元広島市長平岡敬さんに宮崎園子氏が聞く「『オバマ熱』5年後の広島は」

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買い物に出たらサンクスビルの階段の上で夾竹桃が咲いていました。

帰り道、Yさん宅でも白と赤の夾竹桃が一番花をつけていました。

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◎映画監督で脚本家の井上淳一氏の6月2日のツィッター。先月の5月27日は今から5年前、オバマ氏が大統領の時、広島を訪問した日でした。あれから5年、についてです。

 
 
 
@gomikari
 
必読。
引用ツイート
宮崎園子
 
@sonoko_miyazaki
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2年半の育休から復帰後初の大仕事がオバマ訪問でした。5年後、こんなに来訪者のいない広島になるのも、私が会社を離れるのも想定外。 この5年が何だったか、50歳年上の記者の大先輩に聞きました。 「オバマ熱」5年後の広島は|宮崎園子  @sonoko_miyazaki #note note.com/sonoko_miyazak

◎2019年の11月、箕面市のグリーンホールで井上淳一監督の映画「誰がために憲法はある」の上映があり、上映後パンフレットにサインを頂いた時ツィッターを紹介され、以後、井上氏のツィッターをフォローしています。宮崎園子さんという方が、先輩記者だった元広島市長の平岡敬氏にインタビューした記事の紹介ツィッターです。

オバマ大統領が横田基地から日本に入り、また広島にも岩国基地から入ったことや、あのヒロシマでの演説の冒頭「空から死が落ちてきた」という何とも奇妙な表現といい、オバマ大統領にしては・・・と私にとってもアメリカ大統領最初の訪問という意義は認めつつ疑問がたくさん残るヒロシマ訪問でしたので、この記事はとても関心がありました。全文を引用させていただきます。

オバマ大統領の広島での演説 ~英語全文・日本語訳・解説~ | 英語学習お助けサイト (english-learninghelp.com)

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オバマ熱」5年後の広島は

 

5年前の昨日、2016年5月27日は、広島にとって「歴史的な1日」だった。バラク・オバマ氏が、現職のアメリカの大統領として初めて被爆地・広島を訪れた日。私も取材班の一員としてあの日、夕暮れ時の平和公園にいた。あれから5年、打って変わって静まりかえった平和公園。静かなのはコロナのせいだけなのだろうか。5年前にお会いしたとき、来訪に興奮した広島を「オバマ熱」と切って捨てた、元新聞記者で元広島市長の平岡敬さん(93)に、5月27日その日に聞いてみた。結局、オバマ氏の訪問は広島にとって何の意味があったのですか。それによって、浮き彫りになったものは何ですか――。

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ひらおか・たかし 1927年、大阪市生まれ。広島とソウルで育つ。終戦時は、ソウルで旧制高校に在学していた。52年、中国新聞社に入社。編集委員、編集局長などを経て、中国放送(RCC)社長に。91年から2期8年、広島市長を務めた。著書に「偏見と差別」(未来社)、「希望のヒロシマ」(岩波新書)など。

 

米軍基地から平和公園

――2016年5月27日はどこで、どういう風に過ごしていましたか。

家の2階からちょうど広島西飛行場が見える。オスプレイがどんどん飛んでくるのをみた。西飛行場って、ちょっと思いがあるんですよ。市長在任時、廃港にすることになっているのを、広島市の都市空港として残そうとして。そのときに運輸省の航空担当の人に「一県一空港と決まっている」って言われ、だめになった。その空港にオバマが来た。使ってるじゃないか。オバマは来た時に岩国から来た。これがだいたいけしからん。確か、入国のときもあれは横田基地に来たんじゃないですか。羽田空港じゃなくて。大統領が、表玄関から来ず横田に来た。やっぱり日本は占領下にあるんだなと。普通は国に入るときは検疫を受けて入国審査を受けるんだけど。

