「☆句の無限遠点☆」さんの昨日、2月最後の日のブログのタイトルは『「俳句弾圧不忘の碑」除幕式』でした。「俳句弾圧」なんてことがあったのですね。読んでみますと、二月二十日に亡くなられた金子兜太さんが関わっておられたことが分かりました。
ブログの出だしを引用です:
1940年(昭和十五年)二月十四日から1943年(昭和十八年)十二月六日まで、当時の戦争・軍国主義を批判・風刺した俳句や反体制的な作品を作ったとして、少なくとも計四十四人の俳人が治安維持法容疑で検挙され、うち十三人が懲役刑を受けました。
留置場で心身の過酷な苦痛を強いられたり、釈放後に病死したりした者もいました。彼らの犠牲と苦難を忘れないことを誓い、再び暗黒政治を許さず、平和、人権擁護、思想・言論・表現の自由を願って之を建立します。
(呼びかけ人66人、協賛者551名)
◎もう少し、俳愚人さんのブログの写真と文章を引用してみますと:
建立場所は、窪島誠一郎無言館館長の配慮で、敷地内の槐多館の隣を提供いただいた。(上田市からは許可がでなかったため)
同時に弾圧を受けた俳人たちの展示館として隣には「檻の俳句館」が2月20日に完成している。
残念ながら兜太の命日になってしまった。
式は、兜太の黙祷から始まった。
わたしは、兜太追悼文で俳句作品より行政手腕を評価する旨のことを書いたが、兜太はまさにこういうところで俳句界の戦後精神の支柱であり、古い俳人精神の刷新に努めたと言えよう。
写真を見ると解るが兜太、マブソン氏、窪島氏の三人の除幕用の紐が一本だけ引くべき人を亡くして虚しく垂れたままだ。
(引用元:http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20180228/1519786499)
◎真ん中の紐が、金子さんが引くための紐だったのですね。
ネットで調べてみると「昭和俳句弾圧事件記念碑の会 (Association for the erection of a monument to the haiku poets persecuted during WWII)」( https://showahaiku.exblog.jp/27103905/)という情報ブログがありました。26日の除幕式を伝える記事に信濃毎日や朝日の記事が紹介されています。
ここでは、東京新聞の記事をコピーです。
まず、どんな俳句が弾圧の対象になったのか、2月26日の論説から:
同じく東京新聞、2月26日社会面の記事から:
★★★毎日新聞の金子兜太氏のインタビュー記事を「shuueiのメモ」さんが載せておられます。
「国のため死んでいく制度は我慢できぬ」 俳人・金子兜太さんインタビュー
2015年6月23日 毎日新聞トラック島で「捨て石」体験
戦争における生と死の実態とはどのようなものなのか。そこに皇軍の誉れはあったのか。帝国海軍主計将校として、南洋のトラック島に“捨て石”とされた体験を持つ俳人、金子兜太(とうた)さん(95)に聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】
☆☆☆http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20180225/1519509108