ETV特集「義男さんと憲法誕生」第三章 国家賠償請求権と刑事補償請求権

5月に放送された番組ですが、書き起こしながら考えるのにちょうど良いので最後までやってみます。GHQ憲法草案に書かれていない条文で、ギダン(義男)さんが帝国憲法改正案委員小委員会で提案し議論され追加修正された条文が取り上げられています。速記録から議論のやり取りを俳優が演じて再現ドラマになっています。ギダンさんを演じているのは鶴見辰吾さん。速記録の内容と一言一句間違えられないセリフですがギダンさんを見ているようですし、芦田均委員長の斎藤洋介さん共々お見事です。

第一章 平和主義、第二章 生存権に続いて、第三章は2つの権利。それでは書き起こしです(速記録は旧仮名遣い):

   MMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMM

    第三章 

      十七条 国家賠償請求権

      四十条 刑事補償請求権 

 GHQ憲法草案になかった二つの権利を求めていたことがギダンさんの速記録から明らかになった。

1946(昭和21)年7月31日 帝国憲法改正案委員小委員会でギダンさんが提案した。

ギダン「日本国民はお上がやったことに対して訴へを起こすなどと云ふことは出来ることではない。こう云ふことは不届千万と云ふ観念がありまして、さう云ふ訴へを起こすことは出来るのだぞと云ふことを国民に理解させておくことは国民の権利の保障の上非常に大事なことであります。」

ナレーション(N) : ギダンさんは何故このような提案をしたのか?

N:東北大学を追われた後ギダンさんは1930年弁護士に転身。人権を侵害された多くの人々の弁護に取り組んでいた。注目された裁判は女優のスキャンダル裁判でした。

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人気急上昇中だった映画女優志賀暁子。映画監督との間にできた子どもを堕胎と刑法違反の罪に問われた。ようやく主役の座をつかんだ暁子は結婚できない相手との子どもを生むわけにはいかなかったと言います。

新聞雑誌で大きく取り上げられた事件、ギダンさんは弁護します。

1936(昭和11)年11月 東京地方裁判所

「志賀暁子の裁判記録全文」「婦女界」1937年2月号より

ギダン「相手方の婚姻意思がはっきり確かめられるまで妊娠は避くべきでありますが、妊娠を防ぐことは女性のみのよくなし得る所ではないのであります。妊娠は主として男性の放縦無責任の結果であります。」

井上臺(だい)吉・検事「この犯罪を犯すに至った経過中には一掬(いっきく)同情すべき点もないではないが、かくの如き犯罪を犯すことは女として欠くる点があるのではないかと思ふ。即ち母たることは最上の喜びとする女性の本能に欠くるところがあるのではないか。」

ギダン「生まなかったということに対して女として本能に欠くる所ありと仰せられるのは難きを強ふるものと思ふのであります。私は本件を担当して世の多くの男性と女性とに『汝等の中(うち)罪なき者先ず之に石を擲て』と云はざるを得ない心持ちがするのであります。女性として被告と同一の立場に立ちました時、峻厳なる刑罰の前に戦慄しながらも猶(なお)打ち勝ち難い堕胎の誘惑に捉われないものがないでありませうか。名誉心あり羞恥心ある人間として当然陥る誘惑であります私はどうしても之に石をうつ気になれない。無罪のご判決なきまでも刑の執行猶予の恩典は必ず与へられることを信ずるものであります。」

N:聖書の言葉を引いたギダンさんの弁護。彼女に石を投げられる程自分は罪を犯したことがないと言い切れる人間はいるだろうか。判決は懲役二年ギダンさんの弁護により執行猶予三年となりました。

ギダンさんはしばしば聖書を引用し弁護につとめました。それは幼いころの体験に根差している。十代を過ごした東北学院。弁護士の家に生まれたギダンさんは、ここで働きながら学んでいた。弱い立場の人々と常に思いを共にしていく生涯を貫く姿勢はキリスト教によって培われてきたのです

東北学院大学は今弁護士時代のギダンさんの研究が進んでいる。戦前ギダンさんが最も力を入れて取り組んだのが治安維持法違反者の裁判でした。

東北学院大学名誉教授 仁昌寺正一さん「これは宇野弘藏という経済学者治安維持法違反事件の弁護を鈴木がした弁論の要旨をまとめたものです。

これは、本名は宮本ユリなんですけど、作家の宮本百合子です。その方を弁護した裁判記録。

N:1925年制定された治安維持法は国体、つまり天皇中心の国家体制を変革しようとする結社を取り締まるために制定された。やがて宗教団体や自由主義者への適用が拡大、多くの犠牲者が出た。経済学者の河上肇や宇野弘藏、鈴木茂三郎、作家の宮本百合子など、ギダンさんは錚々たる人物を弁護しています。

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仁昌寺「義男さんは元々クリスチャンということもありまして、当時一番弾圧された人たちは治安維持法違反の罪だった、そういうものを放っておけない人柄というのか、そういう人生観、世界観を持っていて、自分はマルクス主義ではなかったんですけど、世の中を良くしたいという思いでやっている人たちを見捨てられない」

取材の人「しかし、そういうことをするのは当局からにらまれるんじゃないか」

仁昌寺「はい勿論です。いずれあなたも検挙せざるを得ないと言われていたそうです。それをちゃんと書き残しています。累が及ぶよということで脅されていたんだと。」

1938(昭和13)年 第二次人民戦線事件

N:大学教授らが治安維持法で一斉に検挙された人民戦線事件

東大でマルクス主義経済学を研究していた有澤廣巳もその一人だった。次男の有澤徹さんは父が検挙された時、4歳。特高特別高等警察)が張り込んでいたといいます。

有澤徹さん「特高がそのころは家の周りをウロウロしているという話があって僕も見かけたことがあった。検挙になる直前で動静をずっと見ていたのだと思います。それはもう目つきが悪いですよね特高さんだから。だから怖いおじさんがいるよと」

N:有澤の裁判は太平洋戦争(1941~45)の只中で行われた。1944年には戦局は悪化しサイパンが陥落していた。当時ギダンさんが作成した弁護要旨に並々ならぬ決意をかたっていた

1944(昭和19)年 東京控訴院

ギダン「有澤被告は私の同学の後輩であり学者として密かに尊敬して居たものであります。今、図らずも有澤君とかくの如き場所で相見(まみ)ゆることを深く悲しむものであります。私は本職の弁護士ではありますが特別弁護人のやうな心持を以って之より被告の為にその冤を雪(すす)がんとするものであります」

N:ギダンさんの弁護はこの後4時間に及んだ。マルクス主義とは何かから始まり経済学の講義のようだったという。

ギダン刑法上或る者がある思想を抱懐したと云ふ丈けで刑罰に処せられと云ふやうなことはあるべきことでもなく 全くあり得ない事であります『法は 思想は之を罰せず罰せるを得ず』と云ふ大原則があります。特定思想の抱懐の故を以って直ちに刑罰の目的とし得ない所以のものは一種の天賦権としての人間の思索の自由なるものがあるからでありまして、観念の世界丈け考へて居る限りは道徳は関与し得ましても法律は干渉し得ないのであります。故に仮令(たとえ)有澤がマルクス主義を信奉するに至った、そしてそれが経済学説である為に我国の制度と関係を有するに至ったとしましても、それ丈では被告を処罰することの出来ないことは多言を要せずして明であります。冷静に御審理下さいまして速やかに無罪の御裁判あらんことを希ふものであります。」

1944(昭和19)年 無罪確定

N:有澤は二審で無罪となった。

戦後東大経済学部に復職した有澤、吉田茂のブレーンとして日本の経済復興計画を立案していきます。

戦前、戦中の裁判で、人権を侵害された人々の弁護に努めてきたギダンさん、憲法裁判にかかわる国民の権利を追加するよう求めました。

1946(昭和21)年7月31日 帝国憲法改正案委員小委員会

ギダン「日本国民はお上がやったことに対して訴へを起こすなどと云ふことは出来ることではない。こう云ふことは不届千万と云ふ観念がありまして、さう云ふ訴へを起こすことは出来るのだぞと云ふことを国民に理解させておくことは国民の権利の保障の上非常に大事なことであります。国民に注意しておかないと親切でないやうに思ふ。」

