カナダからの電話とザ・シンフォニーホール

日曜日の朝早くベルの音。カナダのSさんです。両親とのコーヒータイムの時間を避けて少し早いけどと気を使っての時間。

カナダ、トロントでは、マイナス16℃とか。10分間以上の外出は禁止されているそうです。それ以上、外にいると凍傷の恐れがあるとか。トランプ大統領の昨日の人種差別発言のことや、日本のアメリカ追随が目立つ外交問題北朝鮮と韓国の関係。
日本は拙いよね〜と心配そう。それでも、最近日本に帰った友人が、日本はまだまだ豊かだと。外見上はそうかも、街も人々の身なりも小ぎれいになってるし、外見ではわからないかも。日本の問題点は高齢化…とカナダの論評では書いてあるそうです。少子高齢化はもうずいぶん前から問題ですし、教育行政にお金が回らないのも問題。トランプさんのおかげ(せい)で、高額武器を買わされて、また今の政権は唯々諾々と買っているし、税金の使い道はとても国民の幸せにつながるとは思えない・・・二人でぼやき続け。それでも元気で電話でお話しできるのは幸せ。

「今年、帰国予定だって?」「それが、飛行機で移動することを考えると億劫で、トシね〜。ちょっと遠い所へ来過ぎたと思う」。最後に年賀の言葉を交わしてお互い「元気でね」でした。Sさんは小中高とクラスは一度も一緒にならなかったのですが同窓生です。京都市芸大を卒業後カナダへ行ってあちらで鉄の彫刻家になりトロント大で教えて、カナダやアメリカで作品展をやったり、途中日本に帰国して、名古屋や大阪で作品を設置、長野の冬季五輪の時にも作品を公園に設置したりしています。

高齢のお母さんが心配で10年ほど大阪芸大の講師をしながら京都の長岡に住んでいたことがありますが、結局、20年か25年働いていたカナダでは年金がもらえるので老後は日本よりカナダを選択(せざるを得ない)。マンションで一人暮らしですが、体に気を付けて最近はニンニクを摂るようにしているそうです。Sさんの弟さん(筋3つほど北にお住まい)が定年後、箕面の公園事務所の責任者になっておられて、お任せ鮮魚とヨーガ仲間のSさんのご主人が一緒に仕事をされています。不思議とつながりがあるものです。

さて、昨日は、午後2時から大阪の福島にあるザ・シンフォニーホールで「ニューイヤーに贈る佐藤しのぶ魅惑の世界」に出かけました。
昨年の秋、シンフォニーホールの会誌と一緒にたくさんのチラシが入っていて、見つけました。学生時代の友人で佐藤しのぶファンから、世界一の声、文化庁からミラノに派遣されたけど学ぶところがないと帰ってきたくらい、それで世界で認められたんだから・・・と噂を聞いていました。紅白で出場した時は、マイクなしで歌って裏で聴いていた和田アキ子が涙を流して感激。人の声の凄さに改めて感動、私もあんな風に歌いたい、とそれから和田アキ子さんもマイクを少し離して持つようになった。私が佐藤しのぶについて知っているのは、そんなエピソードだけ。
一度、生の声を聴いてみたいとお正月明けの最初のコンサートに夫を誘ってチケットを取ることに。全席同額なので早い者勝ちで良い席。11月ごろだったか、2階の袖の席か正面後ろの方の真ん中しか空いて無くて正面席に。さて、当日、環状線の福島の駅からホールに向かう人波の中を私たちも歩くことに。夫が、年寄りばかりだと小さな声で。なるほど、私たちと変わらない年齢の人が多いようです。

前半は、オペラ「椿姫」の乾杯の歌から始まって、テノール清水徹太郎さんとピアノ伴奏でカルメンから6曲ほどを衣装を着けてのダイジェスト版。
後半はマイクでお話を交えながら、「花の町」「さとうきび畑」、そして広島・長崎を忘れないで、覚えていてという「Remember」、「約束」と最後に東北大震災と福島原発事故後に歌われた「花は咲く」。アンコールはプログラムに歌詞のチラシが入っていた「ふるさと」を舞台と客席のみんなで。
ステージで沖縄戦の話や原爆の話、戦争は人間の意志で止められますが自然災害は・・・と話して、CDの売り上げは全額恵まれない人のために使ってきた、バングラデシュミャンマーチェルノブイリ、今度は福島へ、是非、帰りに買ってくださいとお願いも・・・大したものです。
期待していた世界のディーヴァ(歌姫)のソプラノは、残念ながらあまり聞き取れず。清水さんのテノールはハッキリと聴こえますので私の耳のせいばかりでもないようです。そういえば友人の話は、今から25年以上も前の話。聴く方の私も、佐藤さんも若くて絶頂のそのころ、聴いておくべきだったと思いました。夫も聞き取りにくかったと言っていますので、座席も後ろ過ぎたようです。夫はまるで敬老福祉会みたいだと帰る道でも。きっと、若い人たちは別のコンサートに押しかけていて、年代ごとに対象が違うんじゃない…とか言いながら帰り道を急ぎました。
ザ・シンフォニーホールは今年35周年を迎えたそうです。私が初めて行くようになったのが86年か87年ですので、30年前。冬は正面のカラ松(かな?)の大木が葉を落としているのでホールの建物が良く見えます。朝日放送が5年前にホールを売却、経営者が変わりましたが、梅田から近くて便利なホールです。よくブーニンファンさんたちと歩いてウェスティンホテルへ寄ったり、逆コースも。最近では、福島駅からホールまでの間にある将棋会館が話題です。道路の反対側に見えますので、夫に、中学3年生の話題の天才・藤井聡太くんも大阪ではあそこで…と言いながら。


大阪駅は新しくどんどん変わっていきます。夫の後を私は小走りでついていくだけ。私一人だとウロウロ迷っていたでしょう。
昨年夏、Sさんと二人で散々歩き回ったヨドバシカメラとグランフロントの間の通路と、先にできていた空中通路とをつなぐ通路も開通していました。行くとき、ちょうど1時の鐘の音を聞いたカリヨン越しに真っ赤な観覧車が真正面に一直線に見えました。ナビオ阪急がオープンした時、Uさんを誘って都会の真ん中にできた観覧車に乗ったのがもう何年前になるのか・・・