「ディスインフォメーションの時代」(想田和弘氏)

🔲映画作家想田和弘氏のマガジン9の記事からです。トランプ大統領の「言ったもん勝ち」のウソ発言、アメリカのメディアはファクトチェックして事実に反するものは流さないで応じています。それでも一度流れた情報は信じ込む人たちもいますし、打ち消して元に戻すことは不可能に近い。それなのに、日本では権力のある人たちが流す情報はほぼそのままNHKや民放が伝えています。国会で野党が事実確認して否定しても、そちらの方が大きく報じられることはマレです。世は「ディスインフォメーションの時代」と想田和弘氏が書いています:

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想田和弘 「精神0」公開中さんがリツイート

 
 
岸原さや
 
ハーブ
 
@sayasaya777
 
「きれいな澄んだ湖に、有害物質を流す。有害物質を撒くのは簡単だが、それを取り除いて湖を元通りにするのは容易ではない。まさにそういうことが、情報の世界で、政治の世界で起きている。」
 
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「ディスインフォメーション」の時代(想田和弘監督)

「 ディスインフォメーション」の時代

ドナルド・トランプが米国大統領になって以来、「ディスインフォメーション(disinformation)」という言葉をよく見かけるようになった。

 人々を真実から目をそらさせ、世論を歪めるために、虚偽の情報を意図的に流布することを指す。かつてヒトラースターリンが使った手法として知られるが、21世紀の米国において、トランプが大々的に復活させたわけである。

 興味深いのは、トランプは別に隠すわけでも恥じるわけでもなく、極めておおっぴらにディスインフォメーションを行なっていることである。

(中略)

 

  というのも、 ディスインフォメーションのコストは低い。デタラメの情報なら、いくらでも無限にでっち上げることができるからである。

 それに対して、トランプらが流したディスインフォメーションのファクトチェックをして打ち消す側は、割に合わない仕事を強いられる。いくらデタラメな情報だとはいえ、それがデタラメであると証明するには時間やコスト、優秀なスタッフが必要だ。だからどうしても物量では負けてしまう。それにオバマの例が示すように、時間と費用をかけてデタラメであることを完璧に証明したとしても、一定の人たちはデタラメの方を信じたままになる。

  それはきれいな澄んだ湖に、有害物質を流すようなものである。有害物質を撒くのは簡単だが、それを取り除いて湖を元通りにするのは容易ではない。まさにそういうことが、情報の世界で、政治の世界で起きている

 このような傾向は、残念ながら日本の人々にとっても対岸の火事ではないはずだ。

 「桜を見る会」の前夜祭のコストが一人5000円だったと安倍晋三首相が言い張るのは、まさにトランプ式の厚顔無恥なディスインフォメーションだし、どんな批判があっても「その批判は当たらない」という紋切り型で答える菅義偉官房長官の会見などは、受動的なディスインフォメーションであろう。彼らが虚偽の発言をするのは簡単だが、それをいちいち嘘だと証明する方は大変だし面倒だ。圧倒的に不利である

 ちょっと前までのディスインフォメーションは、もう少し凝った作りだったと思う。たとえば「日本の原発は絶対に事故を起こさない」なんていうのは、官・民・学が総力で作り上げたディスインフォメーションである。嘘を練り上げるのに、案外コストも時間も人員もかかっている。バレないような工夫を少しはしていた。「社会保障を維持するために消費税増税が必要だ」なんていう嘘もそうだろう。

 ところが今や、ディスインフォメーションは「バレてもよい」というのが前提なので、実にお手軽だ。誰でも簡単に瞬時に作れる。しかも効果があるときている。ソーシャルメディアが、その手軽さとコストパフォーマンスに拍車をかける。ツイッターフェイスブック、ユーチューブには、低予算で即席に作られたディスインフォメーションが溢れているそれが政治を、社会を、民主主義を大きく歪める。

 事実や正直さを重んじ、健全なデモクラシーを希求する私たちにとっては、実に困難な時代であるといえるだろう。だが、そうでない人たちには、天国のような時代なのである。

◎今週から隣の実家の片づけに入っています。母がホームで落ち着いた様子なのでそろそろ取り掛かろうかということに。2階の父の部屋のパソコンや写真関係は既に完了していましたが、母が階下にベッドを置いて生活していたので、本棚の中はそのままに。それらを残すものと処分するものに分けています。テレビは台にしていたものが痛んでいるのでこれも処分。テレビそのものも今は見られない状態なので大きなビニール袋にくるんで長椅子の裏に置くことに。今日あたり、クリーンセンターへ運んで少しスッキリしたいと思っているところ。

◎昨日は夫がシルバーの清掃の仕事が入っていました。私は気になっていた映画の終盤の暗転の意味を考えるためもう一度見た「きみの瞳…」が6日からオーディオコメンタリーで上映しているというので、スケジュールを調べたら、今週金曜から第4週に入ってお昼の上映は昨日が最後ということでした。映画にお喋りがつくなんて邪道もいいとこと思っていましたが、2回見たからこそその邪道を試してみようかと新しいことに挑戦と思って出かけました。

「副音声上映」を案内する看板のところに60代位の女性がおられたので声を掛けて教えてもらうことに。何回目ですかと聞いたら3回目とか。私は聞かれなかったので言わなかったのですが同じような人がいるものです。スマホで「HELLO!MOVIE」のアプリは準備していたので教えてもらったようにカメラで「きみのめ」を取り込んで、あとはイヤホーンを付けて客席で起動して待機。2度目の後、あらすじと考察とを書いていたので、書いたことと三人のお話に見当違いがないか答え合わせを兼ねて聞くようなことにもなりましたが、塁の思いは横浜隆星さんも同じことを仰っていたのでホッとしました。塁の名前が八村塁さんからというのも監督さんのお話から。同じ映画を映画館で複数回見ること自体初めての体験で、自分が見るまでは少しバカにしていましたが、こんなこともあるんだな~とこのところ初めての体験づくしで映画の新しい楽しみ方にちょっと驚いています。