――あのときの広島は、路面電車は運休になり、市民の憩いの場である平和公園からも市民は締め出された。修学旅行生もたくさんいる時期ですが。

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ぼくは最初からね、反対論をいっていた。何しに来るのかと。ものすごく違和感があったんですよ。(原爆投下について)謝らんでいいって岸田さん(当時の外相)も、湯崎さん(広島県知事)も言ったでしょ。謝らなくてもいいから来てくれと。それで怒った。だれの許しを得てそういうことを言えるのか。死者、殺された人間はどう思っているか。今のうのうと生きている人間が、謝らなくてもいいとは何事かと。僕は謝るべきだと思っている。

原爆投下は間違いだったと、アメリカに認めさせなければならない。過ちを認めてまず謝罪する、そして補償する、そして再発防止を誓う、というのが和解の3原則。謝らなくてもいいって、なんでそんなことを言ったのか。ただ来てもらいたいだけでしょう。なんのために来てもらいたいのか。謝らずに来て、死者が許すだろうか。だからとにかく僕は反対だった。

平和もオバマ頼みか

――あのとき色んな被爆者の方に話を聞いた。色んな思いはあるが、来てくれたらそれだけで大きな一歩だという声が多かったように思いますが?

オバマに対する過剰な期待でしょう。他人頼みというかオバマ頼み。日本人にはたえずある。自分の力で現実を変えていこうとせず、他人の力を借りるオバマの力を借りて、平和をもたらそうという。

2009年にプラハでの「核なき世界を」という演説を聴いて僕は感動した。で、みんなが万歳した。特に広島は舞い上がった。

僕は、オバマがどういう政策をとるか、予算をみなきゃいけないと思った。みたら、核兵器の予算が、前大統領のときより10%増えている。これはインチキじゃないかと。あれだけ核兵器をなくそうといったのに開発予算を増やしている。それが彼の人間性に対する不信感。その後、オサマ・ビンラディンを急襲作戦で殺害したときの中継を見ていたら、オバマが手を叩いていた。これはいかんな、と。どんな犯罪人であっても捕まえて裁判にかけるなりしないといけないのに、殺して手を叩くなんて、けしからん。彼の言う正義というのは眉唾だなと。

そういうことが重なり、僕はオバマに対していい感じをもっていなかった。

――期待が裏切られているわけですね。それに至るまでに。

プラハの演説をきいて、みんな喜んだ。ぼくも喜んだ。核兵器をなくそうと言っているわけだから。それはすばらしいと。だけど、言っていることとやっていることが違う。人間としてちょっとどうかなあと。なのに、みんな歓迎すると。ちょっと待てよ、と。謝らなくて歓迎するのはおかしいじゃないかというのがあって、それが当日きてみたら、黒いかばんがあるじゃない。フットボールが。やっぱりアメリカの大統領ってのはすごいなあ、とね。

平和公園に核のボタンを持ち込んだオバマ

――大統領が核兵器の発射命令を出すために必要な機器一式が納められている、黒色の革製ブリーフケースのことですね。それを持って平和公園に。

それで「核兵器廃絶」を言っている。結局、あれは政治ショーだった。安倍首相(当時)と並んで。安倍さんが最後にしゃべったでしょう。10分ぐらい。で、オバマは自分のレガシーを作るためにやったんだと思うけど、安倍さんにとっては選挙戦術ですよね。
広島は貸座敷じゃないかと。本来ならばあそこで、広島の市長が何か言うべきなんですよ。広島市民を代表し、オバマと並んで広島は核兵器廃絶を言うんだ、と。なのに出番がない。ただ安倍が喋って。要するに政治ショーになった。彼らのね。広島は貸座敷。貸しホール

――そういう認識が、多くの方々にあったかというと決してなかった。

ないでしょう。「来てくれてありがとう」でしょう。いまでも「よかった、よかった」って。その後、何があったんかな。何も変わっていないですよ。彼が来たことで変わったのは観光客。原爆資料館に来る人が増えた。

