水曜日、近畿地方は梅雨明け。前日の連休明け、光熱費やコープさんへの支払いの為、銀行巡りをしなくてはと日傘を差して外へ。メイプル通りに入る手前あたりで、ご近所(一筋北)のSさんとばったり。4月の自治会だよりにご主人の訃報が載っていたので、まずお悔やみを。「散歩されているご主人が我が家の前を通っておられたので」と言ったら、「入院する前日まで散歩してたのよ、急だったの」とのこと。「それで、今は一人?」「そう」。
以前、出会った時はギックリ腰か圧迫骨折だかでコルセットをして、恐る恐る歩いておられたのでした。両親の話になり、95歳の母がまだ一人で父の面倒を見て頑張ってるけど、私はあんまりすることがなくて、お茶に誘ってるだけ。午前中は母に、午後は両親に「お茶飲まない〜」と声をかけるだけと話したら、「それが良いのよ」と、ご自身のお母さんの話を。2,3軒置いたすぐ近くに長男夫妻が住んでおられたけれど、亡くなる直前まで自分のことは自分ですると一人で暮らしていて、それが良かったと言ってたので私もそうしたいと。「そう、いいお手本ね」と言ってから、最近、我が家の前で立ち話をした3軒東隣りの”せっちゃん”の話をしました。
”せっちゃん”は、私と同い年生まれで学年は一つ上。私が外に出ていると声をかけて立ち話をすることが一年に一度ほど。父の姿を見ないけど、どう?と聞いてくださったので、去年は大変だったけど今年は元気。母も施設へ入れるのは可哀そうだからと言って頑張ってるので、私は余り手伝うことがないのよ、と言うと、それが良いのよ、と誉めて?くれます。
それからが、すごい話。せつ子さんは『医者にかからないことにしてる』んだそうです。「私は両親より早く死ねないけど、今は、無事見送ることを願ってるだけ…」と言ったら、「私はもう両親を見送ったから、そんなに生きていたいとは思わない。それで、自然にしてる。お医者さんには行かないので、自分の血圧がどのくらいなんて測ったことないし、知らない。それで、ええねん。倒れたら救急車で運ばれて、それで終わりで、本望。延命はいらんと子供らにようよう言うてあるし」と。なるほど、そういう生き方もあるかと思いました。私も余りお医者さんには行かないし、今のところ、風邪が長引いて年に一度咽喉のお薬をもらうだけですが、そんなに徹底しているわけではないので、せつ子さんの話には感心?しました。
それで、そのお話をしたら、Sさんが、「私も、それでいいと思うわ」と。「市からくる検査、行ってる?」と聞かれたので「検査の書類見て、もう1年経った〜と思うだけで、行ってない」「私も。あんまり長生きすると、子供世代が先に亡くなってる人もいるし、そうなると大変みたい。長男はもう50歳。62歳で老親を残して先に亡くなられた方がいて、息子と1周りしか違わないから、怖くなって・・・」「逆縁は嫌よね〜」とそんな話になってしまいました。「会えてよかった、どうしてらっしゃるかな〜と思ってたので。またお茶でも飲みに来て…」と言って別れました。
その後、銀行前で先日スマホ特集の「ハルメク」をポストに入れてきたUさんとバッタリ。ここでも話が弾んで立ち話をしているうちに雨がパラパラ。びっくりして私は用事を済ますために銀行の中へ。Uさんは自転車でしたが、翌日のヨーガで聞くと、あの後、土砂降りの中ずぶぬれになりながら家に帰ったそうです。この雨が、お昼前には上がって、夕方もう一度雷雨になって、翌日の朝、梅雨明け宣言でした。空梅雨に思えるほど夏日から35度以上の猛暑が続きましたが、琵琶湖あたりは注意報や警報が出るほど降っていましたので、淀川の水は大丈夫でしょう。
さて、梅雨が明けて、夫もやっと2泊3日の白山登山に出かけました。天候のせいで山行が思うに任せずイライラしているのが分かりましたので、昨日は早朝からいそいそと出かけました。岐阜から登って石川県へ下りるようです。私は、長い間、気になっていた夏支度をすることに。二階のベランダに長いスダレを4枚掛けます。すだれの紐を新しく付け替えてから、脚立を取り出しました。ベランダの物干し竿との間の狭い場所に脚立を立てて、かなりの高さまで上がるので落ちないように注意して。最後に西日除けの太めのスダレを西側に引っかけて、先端はそれぞれベランダの手すりの鉄柵に巨大洗濯ばさみで挟んで、終わり。
次はサンルームの屋根に日よけのカバーをかけます。これはベランダの鉄の柵に紐をかけて、もう一方は長い紐にして下へおろし、外に出て、その紐をバラのアーチに括り付けたり、サルスベリの枝に括り付けて終わりです。これで、二階も下も日除けができて少し過ごしやすくなりました。夫が居ないと集中できて仕事がはかどります。どうしてかな〜と考えると、食事の時間を気にしないでいいからですね。一仕事片付くまで十分時間がかけられます。お昼の時間を気にしないで12時半ごろまでかかって、一挙に片づけることができました。
午後、2時からは久しぶりにSさんの来宅です。借りている「ハルメク」を返して「ステーション」を渡します。「ハルメク」と言えば、改名前の「いきいき」時代から「生きかた上手」を10数年連載されていた医師の日野原重明さんが105歳で亡くなられました。ちょうど父の101歳の誕生日でしたので、父も、あと何年生きられるかな〜なんて思ったり。あいにく、数日前からエアコンが効かず(故障?)ですが、部屋中の窓を開けて、扇風機2台あれば、大丈夫かな。最初に汗を引かせるトマトジュースをグラスに入れて、ミカンの缶詰はアレに入れて、と食器を揃えておくことに。
6月は私が風邪気味で一度も声をかけなかったので2か月ぶりくらいかな・・・チャイムが鳴って「お久しぶり〜?」「ん?」二人で「昨日ヨーガで会ったよね?」でした。
積もる話に花が咲き・・・、途中、母が冷やしたブドウを差し入れてくれたので、お喋りの途中でコーヒーを淹れることに。冷凍のタイ焼きをレンジで温めて。熱々の10センチ以上もあるタイ焼きでしたので、陶器の和皿に乗せて、ナイフとフォークを付けることに。初めてでしたが、好評? とても美味しくコーヒーにもよく合いました。4時にお開き、そうそう、と蕾のついた木立性ベゴニアの植木鉢を持って帰ってもらいました。
さぁ、今度は、隣の両親を呼んでお茶です。ブドウを差し入れてくれたので、お返しに、冷やしていた缶詰ミカンをデザート風に盛り付けて上にカスピ海ヨーグルトを乗せてみました。
母が譲ってくれた父の実家のお茶碗に、朝、沸かした”ほうじ茶”を入れて出しました。ミカンが冷たくておいしい。父も全部食べてくれました。母が父に、「覚えてる? ほら、大聖寺のお茶碗よ。ごはん茶碗だったけど、小さいからお茶をいれてもいいわね〜」なんて言ってます。
梅雨明けに夏支度も整ってスッキリした一日になりました。(空っぽのガラスの器は母がブドウを入れていたもの。この日私がつけていたイヤリングをひっかけて。ガラス器はどちらも50年以上前のものだと思います。)