「9・1追悼文」と「斎藤秀一・命がけのローマ字教育(「ローマ字は左翼思想」で検挙5回、『非転向』の壁書き)」

◎先日大きな封書が届きました。差出人は豊中の歯医者さん。ホームに居る母の関係です。中を開けて読んでみると「無料検診に訪室したら、歯は無いからと拒否傾向強く口腔内拝見させていただくことが出来ませんでした」と書いてあって、「歯科フォロー」を受けるように家族から言ってほしいという内容です。「検診を受ける、受けない」に〇をつけて、受けない場合はその理由を書くようにというのが一枚と、受ける場合、書き込む書類がどっさり同封されています。

無料検診を「歯が無いから」と断ったというのが母らしいと笑ってしまいました。母は総入れ歯です。さて、何と書いたものか・・・幸い今のところ認知症の心配もない母が自分で断っているわけだし。夫と相談して「母の性格上、自分で断ったものを家族が了承して強制することは無理だと判断しました」と括弧内に丁度収まるように書いて返信封筒に入れて出すことに。

🔲菅首相、昨日の総裁選不出馬の午後1時からの記者会見、なに、アレ?でしたが、小池都知事も同じですね、説明責任ある立場の者が説明しないで事を済ます。そういうことに対して横浜の選挙を初め最近のことごとくの選挙で自民党を落として来た。民主主義がかろうじて生きているということでしょうか:

 
 
 
@tsuda
DHCはようやく社会問題として報道されるようになってきたが、同じかそれ以上に悪質なこちらの件では、都知事がほとんど政治的に無傷っておかしいだろ。ちゃんと地上波がこの問題だけで1時間くらい特集すべき。
引用ツイート
武田砂鉄
 
@takedasatetsu
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説明しようとすらしない。
 
記者:(関東大震災後に殺害された朝鮮人の追悼式典に追悼文を出していないが)今年は出すお考えはありますでしょうか。出されないようでしたら理由も併せて教えてください。
 
小池知事:理由につきましても、昨年述べたことと変わっておりません。 metro.tokyo.lg.jp/tosei/governor

◎9月2日の「shuueiのメモ」さんが取り上げておられる記事は在日外国人相談センターの後藤周という方の記事です。内容は「1.朝鮮人虐殺の実相  2.作文から読み取れること  3.なぜ、 朝鮮人虐殺は起こったのか 4.朝鮮人虐殺から学ぶこと」の4項目で書かれています:関東大震災と朝鮮人虐殺 後藤周 - shuueiのメモ (hatenablog.com)

◎これも朝日新聞の切り抜きで日付がないのですが、多分、8月15日前後、戦争に関係する記事です。コラムのタイトルは「抵抗の足跡(1)/戦後76年」。

戦前に国語のローマ字化を訴えた言語学者についての記事。知らなかったことなので興味深く読みました。これは、残しておきたい記事ですので、書き移しておこうと思いました。書き移しかけて、写真を見るとかなり鮮明に写っているようなので大きくしてみることに。書き移さないで済みそうです。記事の写真を貼り付けます。最後のところだけ書き移しです:

MMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMM

命がけのローマ字教育

検挙5回「わかってもらえる日が来る」

抵抗の足跡 戦後76年

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つづき

しかし、留置場には、「非転向」と書いたエスペラントの壁書きが残されていたという。

 刑務所で結核を患い、自宅療養中の40年に亡くなった。まだ31歳だった。

「今こそ評価」

 「この地で秀一を語るのはタブーだった」

 檀家(だんか)の黒井卓也さん(83)はそう振り返る。地元紙などで斎藤の存在は少しずつ報じられていたが、20年近く前まで斎藤の話題になると、地域の古老たちは話を遮った。「国賊」のイメージが根強かった。

  黒いさんは「秀一はみんなを救おうとした。その働きは日本中に知られていいはずだ」と話す。

 実際、評価する動きは少しずつ広がる。朗読劇のほか、この20年余りの間に複数の伝記が出版された。2012年、生家の寺には「暗い谷間の時代に 人間の良心を携え 非戦・世界の平和を いのちのかぎり希求した言語学者」と刻まれた碑も建てられた。

 戦時下に弾圧された「反戦僧侶」を調べる名古屋市曹洞宗僧侶、別府良孝さん(73)が14年、地元で斎藤の学習会を始めた。曹洞宗は18年、僧籍のあった斉藤を顕彰する声明を出した。

 「斎藤の再評価は、いまの時代の雰囲気の裏返しではないか」。評論家の佐高信さん(76)は、そう語る。鶴岡市で高校教諭を務めたこともあって斉藤に詳しい。「国への異論を許さない、ものを言いにくい空気が社会に充満していないだろうか」と言う。ただ、佐高さんの中の斎藤の人物像は英雄や超人ではない。国家主義の大波にのみ込まれた普通のまじめな学校教員だ。

 「ぼくの誠意が分かってもらえる日が来ることを疑うな」

 斎藤の日記には、両親や地域にも理解されない中、自らを奮い立たせようとした記述が残されている。                (編集委員・藤生明)

 

軍国主義が広まった戦前・戦中にも、反戦を訴え、体制に異を唱える人たちがいた。その足跡をたどると、思想や信条を自由に口にできない戦争の実相の一つが見えてくる。5回にわたり報告する。