N:ギダンさんをはじめ社会党が求めていたのは、さらに二つの条文を追加することでした。

冤罪者に対しては国これを補償するーー刑事補償請求権

何人も公務員の公法上の不法行為に対して国に損害賠償を求める権利――国家賠償請求権」です。

刑事法学が専門の田中輝和さんはギダンさんの新たな追加修正を新資料から明らかにした。

東北学院大学名誉教授 田中輝和さん「ギダンさんが弁護して無罪になった人も何人かおられるわけですけど、無罪になって補償を得られない人のことを沢山弁護してみておられると思う。ですから憲法に国民の権利として規定しておかないといけないと言った。アメリカにもそういう権利は保障されていなかったんですけれども、まぁ、だからGHQもそれには消極的だった。ギダンさんはアメリカなら規定がなくてもいいけれど日本はどうしても必要だと」

芦田委員長「冤罪者に対して国はこれに保障することを規定しよう。是は進歩党も自由党も無論異存ない点であるのですが、冤罪者に対する国家補償は現法律で行って居る程度が非常に軽すぎると云ふことは常識だと思ふのです。併し、憲法の中にはっきり冤罪者だけの規定を入れるか、或いは公務員の不法行為の条項だけで宜しいのか、或いはそれに冤罪者の問題を含めて規定するか、斯う云ふ問題がある訳です。」

N :芦田が突いてきたのは、二つの権利を別々に条文にするのかという問題です。

芦田「その二つの権利が基本的には別個のものである、まったく別個のものであるということですね。つまり、国家賠償請求権の場合はあらゆる行政官庁の公権力の行使が対象になる。刑事補償請求権の場合は裁判所の裁判だけが対象になる

N :二つは別々の権利であり、一つの条文にはできないとギダンさんは法律の専門家して主張する。

ギダン「私どもの考へは出来るだけ立法の省略と云ふことを致したいのですけれど、冤罪者賠償の方は公法上の不法行為と言はれ得ない正当な行為に依ってやられる裁判官が正しい裁判をした積りで、又客観的に見てもそれは正当行為、それに対して賠償を払ふのですから。」

N:芦田委員長が法制局の各座長に意見を求めた。

法制局 佐藤達夫「鈴木さんの仰いましたように片方は一応正当な行為としてなされたものに付いてですから、言葉も補償と云ふ言葉になる。もう一つは不法行為ですから賠償と云ふ言葉を使わなければならぬと云ふ点の文言を使い分けなければならぬと云ふことが出て来ますから一つの書き流しにすることが出来るかどうか・・・」

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芦田「法制局で考へて貰いませうか。どうですか鈴木さん。二つの規定を一箇条にするか、あるいはどうしても二ケ条にしなければならないか。さう云ったものをも御任せして意見だけ聴くと斯う云ふことにしたらどうです。」

ギダン「結構です」

N :結局ギダンさんの意見を入れた法制局の佐藤達夫によって二つの別々の条文が追加されました。

  第十七条 

    何人も、公務員の不法行為により、

    損害行為を受けたときは、

    法律の定めるところにより、

    国または公共団体に、

    その賠償を求めることができる。

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N:この条文に基き国家賠償法が定められました。戦後、水俣病ハンセン病患者など国の施策によって被害を被った人々が賠償で求め勝訴しました。

  第四十条

    何人も、抑留または拘禁された後、

    無罪の判決を受けたときは、

    法律の定めるところにより、

    国にその補償を求めることができる。

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N:第四十条に基いて刑事補償法が定められ冤罪者への国家補償が行われるようになった。(第三章 おわり)

 

◎ 第四章  三権分立をめざして  (つづく)

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