これはオバマ効果と言われているが。じゃあ、それが平和の役に立ったかどうかっていうのが問題なのよね。広島市がそれによって何か変わったか。彼が来たことによって。変わっていないよね。

広島がこれから何をやっていくか、どうすればいいかということを、僕らは色々考えている訳ね。オバマについて言うならば、彼が来たことによって注目度はあがったが、それが平和にプラスしたかどうか。僕はないと思う。だって、日本政府は、核兵器禁止条約にそっぽをむいている。広島市長ですらはっきり言わないよね。ほいじゃ何のためにオバマを呼んだのか。来てもらって喜んで、意味がなかった。

観光客を増やすのが目的だったのか

――広島市は、被爆の実相を知ってもらうために、とにかく訪れてもらうという「迎える平和」という施策を掲げている。観光客が増えて多くの人が広島に来るようになったなら、それはそれでいいじゃないですか。

それはまあ、それでもいいと思うよ。しかし、広島にとって、謝らなくてもいいとまで言って、来てもらった。なんのためかって、観光客を増やすためじゃないでしょう。平和を前進させるため、あるいは、彼が来たことによって広島の平和思想や平和運動がさらに前進すると言うことなら、いいと思うのよ。でも前進していないのよ。観光客を呼んだだけだったら、客寄せのためによんで、平和ってのはそういうもんじゃないだろうと。核兵器をなくすことに役立っているかどうか。現実的には核兵器禁止条約ってのができて、たしかに世界は一歩前進している。それに対して、広島はね、どういう働き掛けをしているのか。

核兵器廃絶、世界平和。決まり文句のようにいうけど、それが「ヒロシマの心」だとすると、「ヒロシマの心」はオバマがきたことで更に豊かになり、核兵器廃絶に向かって前進しているかどうか。現実を見たらそうじゃない。何も変わっていないよね。そうするとあれはなんだったんだって疑問を持つよね。しかも核兵器フットボールをもって平和公園に足を踏み入れた。これは死者にとって非常に冒瀆だろうという気がする。

結局何しに来たんかなっていう。彼は。自分の大統領終えるにあたってのレガシー。ちょっと広島をのぞいたっていうね。あるいは日本が働きかけたのかもわからん。安倍さんが自分の選挙のために。本気で核兵器廃絶を考えていないんだ、彼は。考えてたら、禁止条約に署名しているはずだから。だけど日本政府は考えていないでしょ。反対しているわけだから。

広島は貸座敷ではない

――肌感覚だが、貸座敷でもいいから来てもらってよかったっていう声が大きすぎて。

広島は貸座敷なんかね。そうじゃないでしょ。広島って、そこで平和への決意を固める場所じゃないかね原爆ドームを見て資料館を見て、そこで原爆のことを思い出し、原爆反対の決意を固めていく場所じゃないかと思うのね、平和公園っていうのは。だけど、ただの観光名所。観光ってのはもちろん悪いことじゃない。学ぶってことがありますからね。ただ、客寄せのためのオバマを利用したと言われてもしょうがないよね。

――オバマさんは広島に来たけど、原爆資料館の中は見ていない。特別展示みたいにして、一部の被爆資料を並べられたのを見ていっただけ。その姿勢はどう感じたか。もう十分知っていますってことなんでしょうか。

本気で広島を訪れるならきちっとみるべきだろうね。あのときの惨状はどうだったのか。観念的には知っているでしょう。それと、実物を見るのは違う。資料館の意味はそういうところにあるでしょう。惨劇だけだったら書いたものも数字もある。アメリカも全部調べているから知っている。だけど生身の人間がどれだけ苦しんだか。やっぱり資料館をみることによって人間の感情は喚起されるから。本を読むのとは違う。

――そこをきちんと見ずに、あのスピーチをした。「空から死が降ってきた」というあのスピーチ。平岡さんも、記者として原稿を書き、市長としても平和宣言をするということをして来たが、文章として、あるいは言葉選びとして、あのスピーチはどう評価するか。

