行しています。 「ゆっくりすっぺin関西」では、遠い関西からもしっかりと思いをはせ、出会って共にいられる場を決して閉ざさず、今年も福島県の障害のある子どもの保養プロジェクトを続けていきます。


 2012年の初夏のことです。東日本大震災東京電力福島第一原発事故の後に福島県浜通りに通いはじめた私は、保養キャンプの説明に訪れた南相馬市で、障害のある子を育てるお母さんからこんなことを言われたことがありました。 「この子は社会で受け入れてもらえるかどうかわからないから、避難や移住をした先で馬鹿にされたり厄介者扱いされたりするくらいだったら、ここで被曝して死んだってかまわないと思ってました」。私はこのことばに驚愕し、そして「納得」したのを覚えています。



 この五年半、南相馬市を中心に福島を訪問し続け、いろいろな場所でいろいろな立場の人たちからお話を聞いたり、一緒に活動したりする中で多くのことを学びました。医療スタッフや介護者の不足が深刻なこと。今も震災(原発事故)関連死者数は浜通りの人々を中心に増え続けていること。避難指示が長期に及んだ地域では増加した野生動物による被害が見過ごせないレベルであること。うつ病など精神的な不調を訴える人が増加していること。避難者と地元住民の間にさまざまな軋轢(あつれき)があること。昨年一〇月には原発事故で避難を強いられた人々のための災害公営住宅でも孤独死する人が出てしまったこと。


 ある心理士さんから教えてもらったのは、放射能汚染がもたらす被害の特徴としての「曖昧な喪失」という概念でした。原発事故がもたらした、はっきりしないまま解決することも決着を見ることも不可能な喪失体験が、人々を深く傷つけ続けているというのです例えば、そこに我が家があるのに帰れないまま朽ち果てていくのを見ていなければならない辛さ、健康を失ったのか失っていないのかわからないままに不安な日々を過ごさざるを得ない苦しさ、といったことです


  昨年秋にお会いしたスクールカウンセラーさんは、「五年が経過して、曖昧な喪失に苦しんできた人々が、決断によって明確な喪失をさらに経験するケースが増えるのではないか」と話してくれました。もうふるさとには帰らない、と決断する人もいるでしょう。もう農業を再開することはあきらめる、と決断する人もいるでしょう。震災の「災」の部分は、今もまさに現在進行形なのだと思い知らされます



 私が定期的に訪問している南相馬市児童発達支援センターでも、通所する子どもたちの環境にいろいろな変化がでてきているようです。一二月に訪問した際、そうした状況についてお話を聞く機会があったので、私が「やはりこれは震災の影響でしょうか」と先生に何度か問いかけたところ、先生は「うーん」と考え込んだまま肯定されませんでした。なぜ先生があのとき同意しなかったのかと、後で私なりに考えてはっと気づきました。六年近い時間経過の中でいろいろなことが複雑に絡み合い、きっとあの地では「震災の影響によること」と「震災の影響ではないこと」を明確に分けることなどもう不可能なのではないか。「震災の影響です」と言い出したらどれもこれも震災の影響だし、そもそも「震災の影響です」といっても何を言ったことにもならないのでしょう。そう考えたときに、そんな質問をしてしまった自分が恥ずかしくてたまらなくなりました。


 その一方で、現地を訪問すると、未来をまなざして一歩踏み出そうとするたくさんの人々の姿に出会います。しかし社会からの一筋縄ではいかない反応とも向き合っていかなければならないのが、原発事故の被災地ゆえの難しさでもあります。



 今年の二月に、夏の高校演劇大会でも高い評価を得た作品をいくつか観る機会を得ました。福島の高校生たちが、震災と原発事故の問題と格闘して舞台を作り上げている姿は胸に迫るものがあり、ぜひとも関西の人たちにも見てもらいたいと思います。会津若松市で見た大沼高校演劇部の「よろずやマリー」では、津波原発事故で被災して遠い町に避難してきた女性が、ふるさとの沿岸部から集めてきたものを家の内外に大量に置いている「よろずや」を舞台にしています。心無い外部の人からの罵詈雑言(ばりぞうごん)が投げつけられるとき、同じく沿岸部から避難してきた少女がこう叫び返す場面がありました。「何にも知らないくせに勝手なことを言うな!震災のことも、原発事故のことももうすっかり忘れているくせに!何も知らないくせに!」


 私たちは震災と原発がもたらした災いに向き合う人々について、精いっぱいの想像力を働かせて、自分たちはいったい何をわかっていないのかをじっくりと考えてみるときなのだと思うのです。次々に報じられる原発避難者に対するいじめ問題が暗示するように、原発事故が社会にもたらす痛みやひずみが、これからさらに明らかになっていくかもしれません。現地の状況を理解しようとするとき、原発事故の災厄が降りかかる以前からその地に存在したさまざまな歴史や社会問題を視野に入れながら、人々の話に耳を傾けて、言外の意味をくみとろうとすることが求められます。冒頭で紹介したお母さんの言葉は、そのことを教えてくれたと思います。



 遠く関西で暮らしていると、なかなかわからないことばかり、でも、わかったつもりや、わかりやすいストーリーに回収することに逃げ込まずにいたいと思います。わかりあえたらうれしいことですが、もしわかりあえなかったとしても、出会って共にいられる場を決して閉ざさずにいることがとても大切なのではないでしょうか。ゆっくりすっぺin関西も、そんな取り組みの一つとして、ささやかながら出会いと対話の場であり続けられたらと思います。

宇野田 陽子(うのだ ようこ)プロフィール
1968年鳥取県生まれ。大阪府豊中市在住。言語聴覚士として兵庫県宝塚市内のクリニックに勤務。
1996年よりノーニュークス・アジアフォーラムのメンバーとして核も原発もない未来を目指すアジア地域の仲間づくりに関わる。
2011年5月より、福島を中心に毎月東北を訪問し、子どもの遊び場活動、言語聴覚士としての医療支援などにも取り組む。保養を進める関西ネットワーク運営委員。

(サンルーム正面にある椿の花と、あとは母が世話をしている庭の花:雪柳、ハナニラツルニチニチソウハナニラとラッパ水仙