再び「知ってはいけない2」(「リベラル派と呼ばれる、特に年配の方々にお願い」)を読んで・・・

「知ってはいけない2」(11月30日付けブログ)を読んで、著者の矢部浩二氏の「あとがき」の「右派も左派もそれぞれの楽園から出でよ」と、もう一つ「リベラル派(左派)へのお願い」に書かれていることがとても気になっています。どちらも戦後民主主義謳歌してきた私たち世代への呼びかけです。私自身は、息子が小林よしのりの「戦争論」を持ち帰って、私たち世代の考え方は戦後民主主義だと批判された時から、少し考えるようになりました。矢部氏の主張は、「日米安保」と「9条」は抱き合わせで一つ、”対米(軍事的)従属”しながらこの2つを『指一本ふれるな』と護持して「戦後70年の繁栄と平和」を築いてきたが、もう限界。世界情勢が今まで通りを許さなくなったということです。少し詳しく矢部氏の考えをフォローしてみます。

1)矢部氏は第5章でわざわざ「リベラル派(左派)へのお願い」という見出しを立てて、「そんなリベラル派(左派)と呼ばれる勢力の、特に年配の方々にお願いがあります…どうか、憲法について真正面から議論することをタブー視しないでいただきたい」と書き始めています。
 次の見出しは「そろそろ事実にもとづいた議論を始めましょう」で、憲法9条幣原発案説について、「憲法制定過程の研究というのは、法学ではなくて歴史学なので、専門家の見解は政治的な立場を問わず、実はみな、明確にこれを否定しています。当然です。それを証明する確実な証拠がひとつもないのですから。日本人の平和への思いを象徴する『神話』を大切にしてきた経緯は理解しますが」、そろそろやめませんかということです。

 その理由は、「憲法9条は、日本の首相が絶対的平和主義に基づいて発案したという虚構を本気で信じてしまうと、私たち日本人は、かつて『軍事上の主権』を手放したことから生まれた現在の苦境から、永遠に抜け出せない」からということです。

 日本の憲法9条は、1946年2月にマッカーサー元帥とその部下のケーディス大佐が、「国連軍」とセットの条文として書いたものです。しかしその後、国連軍は実現しないまま東西の「冷戦(cold war)」が始まり、1950年6月にはついに朝鮮戦争という「現実の戦争(hot war)」が起きてしまったため、マッカーサーはダレスとの密室の談合で一瞬のうちに大方針転換を行い、憲法9条を「在日米軍」とセットの条文として再定義しました。
 その時考えだされたのが、230ページの図にある法的トリックなのです。(国連憲章第106条の読み替えから生まれた日米安保条約

2)「あとがき」の方は9ページばかりですが、これも重い。私たち世代が戦後70年を語るときは「平和と繁栄」がセットであり、(「繁栄」はともかく)のちの世代にこれを残して受け継いでもらいたいという風に考えていると思います。矢部氏も「今から約70年前に極貧の敗戦国としてスタートし、その後、1950年代後半から約30年にわたり「人類史上まれな」と呼ばれるほどの急激な経済成長を経験しました。」と書いています。

 ここからが大事です。「なぜそんなことが可能だったかといえば、その最大の原因は『軍事主権の放棄』という、密室で合意された基本方針のおかげだったといえる。」

 第二次大戦後に始まった冷戦構造の中、米軍に軍事主権を引き渡し、そのことで戦後世界の覇者となったアメリカの警戒心を解いて、経済面での優遇措置をあたえてもらう。その一方、マッカーサーが残した憲法9条を盾に取り、自衛隊の海外派兵は拒否して、日本人が戦争に巻き込まれないようにする。
 つまり「日米安保には指一本ふれるな」という右派のテーゼと、
    「憲法9条には指一本ふれるな」という左派のテーゼが、一見激しく対立するように見えながら、そのウラでは「軍事主権の放棄」という一点で、互いに補完しあい、支えあっていたわけです。
 そして、表面的には矛盾するその二つのテーゼをそのままセットで自らの基本方針(日米安保支持&護憲)とした、「保守本流」と呼ばれる自民党のリベラル派政権が国の中心にどっかり座り、その路線のもと日本は冷戦期、長期の社会的安定と経済発展を実現することになったのです。

◎そうなんですね。日米安保だけでも、また憲法9条だけでも、戦後日本の「繁栄と平和」はなかったのです。相矛盾する二つのテーゼを成立させてきたのが実は「(軍事)主権放棄(=対米従属)」だったのです。右派は左派のテーゼを無視、リベラル左派は右派のテーゼを無視して「戦後日本」を語ることは間違いだということです。
◎そこで、矢部氏は最後に「右派も左派も、それぞれの楽園から出なければならない」と訴えます。なぜなら、<「軍事主権の放棄」という戦後日本の隠された「国是」が、いま、「文明の逆説」そのままに、日本に深刻な危機をもたらし始めているからです。> 深刻な危機とは、一つは外交力。<今回の朝鮮半島の政治情勢に日本は「分断された民族の融和」や「核戦争回避」という課題に対して率先して協力するどころか、ブレーキ役を果たして、世界から軽蔑されるような「外交姿勢」しか取れないこと。もう一つは、東アジアの国際環境が大きく変化した後、それでも軍事的な危機が起きた時、日本には自国の危険を回避するための選択肢がどこにも存在しないのです。>