それも最初のあれでがっときたじゃない。死が空から降ってきたって言う。ただ、レトリックとしては非常にうまいよね。文章って言うか演説は。プラハの時もそうだったけど広島の演説もね。あらゆるところに目配りして、文学的な表現もあるし、歴史や科学への言及もあって哲学的な考察もある。だけど肝心のね、原爆投下についての自分の認識って言うのはいわなかったね。天から降ってきたと。そのことについて広島の人間が何も言わないのか。まあ、僕の意見は少数意見だからね。へそまがりだと思われたかもわからんけど。

怒りを忘れたヒロシマ

――もっと原爆の記憶が生々しい時期だったなら、広島市民はものを言ったでしょうか。70年以上経ったからようやく広島に来れた?

うーん。どうだろうね。これないでしょう、アメリカは。うん。よくきたな、たいしたもんですよ。つまりアメリカ人は、広島に行ったら報復されると思っていた。広島の占領軍は米軍じゃなくて、英豪軍で本部は呉にあった。でも日本人はまったく報復しなかった。戦前の軍国主義から解放された喜びの方が、アメリカの占領よりも大きかったって言うね。喜びが。だからその後アメリカは変質するんだけど、最初は占領軍としてやってきて、その後朝鮮戦争の前から反共政策に転換していってね。アメリカ軍の本質自体が。民主勢力から、日本の占領政策がかわってくる中で、まあ、日本人は怒りを忘れたっていうかね。解放の喜びだけが残って怒りを忘れた。骨抜きになったというかなあ。けど復讐するためには何が大事かっていうのが問題。あの頃被爆者はもういっぺん原爆をNYにおとしたらわかるとかおとしてやりたいという人がいた。うらみつらみで。

日本人はやっぱり世界平和という概念を持ち込んで、その復讐心を抑えた。復讐よりも解放された喜びの方が大きかった。日本人自体がまあ、こういう堅固な思想をもっていないのかもわからん。それは未だに分からない。

――オバマ氏は広島で「歴史を直視する責任」とも言っている。でも、アメリカ自身が原爆投下の責任を直視していない。

していないし、あれは正しかったと言っている。それは僕は間違っているといっている。広島は。あれが正しかったのなら、今度いくらでもつかえるじゃない。相手が悪ければつかっていいっていう論理を、やっぱり我々は否定しなければならない。僕らの立場は。

それには謝らせる、少なくとも間違いを認めさせるというね。間違いを認めたら、人間としては謝るでしょう。最初から謝罪を求めるんじゃなくて、あの作戦はまちがいだったということをアメリカ人が認めて。そうすると自ずと謝罪、そして補償、そして再発防止。二度とそういうことをやりませんっていうね。それがない限り、再発する可能性がいくらでもある。反省がないでしょう。ただいま、世論としてやっぱり間違っていたという世論も徐々にアメリカの中で増えている。時の流れだと思う。特に若い世代に原爆投下は間違っていたという意見がだいぶ増えてきてますよね。世論調査を見ても。だからこれに希望をたくするしかないあかなと。

真珠湾とは話が違う

――オバマさんに原爆投下について謝ってくれと言えば言うほど、結局日本はどうなんだっていう、矛先がこちらに向いてくる。それを回避したい方々は、「アメリカは謝れよ」って心で思っていても、陽に言えないんじゃないか。「真珠湾が先じゃないか」って常に持ちだされる。

真珠湾とは話が違う、それはきちっと分けなければいけない。報復自体は国際法で認められている。戦争行為で。だけどこれは新兵器でしょ。残虐な爆弾。戦争が終わっても、平和が訪れても、人間が苦しみ、殺される。これはやっぱり非人道的な兵器じゃないかっていう。

人道主義という観点は、戦前からあったんですよ。国際法の基本ですから。国際法で人道に反するものは禁止していこうってことで、毒ガスは禁止され、対人地雷は禁止されたっていう歴史がある。日本も原爆投下のすぐ後、8月11日かな、抗議していますよ。極めて非人道的な兵器だ。その抗議は正しい。だけどそれはその後受け継がれなかった。占領軍によってそういうことをいうのは禁止されたから。

