父と暮らせば


8月16日に、従弟夫婦が退院後の母の様子伺いを兼ねて来てくれた時、「ご飯はどうしてるの?」と聞かれて、「我が家で4人で、毎晩、酒盛りよ」と答えたのですが、実際は、それ以後「酒盛り」は続かなかったのでした。今思えば、あの頃が最後でした。それから急に父の食欲がなくなり、弱っていきました。そしてついに軽い肺炎になり8月最後の日曜日の26日に入院することに。
8月8日に退院した母が、私に改まったように言いました。「私がいない間、お世話になったね。お父さんに食べさせてくれてありがとう。お父さんも楽しかったと思うよ、毎晩好きなワインを飲んで一緒に夕食が食べられて」とわざわざお礼を言ってくれました。「そんな〜。Y(夫)も飲み友達ができて丁度良かったのよ。お父さんとはゆっくり1時間半、お父さんが引き揚げてからでも30分ほどかかるんだから、ゆっくりできて喜んでいる」と答えたのでした。

母が大腿骨骨折で入院したのが、忘れもしない3月16日でした。ちょうど5か月間、父との食事の時間を過ごしたことになります。その内の1か月と最後の2週間は、母を交えて4人の食事でした。
これはお茶飲み話でSさんにも話したことでしたが、食生活が全部自分にかかっていると思うとすごい責任を感じる…と改めて思いました。人間ができているのは口から取り入れる食品がすべて。その食品の選択から調理までを全部自分がやっていると自覚すると、ちょっと恐ろしさのようなものを感じました。責任の重さのようなものを・・・。改めて考えてみると,そうやって育てられてきて、また私も二人の息子たちを育ててきたのでしたし、夫婦二人もそうやって暮らしてきたのでした。
母が入院して父が我が家で食事をするようになった頃、父が、”隣りにおってくれてよかった”と言ったことがありました。父や母がそう思って口に出して言ってくれたのはとてもありがたいことです。この年になって、やっと父や母へ恩返しが出来たかなと思いました。恩返しの機会を与えられたことに感謝です。

昨日は台風の前に病院の父を見舞いに二人で行ってきました。ひと頃よりずいぶん状態も安定、落ち着いてきました。ベッドの父に声をかけると目を開けて分かってくれました。しきりに両手を胸のところで合わせて拝むような仕草です。なんだか父が仏様のように感じます。手を触ると暖かく、握り返してきます。「お母さんに何か言うことない? お母さんも心配してるよ」と言うと、目を閉じて泣いているようでした。思わずもらい泣きをしてしまいました。夫も話しかけてくれて手を握り返していました。夫の話では、左手の握力が少し劣るけど力強く握り返してくれたそうです。
月曜日の地域医療室の担当者との話し合いでは、父の状態で受け入れ可能な療養型の病院は箕面では一つだけ。そこは、昔、母の知り合いが入院していたことがあり、グループで訪ねた時の印象が良くなかったので気が進まないといいますので、残るは、一つ。そこは父の点滴の条件が合わないのですが、一度問い合わせてみますといわれました。あと千里中央と茨木を加えて3か所をあたってもらえることになりました。それまで、今の病院で少しでも食べられるようになるためのリハビリが続きます。
父と暮らしてみて食べることと習慣を守ることの大切さを感じました。100歳の危機を乗り越えて102歳まで普通の生活を送り、そして今病人になっても回復を目指して頑張っている父には頭が下がります。父と暮らした5か月は私の宝物です。

8月お休みだったヨーガも今日から再開。皆さんのお話を聞いて、昨日の台風で同じ市内でも夜まで停電だった地域もあったそう。隣町の豊中は朝まで停電で信号がなくて警察官が出て,それでも警官無視で走る車があって怖かったとか。マンションから2年前に一戸建てに移った方ですが、新しい家が電化が進んでいて、水道も電気、自宅のカギもカード式、電話も通じず、大変困ったというお話でした。植木鉢ぐらいで済んだのは本当にラッキーでした。
午後から病院を訪ねたら、父は車いすに座ってリハビリの先生にいろんな動作の確認をしてもらっています。久しぶりに眼鏡をかけていますので元気に見えました。入院した日から退院を目指してリハビリがスタートするようなこの病院のやり方はなかなか素晴らしいと思います。102歳の父に対しても全く同じ姿勢で取り組んでもらえています。9月に入ってのリハビリの現状と目標について担当の若い先生から説明を受けました。
父はベッドに寝かせてもらってから「お母さんはどうしてる?」と聞くので、「元気よ。今度一緒に来るね」と答えると「来んでもええ」と。手を振ってサヨナラのあいさつをするので引き上げてきました。日に日に元気になってくるので嬉しいです。8月いっぱい持つかしら…と思ったこともあったのに、すごい生命力です。写真は先週の芦原公園。