初荷のお任せ鮮魚と初出(ヨーガと合唱とリハビリデイ)


火曜日の午後、香住の竹内商店さんから電話。お年賀のあいさつの後、「魚が入りましたので・・・」とのこと。いったん電話を切って、お魚仲間の二人に確認の電話。お二人とも久しぶりねとOK。あらためて、竹内さんに3軒分をお願いしました。
お任せ鮮魚の竹内さんとのお付き合いも、もう20年以上になります。元は、お任せ野菜の佐藤さんが兵庫県日本海側の香住のお魚を提供してくださったのが始まり。その後、竹内さんから直接、クール便で送ってもらって、送料を人数で割るという今のやり方に。
翌日の水曜日はヨーガの初日。家を出る前に荷物が届かなかったので、夫に受け取りをお願いして出ました。12月は20日が最終日でしたので20日ぶり。3人ほどがお休みでした。来週は、豊中のホテルアイボリーで新年会の食事会なので、ランチにはついていかずに家へ。
昨日、隣はケアマネさんの月一度の訪問日。午後からは父のリハビリデイサービスの初日でした。母のヨーガは前日の火曜、俳句は来週の月曜日。
さて、お昼は生ラーメンがあったので、ラーメンを作って、越路吹雪物語を見て、NHKの「わろてんか」を見る。コーちゃん(越路吹雪)の子ども時代を演じている子役が歌は上手だし歌声がとても良い。最近の子役の達者なのに驚きます。東京から新潟へ引っ越して学校の友達に受け入れられるまでを描いたこの回は、とてもよかった。授業中に窓の外を眺めながら歌っているような子どもだったんですね。
わろてんか」を見ているとチャイムが。えっ、Sさん、早い! ヨーガの後、ランチを済ませてから魚の受け取りに来ると言っていたSさんです。お金の支払いを済ませたSさんに、雨が降り出しているし、夫がいるので送ってもらったらいいから、お茶でもどうぞと中へ入ってもらう。

隣の居間でオペラのDVDの続きを見ようとしていた夫もSさんに年賀のご挨拶。私と同い年のご主人はこの日も箕面公園の管理のお仕事とか。
1日、お参りに出かける途中、昆虫館の横にある事務所が閉まっていたので夫がSさんは今日は仕事じゃないと言っていたので、尋ねてみると、出勤だったとか。息子さんも介護職で1日から出勤、代わりに東京の息子さんが日本酒2本下げて帰省だったとか。
夫は「こうもり」鑑賞続行。私は間仕切りの戸を閉めて、濾した抹茶が二人分ほどあったので、お茶を点てる準備とお菓子を用意することに。
お正月の和菓子に生協さんで俵屋吉富の雲竜の棹を頼んでいて、先日、両親を呼んでお茶を点てました。この時出したお菓子ですが、これを切ってお出しすることに。
お茶碗は、抹茶茶碗は出さないで、大ぶりの湯飲み茶わんで代用。二人分を一度に点てて一緒にお茶を戴くことに。
Sさんは若いころ、フェスティバルホールの客席案内をしていたので、オペラと聞いて、その頃の話に。「当時、シンフォニーホールもなかったし、大阪で一流の音楽やバレエや催し物は全部フェスティバルホールでやったので、そりゃ、吸収力の十分な若いころだし、耳も目も肥えているでしょう」と私。「カラヤンは全盛期だったし、バレエはキエフもよかったのよね〜」とSさん。それもあってか、今でもマンション仲間と観劇を続けておられます。

夫が車でSさんを送って出るのを見送った後、私は魚の調理に取り掛かりました。発泡スチロールの箱を開けてみると、大きなカニとこれまた大きなカレイが2枚,イカにバイガイが入っていました。これで魚代金、送料と今年から魚の消費税もいただきますということです。一人当たり3230円は高いような気がしますが、これだけの種類と大きさと新鮮さで正味魚代2300円は安いかな。最近では、年に3,4回ぐらいですので、たまの贅沢は、ま、いいか…です。

この日は、夫が夜、合唱サークルの練習初日なので、カニは翌日。イカを半分刺身にして、残りのイカは、ワタも新しいので一緒にジャガイモと煮ることに。
カレイは一枚はハラワタをとって冷凍に、一枚は大きな切り身にして隣にもっていきました。母が一人でいたのでコーヒーに誘うことに。
母は、孫から小学2年生のひ孫の作品集を送って来たとユーパック持参。中には、夏休みの作品や日記やお絵かき帳と「せんせい、あのね」で書き始める作文ノートなどが入っていました。”読み終わったら処分してください””という姪が書いたメモも付いています。
夫と3人でコーヒーを飲みながら、作品を見たり、読んだり。”小2でやっと少し漢字交じりの文章が書けるようになったのですね、日常生活がよくわかる日記類に先生が赤ペンできちんとお返事。今どきの先生はよくやってると母も。姪も、捨てる前によく送ってくれたものです。

帰り際、母が、「今日は、お父さんが帰ってきたらカレイの煮つけが待ってるから喜ぶは〜」と言いながら、父の母親の話になりました。
父方の祖母は、私が小学3年生の時に亡くなりました。それまで、私は田舎に帰ると、父の実家と、隣村の母の実家の両方に行っていました。父方の祖母は、いつも私のためにカレイの煮つけを作って待っていてくれました。祖母の記憶にある姿と言えば、私のためにカレイの身をキレイにほぐして食べさせてくれる姿です。母も私に「覚えてる?」と言いながら、その話に。「だから、お父さんもカレイの食べ方は上手。最後はキレイに骨だけが残る。私はぐちゃぐちゃになるけど」と。
ところが、我が夫の母も、同居していた2年間で、二人の息子たちに同じようにしてくれました。自然に夫と二人でその母の話に。魚屋さんに白身の魚が少ししかないときは、一番下の次男だけが食べる時も。長男は沼津生まれですが、次男は加賀市生まれ。離乳食は白身の魚でした。おかげさまで、次男のカレイの食べ方も、それは見事。私の父と同じように、標本みたいに骨だけしか残らない食べ方です。加賀の子どもは白身の魚、カレイで育つようです。
母は、ここらでは手に入らない新鮮なカレイを煮つけて食べれば、昔の田舎を思い出す…と言いながら隣へ引き上げていきました。