――結局5年経ったけど、何も変わらない。死者のみなさんも納得がいっていない。

せめて核兵器をなくする努力を、生き残った人間が一生懸命やってきているわけですよ。だけどこの5年間、じゃあ、少し変わったかっていったら日本政府をはじめとして逆方向にいっているじゃない。核兵器禁止条約ができて、これはほんとね、平和にとっては大きな前進でしょ。それに対して日本政府はそっぽをむいているよね。

――オバマさんが来てからの5年間って、広島を取り巻く、あるいは核兵器廃絶を求める方々を取り巻く環境が激変した。彼が来た翌年には核兵器禁止条約ができて、そしてこの前、発効に至った。

でも日本政府は、逆走しているよね。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の努力もあり、核兵器廃絶に向かって少しずつ積み重ねてきて、ここまできたのに。そうじゃなくて、むしろ敵基地攻撃とか、核武装論すら出てきている、だから、オバマが来たことが、結局なんだったんかっていうことを、もういっぺん自分たちに問い返さないといけない。自分たちで。オバマ来広はいったい、わたしたち広島市民にとって、なんだったのかって。結局何でもなかった。前進しなかった。広島はかわらなかった。

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――それは広島の不作為ですか。条約ができたのに広島がその波に乗り切れていない。

型どおりに反対したりいろんなことをいってるけど、日本政府をかえることができなかった。日本政府の態度を。ずっと戦後そうだった。

――たとえば基地問題のこととかを広島市にきくと、結局、「安全保障は国の専権事項」って必ず返ってくる。

だけどね、核兵器禁止条約ができたのも市民運動がきっかけ。対人地雷も全てね、被害を受ける市民の側からの問題提起によって、国際政治が動いてきた。それを動かしていくのが21世紀にかけての民衆の動き、世界の潮流でしょう。それを否定したらダメよね。われわれは主人公である、つまり人間であるという意識を持って世の中を変えていくと、それが大事なんよね。
だからこれは国の専権事項だっていって、国とはいったい何かというと、主人公は国民じゃない。政治家って言うのは投票によって国民から委託をうけて政治をやっているのよね、民主主義は。だから、国の専権事項だって責任を放棄したら、だめなんよね。意見をいわなきゃ。賛成か反対か。それぐらいの意見はいわないといけないでしょ。賛成だったら政府に対して、賛成せい、っていうのがこれは民主主義社会の筋じゃないかね。

――広島の市長は、市民社会を背負って、平和首長会議の会長の名の下でそれを訴えている。広島市長としての意見とは整理して区別しているという。

平和首長会議として言うのはいいけど、広島市長としても訴えないと。なんべん訴えてもいい。実現するまで。しつこいぐらい訴えないといかんね。あらゆる場で。平和首長会議で言ったんだからいいじゃないか、じゃなくてね。実現するまで絶えず努力をする。普通運動はみなそうじゃない。多かれ少なかれ、ことが成就するまでは、いろんな場面状況の中で努力していく。だから核兵器禁止条約ができるように声をあげていくのが広島市の市民の役目だし、市民の委託を受けて市長はいるわけだから。市長もいえよと。

広島の自己矛盾

――お話の最初の方で、広島は他人頼みだと。自分の力で現実を変えようとしないんだっていうのは、東京とか国対地方都市である広島もそうだけれど、広島の中においても、なんとなく役所頼みなところがある。

これは日本全体がそうでしょう。平和問題にかぎらず。だいたい選挙制度がそうでしょう。本来なら、有権者が主人公で代議士は選ばれて委託をうけて仕事をする。ところがいまは逆になっていて、我々が頼むという形。お願いするという。これは広島市の戦後、被爆者運動がそうだった。お願いする。被爆者救援の医療法があって、それを改正のたびにお願いする、お願い運動だった。残念なことにそれがずっと今も続いている。だから広島は、自民党金城湯池でしょう。ちょっとおかしいじゃないか。自民党核兵器禁止条約に反対しているわけよね、現実的ではないといって。

