『9は危険思想!?』と「RADWIMPSの愛国ソング 日本語論より動機考察を」

(本日2つ目です。1つ目は「日本が抱える少子化問題の真の原因が海外に拡散。二階幹事長の“身勝手”発言 】)

今日3日、AM3時に始まったサッカーWC決勝トーナメント第1戦、日本代表チームは、世界3位のベルギーに敗れました。前半は点の入らない押し気味の0:0.これならいけそうという後半早々、日本があっという間に原口と乾のシュートでリード。ところが、本気?になったベルギーに、中盤、あっという間に追いつかれて、最後追加時間に入り、本田のシュートが惜しくもはじかれて、さあ、延長戦と思ったとたん、速攻のカウンターで決勝の1点が入ってしまいました。観戦している側も一瞬のスキを突かれた思いでした。8強の夢を見させてくれた戦いにありがとうでした。午後には、タイの洞窟で行方不明になっていた少年サッカーチームとコーチ13人が9日ぶりにイギリスの捜索隊に無事発見されるというニュースがありました。よかったです。
●日本、いつの間に!! 本当に「9条」や「平和」や「戦争」という言葉が禁じられている? 信じられないし、みんな知らないんじゃないかな〜と思います。まさに『戦前』になってしまっています。

内田樹さんがリツィート
盛田隆二『焼け跡のハイヒール』祥伝社
@product1954 7月3日


わわ。紫野さん、ネックレスもだめなんですかピーター・バラカン氏も、9条Tシャツを着ているだけで警官に詰問され、クリスチャンの女性は「平和がだいじ」と書いた絵本袋を持って歩いていたら職務質問を受けた。警官は絵本袋をさして「平和って書いてあるから」と今や「護憲」が危険思想の日本。

紫野明日香

@asunokaori 6月30日
先日国会傍聴に行ったら、「9がついている物はダメです」と係員に止められました。ネックレスもタグも9は外せと言われます。結局カーディガンで隠して入るように言われました。「NO WAR」もダメなんだって。9はダメで他の数字はOKなんだって。変だよ。

・「なら脱ぎましょうか?」と言ったらさすがに黙って「次からはダメだから」と言われました。次回はお腹にも9って書いておこうかしら。

●フジテレビのサッカーWC放送のテーマソング「HINOMARU」の歌詞について、山崎氏のツィッターをブログでも取り上げましたが、中島武志さんの記事が東京新聞に掲載されました。まず「一番私の認識に近い」という山崎氏のツィッターを:

山崎 雅弘

@mas__yamazaki
中島岳志「RADWIMPSの愛国ソング 日本語論より動機考察を」(東京)http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/rondan/CK2018062802000260.html
今までに読んだ関連記事の中では、一番私の認識に近い


・自国愛ソング『HINOMARU』に関する私の考えは、下のツイートまとめに記したが、「戦前戦中的価値観を確信犯的に継承する人々」【A】と「素朴な自己愛の表現法が他に見つからないので中途半端に戦前戦中型の愛国思想を真似る人々」【B】は区別する必要があると思う。https://togetter.com/li/1238773

●内田氏は津田大介氏のツィッターを取り上げていますので、そこから東京新聞の記事に入ります:

内田樹さんがリツィート
津田大介
@tsuda
論壇時評かくあるべし、という論考だなこれは。素晴らしいと思うhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/rondan/CK2018062802000260.html

RADWIMPSの愛国ソング 日本語論より動機考察を 中島岳志
2018年6月28日


 人気ロックバンド「RADWIMPS(ラッドウィンプス)」の新曲「HINOMARU」が波紋を広げている。ボーカル・野田洋次郎が書いた歌詞が「軍歌のようだ」「愛国心を高揚させる」と指摘され、賛否両論を巻き起こしているのだ。


 「この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊(みたま)」「さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に」
 確かに古語調の歌詞は、軍歌を思わせる。愛国ソングであることは間違いない。


 湧き上がった批判の声に対して、野田はツイッターで見解を発表し、軍歌を書こうという意図は「1ミリもありません」と釈明。「戦時中のことと結びつけて考えられる可能性がある」との指摘については、「腑(ふ)に落ちる部分もありました」としたうえで「傷ついた人達、すみませんでした」と謝罪した。


