クリスマスツリーとルミナリエと平和を願うカレンダー

◎「東久留米日記」さんの12月13日のメモ(http://d.hatena.ne.jp/higasi-kurumeda/20171213/1513128233)の中に神戸の世界一高いクリスマスツリーに関するツィッターの紹介がありました。「すみ丘てるあき」という方の『震災死者を冒涜する』という記事を読んで、私も阪神淡路大震災のあの年を思い出しました。

@soejimasa
クリスマスツリー云々以前に文章の迫力がすさまじい。遠方に住む者は東北の震災に目を奪われがちだ。読んでよかった

なぜ神戸に半殺しの生木を吊してはいけないのか:震災死者を冒涜する#世界一のクリスマスツリーの売名鎮魂ビジネス/純丘曜彰 教授博士news.livedoor.com
https://t.co/9JvP0Jz8WB?amp=1


◎先日から手元にある豊能障害者労働センターの機関紙「積木」のある記事をブログに書き起こしたいと思っていました。書き手の細谷氏は、震災の年、私たちが労働センターへ顔を出し始めた時の責任者でした。未明のゴォーという地鳴りのような音を伴った強い揺れに飛び起きたあの日、神戸では想像を絶するような被害に見舞われていたことをテレビを通して知ることに。横倒しの高速道路に辛うじてバスが引っ掛かっている画面は作り事ではない現実だと言い聞かせないと信じられなかった。いつまでも燃え続ける炎と煙、時間の経過とともに被害は大きくなり、被害者の数はますます増えて、いつまでも震えが止まらなかったこと。翌日から、神戸へ通じる国道をはじめ、どの道もトラックや日用雑貨を山積みにした、自家用車が延々と続いたことなどを思い出します。

あの世界一のクリスマスツリーを5年がかりで実現したという植物ハンターの方を取り上げた番組(眠れなくて起きだした夜中のお笑い番組の中でした)を見る限り、この方の功名心に神戸が利用されたように思いました。この騒ぎが『震災死者』の記憶を呼び覚ましたことは確かだと思います。
私は震災の年の12月、母と一緒に神戸へルミナリエを見に出かけました。神戸へ出かけることが支援になると言われていました。次男が友達と空き家になった店舗を借りて作品展をするというので北野坂の弓なりになった道を訪ね歩いて見に行った帰り、足元が暗くなったころ、三宮のJRの高架の南側の道路を渡りました。母が躓いて靴が吹っ飛びました。あの大きな道路の真ん中が地震で盛り上がっていたのでした。今思うと母はちょうど今の私の年齢でした。(最初の年のルミナリエに近い印象の写真をネットで探して↑)

初めて見たイタリアから来たという電飾のルミナリエ。透明感があってこの世のものとは思えない光でした。あれから23年です。自然災害の恐ろしさは何度も繰り返され、一度に6000人以上の死者という恐ろしい数字は二度とあり得ないと思っていたのに、地震津波原発事故という自然災害に人災まで加わった大きな災害に見舞われることに。それでも懲りずに原発を動かそうという人たちも。カレンダーへの思いを語る細谷さんの言葉を書き起こししてみます:


◆カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」の誕生


 松井しのぶさんのイラストによるカレンダー「やさしいちきゅうものがたり」が2018年版で13作目を数えることになりました。


 そもそも、カレンダー事業は障害者の働く場と所得をつくりだすために結成された障害者労働センター連絡会によるカレンダー「季節のモムたち」がその前身でした。

 2003年、イラストを描き続けてくださった吉田たろうさんが亡くなられ、途方に暮れながらも後継のイラストレーターをさがさなければなりませんでした。
 吉田たろうさんのイラストは、地球上の小さないのちを大切にし、障害者の生きやすい社会をつくるというコンセプトでした。
 

 わたしたちはその想いに加えて阪神淡路大震災アメリ同時多発テロなど頻発する自然災害やテロ、紛争で子供たちが傷つき、いのちまでも奪われる理不尽に立ち向かう世界の人々と共に平和に生きる勇気を耕したい、そんな思いを新しいカレンダーに託したいと思いました。


 報酬は少ない上に、私たちの願いを表現していくれるイラストレーターを見つけるのは困難を極めましたが、インターネット検索を繰り返し、松井しのぶさんのイラストを発見したのでした。

 ナチュラルな色づかいとソフトなタッチのイラストは愛らしいメルヘンでもあり、月夜にきらめくファンタジーでもあり、その透明な光のキャンバスの上で記憶と夢が溶け合っています。 


 2003年は米英軍を中心とする多国籍軍イラク侵攻によってイラク全土が破壊され、イラクの民間人の死者の数は10万人とも20万人ともいわれています。
 わたしの記憶では、空爆の様子がテレビ中継されていました。夜のバクダッドの街に次々と爆弾が落とされる情景をテレビで見ている自分自身のおぞましさ、恐ろしさ、うしろめたさは今でも忘れることができません。


 わたしは松井さんのイラストを見て、そのイラストの向こう側にだきしめたくなるノスタルジーと未来への強い意志、平和の祈り、希望がぎっしり詰まっていると思いました。


 わたしたちの願いのすべてが松井しのぶさんのイラストにあることに、驚きとともに奇跡といってもいい運命を感じました。
 カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」はこうして誕生しました。


◆カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」は平和を願う手紙


 2011年、日本も世界も立ち止まらざるを得なかった東日本大震災をきっかけに、豊能障害者労働センターは世界の窮民の自立経済と被災地の自立支援をつなぐ障害者市民事業プロジェクトとして商品開発を進め、全国に点在するカレンダーの共同販売ネットワークを通じて届けてきました。


<中略>


 世界の現実に目を向ければ悲しい記念日に埋め悲しいつくされ、カレンダーのどの1日からも悲鳴が聞こえてくるようです。
 けれどもその一方で、この世界を生きる74億の人々の、だれかの誕生日でない日などないと思います。さよならを数えるカレンダーもあれば、いのちと出会いと愛を数えるカレンダーもまた、たしかにあるのです。




 そして今、わたしたちは北朝鮮との武力衝突があるかもしれないという現実にさらされています。わたしたちの住む日本にも北朝鮮にも韓国にも、たくさんの子どもたちがいます。明日のいのちがどうなるかわからない不安と恐怖と緊張のただ中で身を固くしているこどもたちが私たちと同じ思いで同じ空を見つめていることでしょう。


 わたしたちは、どんな強力な武器よりも共に生きる勇気を育てること以外に「安全で平和な社会」をつくれないことを知っています。わたしたち人間は言葉も個性も希望も夢も国籍も民族も年代もちがっても、つながることができるはずです。


 カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」は平和でなければつくることができません。
 だからこそ今年もカレンダー「やさしいちきゅうものがたり」に託された平和への願いが、一人でもたくさんの方に届けられることを祈っています。