そういう土地柄で、ものすごい自己矛盾がある。平和を訴えながら保守政治の金城湯池。だから言ってることと行動がバラバラだというね。本当は言行一致しないといけない。平和を訴えていくのなら、平和憲法を改正しようとする党は支持できないはずなのよ。それを支持するのはほんとうはあり得ない。だけど、広島はそういう土地柄。平和については右も左もないと言い切ってきたけど、本心はそうじゃないから平和運動も分裂したわけでしょう。

――最大与党を動かすことで実際被爆者援護を勝ち取ってきた被爆者運動がある。だけど、もう一つの柱、「核兵器廃絶」では、自民党に対して、本気でやってくれってことを言い切れているかというと、そうでもない。

だから平和思想がね、本物かどうかって言うのは問われている。たとえばこの前の選挙で金権政治反対と言って、ものすごく皆さんの心を一にして、弱い野党が勝ったじゃない。やればできるわけよね。核兵器廃絶だって本気でやればできんことはないけど、残念ながら、建前でおわっている。言うだけ。「核兵器廃絶」「世界平和」。だれも否定しない。

広島の平和思想が問われている

――広島市は、アメリカが核実験をしたら抗議文を送る。だけど、広島が目指す方と逆に向かう中央の政治に対して、先制不使用の件とか、トランプ政権に対するスタンスとかで、自分たちの思いと違う方に進んでるなってなったとき、抗議をしていない。広島として。海の向こうの為政者には文句はいうけど、広島と長崎がある国のトップには抗議をしない。

日本の政治の仕組み、中央対地方自治体、の関係が非常に大きく影響しているよね。補助金の問題とか。ほんとうの意味の地方自治になっていないでしょう。日本の場合は。建前としては地方自治なんだけど、ある場合には機能するけど、一番根幹のところで、やっぱり政府に握られているというか。だってコロナだってそうでしょう。

理想論かもしれないけど、広島は核兵器廃絶を言っているけれど、もう一つ先にね、こういう社会をつくるんだということが大事だと思う。そういう理想を掲げることが。搾取のない、みんなが平等でお互いに助け合う、そうしたみんなが幸せに暮らせる社会を目指しているんだって、理想を掲げて、そのためには核兵器は邪魔だから廃絶するんだっていう形でないとなかなか世界の人たちとつながっていけないと思う。

――みすみすこの5年間、全体で見ると大きなうねりをおこしきれていない広島がある。

結局オバマと安倍の政治ショーに終わった。結局ショーだった。運動じゃなくて。核兵器廃絶のためのステップじゃなくて、彼らのための政治ショー。その舞台を広島は貸したという。

――続編というか、あの後、安倍さんが返礼のような形で真珠湾に行った。あれはどうご覧になったか。

意味がないよねえ、あれは。だからぼくは真珠湾と広島を等価値で対置するのは反対なんよ。アメリカがそれをやったけど、本来は対置するもんじゃないけど、流れとしてはね。真珠湾があったから原爆にいったと言うけれど、それを結果として、対置できないもん。和解なんてできていないよ。和解って言うのは謝罪から始まるんだからね。

――それは、日本もそうですね。

日本だってアジアに対して謝罪する。それは和解の原則だと思っているから。謝罪、補償、再発防止。企業でもそうじゃない。社長がでてきて再発防止を誓うっていう。だからアメリカに対して、外交の問題があるからストレートに謝罪しろっていうのは難しいかもわからんが、あの作戦はまずかったねと。間違ったねというのはいえると思うし、言うべきだと思う。あれが正しかったら何でも正しくなる。
つまり、核兵器を使う口実って言うのは何かって言うね。いままで口実がないから使わなかった。自制したでしょう。だけど、今後つかうときには無計画でつかうかもわからん。どこかの国が。非常にややこしいのは核兵器だけの問題じゃなくなってきてるから。戦争がね。AIとか宇宙とか。我々の20世紀の人間はだめ。戦争の形がどんどん変わってきている。そうすると、原爆って古いなと。

