金曜デモと日帰りでお別れに・・・

◎昨日金曜日の再稼働反対官邸前抗議デモについてはいつもの「特別な1日さん」より:不要不急って誰が決めるの?:お風呂と読書の日々(と、鮎のコンフィ)(笑) - 特別な1日

 
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首都圏反原発連合
 
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【重要なお知らせ】 【0814再稼働反対!首相官邸前抗議】は反原連のスタッフのみ、官邸前のみで抗議を予定し、twitcasting.tv/mcanjp から中継することとします(18:30-19:30)。今後の感染状況次第で中止もありえます。 coalitionagainstnukes.jp/?p=4142

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 ◎連日の猛暑、13日(木)は朝6時40分ぐらいには家を出るので、前日の夕方花の鉢にはたっぷり水をやる事に。中一日置いて、朝、なんとかどの花も大丈夫でした。また昨日は最高気温37度という予報がでていますので、朝の水やりに外にでて、初めて気づきました。クレマチスを絡ませているオベリスクに引掛けていたランの鉢に白い花が咲いています。見逃していました。

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2年前の9月、父が亡くなったときに頂いたラン、自生している環境に近づけておくとよいというのでオベリスクが夏椿で日陰になる側に引掛けておきました。昨日気づくまでわからなかった。頂いたランの鉢に初めて花を咲かせることが出来ました。

さて、末の妹の13日の葬儀に参列する東京の長男の為に、父の夏の喪服を持って行くことになりました。母がクリーニングに出してキチンと洋服ダンスに整理してくれていたので、中の物は捨ててと言われた時、体形的に間に合うのは長男だけなので残していました。昨年の父の一周忌には、仕事を終えて京都の東山浄苑へやってきた長男は黒い襟付きの半袖シャツに黒っぽいズボンにボロ?靴、仕事着のままで来たのを夫が怒っていました。取材先で不幸があっても失礼のないように襟付き黒シャツはいつも着ていくようにしているという息子にすれば、そのまま京都のお寺でも通用すると思ったのでしょう。私は、来てくれただけでも嬉しかったので何とも思わなかったのですが夫には礼儀知らずと映ったようです。今回も仕事の途中で来て、終わったらそのまま夜のクルーに入るというので、父の夏の喪服が無駄にならないし、私たちがまた持って帰ることに。いつまでも手のかかる独身の40代最後の長男です。京都の一周忌では沖縄の次男は一式レンタルで揃えてきましたので、兄弟でもこうも違うものかと思いました。

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新幹線の8時台のひかりはお盆料金で通常料金、ジパングの割引は利用できずでしたが一車両数組というガラガラ状態。途中、雨の地域を通り抜けて、浜松を過ぎて掛川を通り越して、煙突が見える富士から富士山の裾野が見える原を過ぎて、新婚時代を過ごした沼津辺りの景色はよく覚えています。50数年前、新幹線の三島駅で降りてバスで沼津市に引き返して少し行ったところに住んでいたので懐かしい景色。この辺りの新幹線沿いの景色は今もあまり変わっていないということです。小田原で下車、東海道線に乗り換えるところでバッタリ妹夫婦と会いました。4人で30分ほどで辻堂。息子は5分ほど遅れて着きますので5人揃ったところでメモリアルホールへ向かいました。

コロナ禍ですので、家族葬ということでした。お供えの花の中にカラオケとボウリングのグループの名前が。妹夫婦は二つのグループの世話役でしたのでコロナでなければ大勢の方がお別れに来られたと思います。遺影の妹は優しく微笑んでいます。パーマはかけずに若い時からずっと南田洋子さんのようなおかっぱ頭でした。遺影を見ながら私には掛け替えのない妹たち2人の一人を亡くしたのだとしみじみ思いました。

f:id:cangael:20200813175325j:plain(新大阪行きを待つ小田原で)

すぐ2つ年下で早生まれの妹は小さい頃から何処へ行くのにも付いてきました。私もなぜか電車に乗ってみんなと小学校の先生のお宅に行くのにも妹を連れて行っていました。高校は私が3年の時1年に入学。卒業後は別々の大学でしたが、それでも何かあると誘っていました。そんな私たちを見て、5つ年下のクールな末の妹は大学に行っても大したことはないと短大に進んで大企業と言われる会社に就職して総務の受付。そこで京大、阪大の言い寄る人たちを断って、東京から転勤してきたという背が高く、休み時間にギターを弾いて場を盛り上げるのが上手で陽気で趣味が豊か、経済的理由で大学には行けなかったというハンサムな彼を選びました。

f:id:cangael:20200813181317j:plain (富士山)

大人になって、それもかなり最近の思い出話の中でも、母は3人姉妹で末の妹に結構すげない言い方をしていました。本人を前にして言っていいの?と思うようなことを母は平気で言っていました。母自身、5人姉妹の真ん中ですので長女や末っ子の気持ちは理解できず、のん気な真ん中の妹とよく似ています。決して悪気はないと思うのですが、もう三人目になったら(参観日とか)どうでもよくなったと。その分、一人目の私はどうでもよくなかったわけで、そのあたりの損得を一番分かり合えたのがこの妹でした。大変だったよね、私は放っとかれて助かったと思ったけどお姉さんは大変だったよねと言ってくれたのはつい十年ほど前。高校3年生までの母と私のことについては誰にも解ってもらえないと思っていたので本当に救われた思いがしました。それでいて母の生き方を一番尊敬して見習っていたのもこの妹でした。淋しくなります。

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妹の長男の甥と連れ合いの二人は福祉関係の仕事ですので会食は禁じられていて、車の中で一人娘と3人でお弁当を食べていたようです。この6歳くらいの女の子がグレイのリボンのついたグレイのジャンパースカートを着ていたのですが、妹の長女(私の姪)の小さい頃や母親である亡き妹の小さい頃にそっくりでした。お骨上げの時にはバーバの変わり果てた姿に甥の背中に隠れて泣いていました。箕面の聖苑の骨壺の4,5倍はありそうな大きな花模様のついた陶器の蓋つきの骨壺には驚きました。

いよいよお別れです。車いすの夫であるYさんに、これから寂しくなるけど頑張ってねと言って長女が運転する車に位牌を持って乗り込むのを見送りました。甥たちは奥さんの運転する車で清水へ向かいます。妹夫婦はタクシーで茅ヶ崎駅へ。私たちは息子が着替えるのを待ってタクシーで辻堂へ。

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30分ほど時間があったのでスターバックスでコーヒーを飲み、息子が仕事のことで夫にアメリカからのメールを見せて何やら相談。時間が来てここで別れることに。私たちは待合室で少し時間をつぶして帰りのひかりで新大阪へ。帰りは名古屋まで一車両貸し切り状態でした。こんなんでは便数が減ったりして『便利な新幹線』はやっていけないかも知れないと二人で。大阪、辻堂、朝6時台から夜の9時過ぎまで日帰り往復。享年70歳の妹の葬儀に行ってきました。(最後の写真は浜名湖

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