★18日の金曜日は再稼働反対の官邸前デモの日、翌日にと思っていましたが今回は特に遅くなりました。いつものように「特別な1日」さんからデモの様子を、といってもコロナ感染が一向に収まらず先週東京は過去最高の800,700を超える日も。数か月前医療専門家がこのままいけば600を超え1000人になると言われたことが現実味を帯びてきています。そんな中ですのでデモは今回も:
引用元新自由主義との戦い方:『クラテッロ・ディ・ジベッロ』と『不寛容な時代』 - 特別な1日 (hatenablog.com)
ということで、今週も再稼働反対の金曜官邸前抗議は今週もリモートです。
★今回SPYBOYさんがタイトルで「新自由主義との戦い方」の一つとして書かれている「不寛容な時代」という桐野夏生さんの朝日の記事について、実は私は、この桐野夏生さんの12月15日の寄稿記事の前に、11月26日付の記事を手元に置いたままでブログに取り上げ切れていなかったのでした。見出しの大きな字を読むだけでも記事の内容が分かりますので、コチラは写真で紹介です。小説で警告してきた不穏な社会に現実が追い付いてきているという内容です。
左隣のコラム「語る」は劇作家の永井愛さんのシリーズですが、コチラも「『論理より力関係』が日本の空気」というタイトルで何を言わんとされているかが分かると思います。別の回では、空気を読んだり忖度したりするのはオカシイと皮肉と批判のつもりのセリフが「空気を読まない人は非常識」「忖度しない人は疎まれて当然」というメッセージだと間違って受け取る観客が増えているという笑えないお話も紹介されていました。文化人や学者が時代の動きを察知して警告を発する時代になっています。
★もたもたしているうちに12月15日付の「オピニオン&フォーラム」欄に「不寛容の時代」という桐野夏生さんの寄稿が掲載され、これまた、ぐずぐずしているうちに「特別な1日」さんが取り上げてくださいました。何が書かれているか、SPYBOYさんがまとめておられるのを引用させていただきます:
要旨はこんな感じです。
今回のコロナ禍でより大きく打撃を受けているのは非正規社員だが、非正規社員の6割が女性である。雇用の非正規化が進んだのは市場原理と自己責任を優先する新自由主義経済のせいだが、今回の女性への打撃も自己責任という言葉で片づけられつつある。
新自由主義の自己責任というロジックを追求すると、あらゆるクレームを避けるための『正義』にぶち当たる。映画でも小説でも最近『何故 犯罪者をテーマにするのか』と尋ねてくる人間が居るが、人間は元来 右とも左とも言い切れない、不透明な部分を持っている。不透明な存在である人間をテーマにする小説を読むことは、新自由主義が私たちに押し付けてくる『正義』と戦うことではないだろうか。
★全くこの通りなんですが、せっかく残してある記事がありますので、桐野夏生さんが今の不寛容の時代を招いている新自由主義の『正義』に対して小説を読むことで戦うことが出来ると書いておられる全文を辿ってみます。
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2020年12月15日 朝日新聞「オピニオン&フォーラム」
不寛容の時代 【寄稿】
「正義」でねじ伏せて
罪を犯す重さ儚さを
知ろうとしない傲慢 小説家 桐野夏生
「文学や映像もまた、グローバリズムのくびきから逃れることは出来ない。
今や文学ですらも、世界で通用するためには、市場原理主義の洗礼を受ける。人種差別、民族差別、性差別、児童虐待、あらゆる種類のクレームを避けるための検閲が働き、表現は刈り取られて滑らかになった美しいものが供される。しかし、棘を内包しないつるつるの顔をした文学は、人の胸を打つことが出来るのだろうか。
そして、つるつるの美しい顔は、同じ表情、同じ声で、あらゆる場所で「正義」を語り始める。「正義」は、あらゆる人間をねじ伏せることのできる、便利な言葉だから。」
★東日本大震災の翌年に開催されたイタリア映画祭で、一人の青年が「七つの慈しみ」というイタリア映画の監督に「罪を犯した女性をなぜ主人公にしたのか?」と質問したことがあった・・・・「私は、その質問に、それまで感じたことのないような違和感を覚えた。まさしく、これまでの違和感とは質が変わった、と実感した瞬間だった。」から続く言葉が:
最後の欠けたところは「想像力の及ばないところ、いや、無縁のところに堂々と鎮座して、周囲を睥睨している。まるで、自分が一番偉いかのように。」
想像力 他者を認め、慮(おもんばか)る力に
「後年、似たような質問を、私も受けたことがあった。『夜の谷を行く』という連合赤軍事件に関わった女性のその後を描いた作品についての、雑誌取材での出来事である。インタビューに来た若い女性が「なぜ、彼らは罪を犯したんですか?何で法律を犯した人を書くのかわからない」という。その答えは、私にも分からない。分からない事だらけで、闇の中を進むのも、また小説を書くことなのである。そして、小説は正解を出すものでもない。その小説世界に生きる人間を描くことしか、できないのである。」
★結愛ちゃんの母親は夫から何時間も執拗な説教を受け、叱責され、反省文を書かされ、すっかり自信を無くし、混乱し、逃れることしか頭になく自分がおかれた状況すらわからなくなった。同じようなことが50年前に‥‥それは勿論、連合赤軍のことである。
「連綿と続く、人間の愚かさ。そして、罪。そこには、『犯罪』という言葉だけでは、持つことの出来ない事実の重みがあり、手ですくおうとしても、手のひらからこぼれ落ちてしまう、水のような形を留めない事実の儚さがある。
その重さや儚さを積極的に知ろうとしないと、人々は何度も同じことを繰り返すのかもしれない。だから、事実には普遍性があると、私は信じているのだ。事実を単なる「犯罪」という言葉で片付けて、慮(おもんばか)ろうともしない人々は、傲慢(ごうまん)で不寛容だ。」
いよいよ結語です:
★ここでもう一度このブログの書き始めのSPYBOYさんの『要旨』に戻ると、より鮮明に桐野夏生さんの言いたい内容が分かる気がします。
「要旨」の引用元をもう一度:新自由主義との戦い方:『クラテッロ・ディ・ジベッロ』と『不寛容な時代』 - 特別な1日 (hatenablog.com)