 日本は朝鮮戦争ベトナム戦争、湾岸、アフガニスタンイラクと、いくつもの大戦争において、その全土が米軍の出撃基地となり、全面的な後方支援を行ってきたので、国際法上「参戦」してきたことに。 その日本が、今まで全く報復攻撃を受けてこなかったのは、「日米安保」や「憲法9条」のおかげというよりアメリカの参戦国が、「日本に届くようなミサイルや爆撃機をもっていなかったから」。

 しかし、今では米軍の制空権は、東アジアでほぼ失われつつある。そういう根本的情勢変化の中で「日米同盟(=主権なき軍事的従属体制)さえ続けていれば、日本の安全は守られる」という右派の主張は、「一切の軍事力を持たずに国を守れ」という一部左派の主張と同じくらい、文字通りのはお花畑となっている」。
 なぜなら軍事主権の放棄とは、「戦争をする権利」の放棄であると同時に、「戦争をしない権利」の放棄でもある。国家としてそれほど危険な状態はないのです

そして「あとがき」の最後の見出しは「未来は必ず変えられる

一つの文明の成功の条件が、同時にその文明の失敗の条件となるという逆説のように、一つの文明の死の苦しみは、同時に別の文明の生みの苦しみとなるというもう一つの文明の逆説もまたあるのだ
この言葉を、特に若い世代の人たちに知ってほしい。新しい日本の社会を、日米関係を、そして核兵器のない平和な世界を、混迷の中から生み出していくのは、皆さんの仕事なのです……」と矢部氏は結んでいます。

●私たち世代の右派とリベラル派(左派)が、矢部氏の訴えにこたえなければいけない立場です。少なくとも若い世代の邪魔をするようになってはいけないな〜と思います。私も憲法の議論をタブー視しない年配のリベラルでありたいと思います。
◎次に読んでみたいと思っている本はこれです:

布施祐仁
@yujinfuse 11月29日

いま「非軍事中立戦略」を議論することは非常に意味のあることだと思う。非軍事中立を目指すには、外交や経済などのソフトパワーを駆使して日本が
自主的主体的に安全を確保する方法を全力で考えないといけないから。軍事の是非はともかく、これこそ今の日本が最も力を入れないといけないことだと思う。

きむらとも
‏@kimuratomo 11月30日


『9条の挑戦ー非軍事中立戦略のリアリズム』
自衛隊憲法に明記せよ
●日米同盟日米安保こそが日本の平和を守る
●米軍に依存せず軍備増強せよ
●日本を取り巻く安全保障環境は非常に厳しい
●非軍事中立など平和ボケの寝言だ
という夢想家は必読だ。
非軍事こそが"現実主義"。さぁ反論出来るか?

●さて、若い人たちに期待したいところですが、どうなんでしょう。
月曜日の「特別な1日」(https://spyboy.hatenablog.com/)さんには、内閣支持率を紹介するツイッターが引用されていました。それによるとする「安倍内閣を支持する」が男女とも、かなり高いですが、男性の7割が支持とは驚きます。本当でしょうか。

そして、クラーク博士のお話が。私にはこちらの方がショックでした。細かな校則が書いてある紙を破り捨て「紳士であれ」で十分だと言ったクラーク博士。本当に日本の学校教育は150年前とあんまり変わっていないんですね。ちょっとがっかりしますが、そうではない若者たちもいます。
●「知ってはいけない2」を読み終わったころ東京新聞がこんな特集を組みました。
その記事の中に、シールズの諏訪原健さんの名前を見つけました。見覚えがあると思ったら、ツィッターで「#勝手に決めるな まともな国会運営を求める #1206国会前抗議」を呼び掛けた人です。翌日の7日の国会前抗議の呼び掛けに応じて参加された「特別な1日」さんのブログには諏訪原さんの写真も掲載されていました。
『戦争のできる国にしたくない』という思いは受け継がれるかもしれません。


内田樹さんがリツィート


東京新聞政治部
@tokyoseijibu 11月27日


平成が来年で終わります。何十年後、何百年後かに振りかえった時、戦後日本の安全保障政策を大転換した #安全保障関連法 の成立は、平成時代の大きな特徴として語り継がれることでしょう戦争のできる国にしたくない。そんな思いから #国会前デモ に集まった若者たちの思いをまとめました。