ジャーナリストは疑問を抱け

――あのころ、平岡さんは広島がオバマ熱にかかっているといった。オバマさんが来るまでの流れとか、来た時とか来た後も含めて、広島のメディアをどういう風に評価されますか。自分自身の反省も含めてお尋ねします。

メディアも体制順応だから。オリンピック見たってそうじゃない。体制順応。それはまあ、僕もいたからわかるんよ。それはわかるけど、その中でぴりっとした抵抗を示してほしかったよね。抵抗。つまり。みんなが賛成、賛成といったときに、それは違うよと言うのがだいたいジャーナリストなんよ。ねえ。斜に見るという。みんなが万歳万歳っていってるときに、ほんと?ってね。疑問を抱くのがだいたいジャーナリストなんですよ。一応疑ってみるって言う。記者の第一歩じゃない。みんながわーわー言ってるときにわーわー言ってしまったら戦争中の新聞と同じだよ。今そうなりつつあるから。だから自戒を込めて言えば、やっぱり世の中が右に行ってるときには左に、左行ったときは右を考えてみるって言うね。それが一番ものごとをみていくときの基本姿勢じゃないかなって思うね。世の中全体が右に傾きつつあるときに、やっぱりバランスとるためには左に重心をうつすってことは大事なんだよ。それをおそれたらだめだよね。

画期的なことだから舞い上がったのはわかるんよね。マスコミも舞い上がるけど、待てよ、っていうね。あるいは死者の事をだれも考えないよね。死んだ人のことをね。ぼくはいつも死者の事を考える。それは戦争で死んだ人もそうだし、300万人の人が死んだわけでしょう。広島も10数万人が死んだ。いまも殺されつつあるという認識よね。過去のことじゃなくて、今どんどん殺されている。そういう認識を持たないと行けない。それは僕は、こうの史代さんから学んだ。彼女のマンガを初めて読んで。

原爆で人を殺すというアメリカの意思は今も続く

――夕凪の街桜の国、ですかね。

あれの書評を頼まれた。僕はマンガなんてみたことがなかった。読んでこれはすごいことをいってるな、と。殺されると。殺されているっていう認識をもたないと。今も殺されているのよ、被爆者は。そうすると怒りが燃えてくるでしょう。これは間違いだって。非人道的兵器だって。そういう認識をもたないと。兵器って言うのは人を殺すためにある。その兵器が効力を発揮している。放射能っていうのは何十年も影響を与え続ける。だから核兵器はいかんのだっていうね、そういう論理の組み立てできちっと核兵器を否定して、そのために進んでいかなければならないのに、未だ殺されている。人を殺すために原爆を投下した、そのアメリカの意思がずっと続いている。そうとられたとき、謝らんでいいって言えるかね。でも、僕はそれで批判されたのよ。心が狭いとか。「そういう気持ちではほんとうの平和はこない」とか「まず許さないと」とかね。死者が言うならいいけど、生きている人間が勝手に言うべきではない。

――平岡さんのいう、「政治ショー」は、広島の死者のお名前が集約されている原爆死没者慰霊碑の前で行われた。かつては「怒りのヒロシマ」なんて言われた時代もありますが。

そうそう。生きた人間のエゴイズムでしょう。歳月が人の感受性をにぶらさせたり、悲しみを和らげるっていうことはあるんです。時の流れが。だけどまだ殺されているよと。過去の話じゃないよ、という認識はぼくは大事だと思う。75年前の話じゃなくて今殺されていると。そういう認識に立ったとき、これは許せんよという。謝るまで。僕はそういう認識なんよ。

