グレタ・トゥーンベリさん「『少女』の言葉の受け止め方」(小田嶋隆)

◎昨年から数か月続くオーストラリアの大火事は今年に入って先月の大豪雨(一部地域では17日と18日の2日間で過去10年分以上の降水量を上回る雨)によって大部分が鎮火したようですが、容赦ない火攻め水攻めに地球の異常事態を感じます。

そこで、地球温暖化の危機を訴えるグレタさんについての記事で以前から気になっていた記事があります。「GQJapan(「1月&2月合併号」出版されたのは19年12月)」の小田嶋隆さんの記事が男性側からの正直な?内容でしたので、いつかメモ代わりにと思っていたら、つい最近女性の記事も出ました。並べてみます。

Don't  Treat Me Like a Child

「少女」の言葉の受け止めかた

16歳の環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんの言葉をどう受け止めるべきか

「子ども」でも「大人」でもない「少女」の言葉を前にしたときのオヤジのつぶやき。

Words  小田嶋 隆 Takashi Odajima

 先ず小田嶋隆氏の記事の書き出しは、「スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリ(16)さんの話題に触れる時、私はちょっと緊張する。というより、自分が神経質になっていることに、毎度のことながら当惑する。どうして神経質になってしまうのかというと、そもそも彼女のニュースを配信するメディアの人間にしてからが、明らかに緊張しているからで、その、彼女を取り巻くあらゆる人々が発信している緊張感に、当方としても影響されないわけにはいかないからだ。」

 緊張感をもたらすものとして、何より、表記が統一していない、「グレタさん」と「トゥーンベリさん」と二つの呼び方があり、いまだにきっちり定まらない。「理由は、彼女を一人前の大人として扱うべきか、それとも16歳の少女としてと遇すべきか迷っているからだ」「世のオヤジ連中は混乱している」と。以下、書き移してみます:

(前略)

 私はと言えば、当初から、彼女の言葉をなるべく言葉通りに受け止めるべく努力している。具体的に言うと、私は、発言者が年端も行かぬ小娘だからという理由でその言葉を軽んじる人間だと思われないために、年齢よりもさらに幼く見える彼女の風貌をなるべく見ないようにつとめている次第だ。というのも、「少女」というカギカッコ付きの存在を前にした時、われら日本の中高年男性は、やたらと高圧的な説教オヤジになるか、でなければ、ベタ甘のデレデレオヤジになるのかのどちらかで、いずれにしても、バカを晒すことになるものだからだ。いや、かならずそうなるのだ。

じっさい、少女を対等の人間として扱うことのできるおっさんは、例外なのだ。であるからして、私は、少女に直面した時には、相手を少女だと思わないために全力を尽くすことにしている。自分ながら奇妙な反応だと思うのだが、不自然でも奇妙でも、そうするほかにどうしようもないのだ。だって、自然に振る舞ったが最後、オレらオヤジは、高圧的になるかベタ甘になるのかの、どちらかでしかいられないのだからして。

 さて、オヤジの言葉だと思ってトゥーンベリさんの声に耳を傾けてみると、あらまあ不思議、彼女の言い分はごくごく当たり前な環境保護活動家の発言に過ぎないとすれば、とりたてて過剰反応する必要はない。是々非々で、こちらが感じた通りのリアクションを示せばよい。なあんだ簡単じゃないか。

 てなわけで、現在私は、天皇即位国民祭典ので折の芦田愛菜さんの存在を冷静に受け止めるべく、彼女のお言葉をオヤジの声で脳内再生し直している。うん、とてもきもちわるい

最後の最後が小田嶋氏らしいですね。これで、とても説得力あるお話になります。だって、グレタさんの正反対、振り袖姿で礼儀正しく高ぶらず冷静に晴れの舞台で舞い上がることなくお行儀よく大人が望む以上のパフォーマンスを成し遂げた芦田愛菜さんをどれだけほめたたえる声が上がったことか・・・目を塞いで言葉だけを聞けば、コチラはコチラで『うん、きもちわるい』と言える小田嶋氏は信頼できる大人です。 

〇あの日のお祝いの言葉全文が載っている記事を見つけました: 

芦田愛菜ちゃんの「お祝いの言葉」は誰かが作った文章を芦田愛菜ちゃんが読んだ... - Yahoo!知恵袋

さて、グレタさんの今年に入ってからの活動を伝える記事です: 

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© Fabrice COFFRINI / AFP スイス・ダボスで、地球温暖化対策を求める運動「フライデーズ・フォー・フューチャー」に参加するグレタ・トゥンベリさん(中央、2020年1月24日撮影)。

次に女性の側からの記事(書き手は『コミュニケーション・ストラテジスト 岡本 純子』さん)が出ましたので見出しを並べてみます:

17歳の環境活動家、グレタ・トゥンベリさんを中高年男性が嫌う理由

 「ヒステリックな10代」「精神的に病的な子供」

理想論を振りかざし主張の正当性だけを押し付けてくる

女性の怒りが男性の怒りに比べ許容されにくいのはナゼなのか

グレタさんはマッチョな資本主義のシステムを否定した

グレタさんの発言はリベラルと保守の溝をさらに深くした

人々は怒りの種火を常に残しており、次の燃料投下を待っている

 ◎読み終わって、良く書けているんだけど同性としてあまり良い気持ちがしない。なんとなく、『やってくれたわね、迷惑なのよ』という感じがしないでもない。これ、一見理解を示しながら一般的な男性側の言い分に同調気味にも取れるのは私だけかな・・・皆さんはいかが?