映画「明日へー戦争は罪悪である」

木曜日、芦原公園入口から公園へ。
そろそろ桜や欅(けやき)の葉も落ちてしまいます。
最後の紅葉かもしれないと寄ってみました。
そのまま、重たいガラス扉からホールへ。
二階の階段の踊り場で今度は空が美しいので写真を。

この日は、二階の受付で、翌日金曜日の映画の前売り券を入手。
当日、1500円のところを1200円で。ついでに時間を調べると、3回上映。翌日の金曜日、13時30分上映の回に出かけました。
今度はメイプルホール正面から入りました。
ピースフェスタ2017とか。市内の平和諸団体が主催しているようです。戦争中の絵が正面に。
矢野博という方が2010年、孫娘のために、国民学校一年の時、大阪市浪速区で被災した記憶に基づいて漫画調で描いたものの拡大複写だそうです。

さて、映画は「明日へー戦争は罪悪である」です。入り口でもらったたくさんのチラシの中にあらすじが書いてありましたので:

 2015年の秋、安保法案に反対する国会前のデモの様子がテレビのニュースで放映されている。長年、口座で反戦平和を語り続けてきた落語家、金山亭我楽こと尾藤純次は、98歳になった今、老人ホームでいてもたってもいられず車椅子でデモに参加しようとするが、介護士の由希奈に外出を止められる。戦争を知らない世代の由希奈に、純次は噺家への道を開いてくれ師匠とも仰いだ一人の僧侶・杉原良善のことを語り始める。


 1932(昭和7)年、日中戦争から太平洋戦争に向かう戦争の時代。瀬戸内海に浮かぶ小島に暮らす13歳の純次は落語が好きな少年だった。純次の父親は落語よりも学校の勉強に専念するよう諭してもらおうと良善の寺を訪れる。ところが、良善は、純次に落語をやるよう逆に背中を押してくれる。やがて東京に出て落語家になった純次は、20歳となり出征の日を迎える。島での出陣式で、良善は突如「戦争は罪悪で人類に対する敵、すぐにでもやめた方がええ」と村人を前に語り始め、純次たちを驚かせる。それまで戦争に協力する説教を語っていた良善のこの変化には何があったのか・・・。


◎この映画の良善にはモデルがいます。これもチラシによると:「国を挙げ、国民を挙げて戦争に突き進んでいった第二次世界大戦中、檀家から誹謗され、宗門からも懲戒され、特高警察に逮捕されながらも「仏教の教えの第一は不殺生、人の命を損なう戦争は罪悪である」との主張を曲げなかった岐阜県垂井町の竹中彰元元師(当時70歳)」がモデルで、(真言宗真宗大谷派の反骨の僧侶・植木徹誠を上条恒彦が演じています。植木等のお父さんのこの徹誠さんの破天荒な一徹さが映画の中でも強烈な印象を与えます。仏の教えの「不殺生」を「一殺多生」と言い換えて、仏教界挙げて戦争協力した時代、14名の僧侶が反戦を貫いたそうです。
植木等を演じた若い俳優さんが舞台挨拶をしました。オーディションで「坊主にできるか?」と聞かれて、せっかく坊主頭にしたのに学生帽を被ったので坊主にする必要があったのか…なんて話をしていましたが、彼の出演していたシーンは「坊主は死んだ人間を供養する。芸能人は生きた人間を楽しませる。この俺は、生きた人間を楽しませたいから芸能界に入る」と父親の止めるのも聞かず寺を出ていく場面でした。
植木等さんが父親のことを書いた本の中でも書いていますが、徹誠さんは、こう言っています:「戦争というものは集団殺人だ。それに加担させられることになったわけだから、なるべく戦地では弾のこないような所を選ぶように。周りから、あの野郎は卑怯だとかなんだとかいわれたって、絶対、死んじゃ駄目だぞ。必ず生きて帰ってこい。死んじゃっちゃあ、年とったおやじやおふくろはどうなる。それからなるべく相手も殺すな」。
(引用元:「夢を食いつづけた男〜おやじ徹誠一代記 (植木 等)」https://ameblo.jp/otamajax007/entry-12303514491.html
◎お国のためだと若者を戦争に送り出していた良善が、7年後には、「戦争は罪悪である」と言い、「殺さず、逃げるように」とまで言うようになったのはなぜなのか。これは身につまされる話があります。これが事実だったのかフィクションなのかわかりませんが、こんなことがあれば、変わるだろうという事件です。国のために死んでいい命なんてない…生きていることの掛け替えのない有難さを思い知らされる事件が起こります。その原因を作ったのは良善自身です。
◎純次は戦争から生きて帰って初めて出征の日の良善の言葉が正しかったことに気づきます。島に帰った純次が一役買って檀家の村人がもう一度寺に集まるきっかけとなる落語会を開きます。村人たちは戦争中、良善の寺に「非国民」の張り紙を貼ったり、石を投げつけたりしたことを悔いていましたが、きっかけをつかめずにいました。落語家純次が反戦落語を目指すのもこういうことがあったからです。
◎最後のシーンは、国会前のデモに出かける介護士の女性とその子どもです。98歳の落語家・尾藤純次の思いが受け継がれたシーンで終わります。

受け継ぐことの大切さと難しさを感じました。私たち世代はこの良善や植木徹誠さんの反戦僧侶の思いの気高さに涙します。立派さも大変さも分かります。同じ思いで伝わるだろうか、若い人たちは解るだろうか…と不安になります。ところが、「若い人たち」に限らずだと・・・
◎昨日は小学校の同窓会があり、20人近くが集いました。私の隣にいた人は、生まれて5か月で父親が戦死したと言っていた人ですが、南京事件は数字が無茶苦茶、慰安婦問題は戦争中はどこでも当たり前にあった、日本はアピールが下手なんだ、という話で2,3人が盛り上がっているようでした。確か、10年ほど前は、そんな話をする人じゃなかったのに…と思いながら私は加わらないでいました。戦後の身近に戦争がまだ残っていたあの頃に育った者でも、右寄りの時勢には逆らえないのか、それとも侵略戦争そのものを否定するような話じゃなかったのかもしれませんが・・・一寸がっかりしながら帰ってきました。

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追記:1年ほどたって、この記事についてコメントをいただきました。
   真宗大谷派を間違っていたようですので訂正しました。
   映画の内容については、コメントも併せて読んでみて下さい。