◎サンデイ横の小さな畑の菜の花が春の日に輝いています
◎先週末、陶芸をやっている従弟から電話があり父親が誤嚥性肺炎で亡くなったという。私の父は6人姉妹兄弟。二人の姉と弟が二人と一番下が妹です。亡くなったお叔父さんは95歳。従兄の話では「兄貴(私の父)の亡くなった102歳まで生きる」と頑張っていたが去年の秋ぐらいから弱ってきたという話でした。コロナのこともあって家族葬でということでしたので弔電を打って、今週に入って母に手紙を書きました。その手紙を読み終えているはずの今日、お悔やみの手紙とお供えの花を送るので母の了解を得るため夫の車で2時ごろホームへ向かいました。
緊急事態宣言が出てから夫が寒中見舞いを届けに行きましたので私は初めてのホームでした。ロビーには7段のお雛様が飾ってありました。受付で、身内に不幸があって母の了解を得る手紙で返事を待っていますのでよろしくお願いしますというと快く受けてくださって、出口の通路の椅子でしばらく待っているように言われました。
少しして先ほど封筒を預かってくださった方が「こちらにシッカリ〇をつけておられましたよ」と渡した紙片を。「最近、どうでしょうか、元気にしていますでしょうか?」と尋ねたら、「この時間はいつも椅子に座ってテレビを見ておられます」「お昼寝の時間だったらどうしようかなと思ってたのですが」「あぁ、座ってウトウトのこともありますが、大体シッカリされていますので、お元気、大丈夫です」とのこと。お礼を言ってホームをあとに。
帰って、叔母さん宛にお悔やみとお供えの花を送ることを書いて母の名前で代としました。封筒の名前は私の名前にして宛名書きを。今日のうちにと、手紙をポストに入れてその足で花屋さんに。胡蝶蘭の花は大きすぎるし石川県へは送れないというし花そのものも派手で貰っても困るほどの大鉢なので、ツボミを沢山つけた白いシンビジウムの花を選びました。
これで父方は小松のプリンスの母親である叔母さんが一人、母方は5人姉妹の真ん中の母が一人残るだけ。寂しくなってしまいました。それにしても父の白寿の会、今から6年前でしたが、あれが最後でした。先週亡くなった叔父はその席で日ごろ鍛えた喉で朗々とおめでたい謡を吟じてくれました。いつも朗らかな叔母さんも今は完全に耳が聞こえず車椅子生活で施設に入っているとか。 お二人とも自力で何とか歩ける最後でした。
あの時、父にお葬式に来てもらうより元気なうちに会っておく方がいいでしょう?なんて私も露骨な言い方をして、父が元気なうちに父の弟妹とのお別れ会のつもりで白寿(99歳)のお祝いの会にして一泊どまりで従弟たちの車で連れてきてもらいました。翌年は母が父の百寿のお祝いを娘たち家族でやりたいというので集まりました。それから2年後に父は亡くなりましたので、思い残すことのない大往生でした。お葬式は高齢の叔父さん、叔母さんには声を掛けないで家族葬で済ませ、お香典は誰からも受け取らないことに。この先、母の場合もコロナであろうとなかろうと、そういうことになると思います。いとこ同士や姉妹の間で納得ずくの見送り方の形が出来てきたと今回でより感じました。
🔲ワクチン6人分が注射器の形状の違いで5人分しか取れないとか。いろんなところでチグハグが出て来ますね。日本、どうした?ですが、8年間、国会があんなだったこととどこか関係があるような気がします。みんな自分の仕事を誠実にというより、忖度と疎んじられて飛ばされるのではないかという上の顔色を見て仕事をする風潮が蔓延してしまったのではないでしょうか・・・地道に誠実に責任感をもって与えられた仕事を全うしていた人でも、風向き次第で上に立つ人は逃げるように出世して持ち場を離れ、理不尽な後始末を一人に押し付けて、やがて命を絶つ程に追い詰められて・・・それに近い思いをした人がどれだけいたことか・・・そういう働き方の結果がこんなところにもと思えてしまいます:
🔲こんな決め方、おかしいですね。森会長が後任について個人的に責任を感じる問題でもないし、組織あっての会長ではなかったことが分かってしまいますね。だからこそあんな発言になったわけで、反省もなければ問題の本質もまだまだわかっておられないような。逆に森氏が個人的に推す人は基本的にダメだが正しくなってしまいます: