73年前の島田叡知事「生きろ」と今日の相良倫子さん「生きる」


◎昨日の金曜日、いつもの金曜デモは「特別な1日」さんのブログによりますと、公務?のためお休み。改めて毎回のデモの参加とルポに感謝です。そして、今日は沖縄の慰霊の日です。73年前のこの日、太平洋戦争で地上戦がたたかわれた沖縄で日本軍の組織的戦闘が終わったとされる日。沖縄本島南端の摩文仁の丘の平和の礎(いしじ)のある平和祈念公園では、追悼式が行われます。朝日の朝刊では、全国高校野球の地方大会の幕開けを今日迎えるにあたり、野球との関連で島田叡(あきら)知事を取り上げています。

島田知事と言えば、テレビドラマ「生きろ」が思い出されます。同じ土曜日の新聞の記事「みちものがたり」では、旧沖縄陸軍病院の「飯上げの道」を取り上げて、こんな話が紹介されています。「日本軍は兵士・民間人が捕虜になるのを許さなかった。命を助ける病院が、軍によって命を奪う場にされた」。陸軍病院の各壕に摩文仁への撤退命令が出されたとき、動けない患者には青酸カリが配られたそうです。
そんな中、大阪からその年になって赴任した島田知事は、最後まで島民たちに「生きろ」と語りかけます。島田さんは、旧制神戸二中(現兵庫高校)から、三高(現京大)、東京帝大へ進み、ずっと野球を続けていました。全国中等学校優勝野球大会(全国高校野球選手権大会の前身)は大正4年(1915年)に始まっています。今年は100回となる大会のすべてに兵庫高校は出場しているのだとか。兵庫高校は毎年修学旅行で沖縄を訪れていて、来春は、島田と運命を共にした荒井退蔵・沖縄警察部長の母校、宇都宮高校と交流戦を行います。また、東大硬式野球部の浜田監督(53)は那覇市内で講演。島田知事は「部がめざす文武両道を地で行く大先輩。部員には『沖縄を知らずして官僚になるべからず』と言っている」そうですので、東大野球部出身の官僚がたくさん生まれてほしいです。
〇島田知事については、蛙ブログ(2013-08-11)で報道ドラマ「生きろ」を取り上げました:『狂気の中の正気・島田叡と大田實(「生きろ」から)』(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20130811/1376177538

◎お昼にNHKが放送した追悼式で中学三年生の相良倫子さんが朗読した「平和の詩」のタイトルは「生きる」。島田知事の「生きろ」に呼応したように「生きる」でした。
朗読ではなく朗誦。朗誦というより14歳の命の限りを生きて謳う絶唱でしたね。とても素晴らしい内容でした。涙が出ました。聞き入る人たちも涙している人が大勢いました。「もう二度と過去を未来にしない。未来はこの瞬間の延長線上にあるから、未来は今なんだ。心から、誓う、平和を創造する努力を厭わないことを。戦力という愚かな力を持つことで、得られる平和など、本当は無い」。すい臓がんで闘病中の翁長知事は平和宣言を。国のトップの安倍首相は、沖縄の経済振興を。相良さんの平和の訴えを聞いて、遣っていることに疚しさを感じないでしょうか。


「生きる」
沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子

 
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 
私は今、生きている。

 
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。

 
私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。

 
ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 
私はこの瞬間を、生きている。

 
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。

 
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ


私の生きる、この今よ。



 

七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。

 
私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。

 
あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。

 
今を一緒に、生きているのだ。

 
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 
私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。

 
大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。

 
摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。

◎引用元は:http://mainichi.jp/articles/20180623/k00/00e/040/310000c