これを許したら核兵器廃絶はただ言っているだけだよね。行動するのは非常に難しいですよ、たしかに。われわれの手に負えない兵器だから。権力者が握っている兵器でしょ。だからこそ庶民の声で変えていかないと

――手に負えない兵器だから、その存在をコントロールする為政者にはどういう人であってほしいか、まさにそれが政治だけど、どういうリーダーを選ぶか。トランプ政権の時にひしひしと感じました。そう考えたらこの5年間ってまずトランプが誕生して消えていった5年間でもある。アメリカは政権交代ができる。やばい!と思って変えられる。転じて日本は。

ごもっともだね。嘆いてもしょうがないけど、そんなことをずっと考えていくと、結局日本人はなにかとか日本の文化はとか、そういう話になる。いよいよ絶望的になるけど、そうはいっても自分たちの家族の幸せとか、いろんなことを考えるとこのままじゃいけないなっていう。それは単なる核兵器だけの問題じゃないよね。今の社会のあり方っていうのは、だからそのシンボルが核兵器だと思う。世の中のゆがみのシンボルが。

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だからみんなが幸せに、自分の子を安心して育てられるような、そういう社会をつくるにはやっぱり核兵器は何の役にも立たんのだし、そこに使うお金をもっと他のことに使えよと、まともな政治家なら考えるだろうけど、そうはいかないね。軍備ってそういうもんだからね。守るためには必要なんだってね。全部僕たちの税金。それでああいうものを作る。極めて非生産的。

核兵器はゆがみのシンボル

――核兵器はゆがみのシンボルで、それをいつだって否定するのがヒロシマの役割だけど、ヒロシマがこういう社会を目指すんだっていう理想をきちんと掲げ、だからそれに反する核兵器を許さないと、そういう理論構築をするために、まだ遅くないですか。

今からでも作っていかないと。僕自身もできてない。ただ、抽象的に差別のない貧困のない、思想の自由が保障された、環境にやさしい、そういう社会をつくろうと。平和って言うのはただ単に核兵器の問題だけではなくて、そういうその差別や貧困などの問題も含めて、そういうことがなくなる社会がほんとうに理想なんだと。核兵器をなくしたら平和が来るって、だれもいわないでしょう。なくなっても平和じゃない

核兵器がなくなれば平和なのか

――だけど、広島が訴える平和とは核兵器廃絶だと矮小化されている。

核兵器を廃絶したら平和になるんじゃないっていうことを認識しないと。核兵器がなくなっても差別があったり、格差社会があったら平和じゃないよねヨハン・ガルトゥングがいったんだから。平和とは何かといったら戦争がないだけでは平和じゃないんだと。核兵器廃絶って言うのは一つの手段、ステップとしてはあるけれど、最終的な目標はみんなが安心して暮らせる社会をつくるっていう。それが広島の思想なんだって言うことを世界の人がきかない。被害者比べやったら広島の被害に匹敵するような被害はいっぱいあるわけ。世界中に山ほどある。その人たちと共感していくためには、世界の人々の痛みを広島は聞こう、と。核兵器。それから格差社会、難民、それから戦争被害者。そういう弱者の思いを広島は全部きくと。それでヒロシマの思想を鍛えて、それからまた世界に発信していく。そういう打ち返しが必要なんじゃないか。今までは一方的に被害を訴えていた。そうじゃなくて、我々は世界の痛みを謙虚に聞くという。

――言い出したらきりがないから、広島から訴える平和は核兵器廃絶なんだって、そうしないと軸がぶれると言いたげな議論は、現実に起きている。

広島から訴える平和が、世界に受け入れられているかどうかが問題。いままでずっと75年間言ってきた。だけどこんな状況でしょ。ようやく条約に実を結びそうになってきたけどまだまだでしょう。今度はヒロシマの思想を鍛えないといけない。ただ一方的に被害を訴えるだけではいかんと。

オバマのことを考えてみてもヒロシマの思想が問題なんよね。ヒロシマの思想がしっかりしていないから、オバマがきたことを受け止められなかった。