「1941.12.7(真珠湾)」と、バザーの掘り出し物と寒い冬はお家でチクチク布遊び

一週間が過ぎるのが早い、早い! あっという間に12月・師走も中旬に入ります。先週の金曜日、8日は開戦記念日でした。ブログ仲間の「TRUE COLORS」(http://d.hatena.ne.jp/kataomoimama/)さんは、この8日のブログでは、ジョン・レノンとオノヨーコの「Happy Xmas (War is over)」の歌詞全文(和訳とも)を載せておられます。そして、その前の5日のブログでは、ノーム・チョムスキーのUチューブを紹介されていました。
チョムスキーといえば若いころは言語学者として名前だけは知っていましたが、その後、生存⁉されていて、社会批評や平和活動の分野でも活躍されていることを知ったのは最近のことです。で、kataomoimamaさんが「88歳現役の言語学者であり哲学者であるノーム・チョムスキー氏は、「21世紀の良心」とも称されているとか。そして、現代日本の危うさを危惧し、安倍首相のことを「ウルトラナショナリスト」として厳しく批判しているようですね」と書いて紹介されているUチューブに、開戦記念日である12月8日(現地7日)の意義について話しておられるのを聞いて、ハッとしました。こんなことを言っておられます。


・日本は長い間自国のアジアにおける戦争犯罪を過少評価しようとしてきた
・本来ならすべての戦争関係国を含む極東委員会による統治であったはずが、アメリカは全部追い出して勝手に単独占領支配した。
・それから1951年にサンフランシスコ講和条約が結ばれ、日本の戦争犯罪を告発しているが、その戦争というのは、1941年12月7日(真珠湾攻撃)からのもの。それ以前に行われた10年間の恐ろしい犯罪は一切考慮されていない。
・なぜか? それは、アジア人に対する犯罪だったから。ジョージオーウェルの言葉を借りれば「非民(unpeople)」というわけです。
・1941.12.7(真珠湾)は違いました。それは「人間」に対する犯罪だった。


そうなんですね、第二次大戦が日本で主に被害者としての立場で語られたり、アメリカとの関係で語られることが多いのは、潜在的に日本人の中にもアジア蔑視が刷り込まれているからかもしれません。加害者としての責任は主にパールハーバー以後、それ以前の大陸で犯したことについては、わりに大目に見ているのでは?と思いました。それが、アメリカ単独占領とその後のアメリカの中国封じ込めや冷戦体制のアジア政策に日本が利用されていく過程で、日本人も「非民」意識に慣れてきたのかもしれません。「非民」の中に自分たちも含まれているのを忘れていますね。考えさせられました。
★Utube:https://www.youtube.com/watch?v=wbUqrajckxs#t=17
☆全文書き起こしはコチラのブログで:http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/d4d0410ba815b23494a149964292c1a8

◎さて、10日の日曜日、お昼前、サンプラの地下のバザーを覗きに出かけました。この日は2つのバザーがありましたが、駅前に行くことに。
坊の島のバス道にある障害者センターのリサイクルショップ「ブラボー」には時々紙袋が溜まると届けに行って、ついでに並べてある品物を見て、買ったりもします。バブルのころに比べるとバザー用品の集まりが悪くなったと地区福祉会の担当の方も言っておられたことがありましたが、並べてあるものを見ても、昔とは違うな〜と思います。

もう20年ほど前、豊能障害者支援センターでバザーのお手伝いした時でしたが、食器など、箱入りのセット物や、荷ほどきしていないままの物までありました。企業間や個人の贈答品のやり取りが盛んだったころです。いまは、品数も少なく、置いてあるものも貧弱になったように思いました。
この日のバザーでは、100円ショップで買えばいいと思っていた鏡を200円で手に入れました。これはラッキーです! あとはラメ入りの白い毛糸の手編みのセーターが500円。箕面でとれたというミカンが10個入りで300円。葉つき大根1本150円。大きな袋に入れてもらって歩いて帰ったら体もほかほかになりました。バザーの売り上げの一部は東日本大震災の被災地に送られるそうです。

上の写真のコーヒーカップは先月ブラボーで手に入れたものです。
真ん中以外のカップは、1990年と1991年の資生堂花椿会の特注品のようです。先に食器を見ていた方が、「これは珍しいものよ。最近は遺品整理で出す方も多いらしい」と仰っていました。真ん中のひときわ小さなカップ(250円)は、お皿の裏にパリと書いてありますがプリントものかも。↓真ん中が人物を描いたカップ大小のお皿の裏。

毎日、母とは午前、午後、父とは午後、時には夫も加わって、一緒にコーヒーを飲んでいますので、薄手のカップは欠けてきたりします。それに、この夏、父が歩いて我が家に来れないとき、出前していて、玄関から玄関へ渡る間に、2,3客も割ってしまいました。父も元気に新年を迎えられそうですし、気分一新、一客400円ならお買い得かなと思い切って買って帰りました。
ここは、全国の皆さんが、送料もちで品物を無料で提供されます。その品物にスタッフの方が値段をつけて、お店に並べます。買う側は、品物を手に入れて、払うお金は、障害者センターへの寄付ということですので、無駄使いしたと後悔しないで気が楽です。最近はスタッフの方たちの商品知識が向上して、ブランド品はきちんと見極めて、以前のような飛んでもない安値にはしていません。私はブランドに拘らず、自分がよいと思うもので、お値段そこそこで使えるものを選びます。今回は、ぴったりの物がありました。まだ母と二人でブルーと黄色のカップを一度使っただけ。今度、我が家でお茶をするときには、お客さんに好きなのを選んでもらおうかな〜と楽しみにしています。

ところで、冬の夜長と寒い日は家でチクチク針仕事。昔、娘時代のレースのワンピースを紫色に染めたものが長い間そのままになっていました。子供が小学校のころ、ママさんたちの間でバレエシューズ(上履き)を自分の好みの色に染めて、レースも染めて飾りつけるのが流行ったことがありました。女の子のお母さんの間で流行していたのかも。お向かいさんに染粉をもらって染め方を教えてもらって、金属の洗面器を使って、レースのワンピースをほどいて縁取り用のレースも一緒に紫に染めたのでした。

それから、何十年、引き出しの中に眠っていたのを先日二階の押し入れから出してきて、しばらく眺めていました。結局布一杯を使ってレースで縁取りをすることに。長さ70センチ、幅40センチほどのテーブルセンターのようなものができました。(写真はカメラのせいで紫色が青く見えますが)
オレンジ色に黒い模様の布地は、これも独身の頃、大好きな生地でツーピースに仕立ててもらったものでした。これはスカートの前部分だけが残っていました。こちらは階段を上がった二階のコーナーのテーブルにかけました。以前は、青緑色のレース編みを掛けていましたが、明るい色にかけ替えです。

そして、次に作りたいのがコチラ。

頂き物のフェイラーのハンカチ2枚、眺めているだけだったので、これを使って、トイレットペーパーホルダーのカバーを作ってみようと思っています。
濃いほうは、ステンレスのカバー用。白いほうはスペアのトイレットぺーバーのホルダーに。
ハンカチを切った端をバイアステープで始末しようと思っています。
ところが、裁断の前の段階で、もう何日もストップです。そろそろ取り掛からないと。