 多くの論者が指摘するのは、歌詞に登場する古語の不自然さだ。辻田真佐憲は「WEB版現代ビジネス」(6月11日)に掲載した「RADWIMPS衝撃の愛国ソング『HINOMARU』を徹底解剖する」で、愛国ソングとしての完成度の低さを論じている。歌詞は「古めかしい言葉づかいと、現代的な言葉づかいが微妙に混ざり合っていて、どうしても違和感をぬぐえない」。しかも、古語にこだわりを見せているわりには「日本語の使い方が雑すぎる」。言葉の使い方の失敗により、この愛国ソングが「フェイクであり、空洞であることを」露呈してしまっている。


 小田嶋隆も「日経ビジネスオンライン」(6月15日)掲載の「HINOMARUに詫(わ)びる理由なし」で、「古語風の言い回しの不徹底さ」を指摘し、その誤用を論じている。


 たしかに野田の歌詞は、古文としての完成度を欠いている。日本語としての居心地の悪さがつきまとう。しかし、野田があえて古語にこだわり、愛国ソングを発表した内在的動機については、議論が進んでいない。


 問題なのは、この曲が生み出された背景である。野田は、なぜ愛国を歌うのか。なぜ、擬古文なのか。


 野田は二〇一五年に『ラリルレ論』(文芸春秋)を出版しているが、この本には彼の率直な思いや考えが、日記として綴(つづ)られている。


 彼が子供のころの思い出として言及するのは、約四年間をアメリカで過ごしたことと、父親からの抑圧である。父は怒ると手が出る人で、「黙れ」「死ね」「寝ろ」「クソが」「てめぇ」という「親子とは思えないような言葉」を吐いたという。彼は父に脅(おび)えながら、毎日を暮らした。


 野田は日本に帰りたかった。日本では親戚が「よく帰ってきたね」と温かく歓迎してくれる。ぬくもりがある。
 彼は「日本の街が大好きだった」。特に東京が好きだった。「東京という街に憧れていた」


 アメリカは銃社会。暮らしていたロサンゼルスでは、子供が一人で遊びに行くことは難しい。それに対して日本は安全で、ちょっとした冒険をしても、問題は起こらない。特に商店街が好きで、「アメリカで暮らす僕からすると、なんだかジブリの映画にでも出てくるようなまったくの異世界がキラキラと光っていた」。

 そして、帰国。楽しみにしていた日本の小学校に通うことになった。


 しかし、いじめられた。日本の子供たちは、幼稚に見えた。ここで野田は悟る。「僕にホームなんかない」


 青年になっても、この思いは消えない。憧れた日本。帰りたかった日本。しかし、この国の政治家は国民のことを考えずに、政争にあけくれる。震災があっても、復興がままならない。不正がはびこる。 彼の思いは、純粋化された幻影の日本へと向かう。魂で結びついた平和でスピリチュアルな日本へと回帰していく。


 彼の論理は、ネット右翼とは大きく異なる彼は韓国を愛し、隣国との和解を望む。憎しみ合うことは「戦いを望む者たちの思うツボ」であり、「戦争を望む者たちの勝利なのだ」。だから言う。「俺は愛し合いたい。抱きしめ合いたい。それしかないじゃないか」


 ここに表れているのは、神秘的な一体感を希求するロマン主義である。彼にとっての日本は、あらかじめ失われている。その喪失による渇望が、古語となって表出する。


 「HINOMARU」には「ひと時とて忘れやしない 帰るべきあなたのことを」という歌詞がある。「あなた」は、いまここにはない「幻影の日本」だ。そして、繰り返し使われる「御霊」という言葉。彼は、スピリチュアルな次元で永遠の日本と繋(つな)がろうとする


 「HINOMARU」の歌詞は、そのロマン主義的傾向こそが問題とされなければならない。これは戦前・戦中期の国粋主義の特質と重なる「HINOMARU」は、稚拙な愛国ソングとして揶揄(やゆ)される以上の射程を含んでいる戦争を憎み、平和を愛し、霊的なつながりを求める心性が、ロマン主義ナショナリズムと接続する。戦前の国粋主義も、絶対平和を希求する宗教的潮流から、日本原理が称揚され、民族の一体化が鼓吹された。


 スピリチュアリティと愛国が結びつく現代日本の潮流を捉える必要がある。


 (なかじま・たけし=東京工業大教授)