映画「MINAMATA-ミナマター」を見て・・・

◎昨日は夜遅くアップしましたので「日本学術会議問題を『首相機関説』で読み解く」も是非読んでみてください。

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★「息をも付かせぬ」とはこの事。初めから最後まで息つく暇もないほどの緊張感で映画を見たのは初めてでした。素晴らしい映画でした。内容が水俣病を扱っていて、ジョニー・デップアメリカの写真家ユージン・スミスを演じるという。あの写真をまた見ることになる。反対運動や辛い場面がでてくるのでは・・・と、前回山田洋二監督の「キネマの神様」を見たとき取ってきた「MINAMATA」のチラシをいつも見ながら行こうか行くまいか迷っていました。

月曜の恒例、SPYBOYさんによる映画レビュー(映画『MINAMATA-ミナマタ-』 - 特別な1日 (hatenablog.com))を読んで、これは観てこようと思い直しました。夫と二人で行くことにしていたので土曜日やっと行ってきました。午前中の観客9人でした。見終わった後夫が一人で拍手、私も遅れて拍手。

何よりもユージン・スミスがなぜ水俣の写真を撮るようになったかから話がスタートして、企業が公害を知っていながら何もしないことを世界に告発するという目的をもって現地に飛び、そこで患者家族たちと触れ合い、そこで暮らしながら信頼関係を築き上げ、それでも、頑なに写真撮影を拒む患者家族が、どうして写真を撮っても良いと言えるようになったかの過程がきちんと描かれているのが素晴らしい。ライフ誌編集長の仕事上の同志愛というか男の友情のようなやりとりも描かれています。最初から最後まで世界と水俣という視点が貫かれています。

チラシを写真で紹介です。

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★「苦海浄土」を著わした石牟礼道子さんが亡くなられ(2018年2月10日)、4月に開かれた「送る会」に当時美智子皇后が参列され「日本の宝を失いました」と述べられたことがありました。最近、水俣が話題になったのはこのときぐらいだったかとブログで検索してみたら、あの東北大地震による福島第一原発事故後、この水俣原発被害と共に語られていることが分かりました。それにしても、オリンピック・パラリンピックを東京が引き受けた所為(せい)もあってか、福島は「復興」が語られても原発被害が報道されることはすっかりなくなってしまいました。どうなっているのでしょう。当時のブログの記事を並べてみます。アンダーラインは今回加えました。美智子さまと石牟礼さんとの交流は(6)に:

1)「3・11を心に刻んで」(岩波書店) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)(2011年9月15日)

 1969年6月14日、水俣病患者家族29世帯112人が原因企業のチッソに対して慰謝料請求の訴えを熊本地裁に提起した。水俣病第一次訴訟のはじまりであるチッソは「前例がなく、危険性が予見できなかったので責任はない(無過失責任)」と主張してきた。裁判を支援するために石牟礼道子、本田啓吉、岡本達明らの呼びかけで水俣病研究会を立ち上げた。研究会で激論する中で富樫貞夫が武谷氏の『安全性の考え方』を取り上げ、チッソの主張に反論することを提案した。討論の結果、「安全性が確認されるまでは有害であるとする考え方をとるべきで、有害と明らかになった時は手遅れである」と主張し、チッソの不可知論に対抗した報告書をまとめた。『水俣病にたいする企業の責任---チッソ不法行為』(水俣病研究会、1970年刊)である。そして裁判は勝利し、安全性が確認されるまでは危険として取り扱うべきという考え方が次第に定着しつつあった。

 

 しかし、残念ながらそのことを改めて想起しなければならなかったのが3・11の原発事故である。驚いたのは、ある専門家の「海で放射能は希釈される」というコメントを聞いた時だった。水俣病の教訓の中でも最大の教訓は食物連鎖による濃縮、たとえ濃度が薄くても自然界の中で次第に濃縮されるという事実であった半減期がそれぞれ異なる放射性物質は水銀よりさらに予想が立てにくく厄介である。案の定、遠く離れた牧草から牛、牛乳と、食物連鎖による汚染の事実が明らかになってきた。水俣の教訓は活かされていない。 (はらだまさずみ・医師)

2)「14歳からの原発問題」(雨宮処凛) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)(2012年4月30日)

だけど70年頃になると、水俣病(注)とか公害が注目されていた時期で、科学技術に疑問が生れて、もうかつての原子力ブームの時代ではなくなっていた。中曽根は1959年には、「原子力都市」とか作る構想も出していたけれど、61年に原子力損害賠償法を作る前年に原発事故が起きた際のシミュレーションを秘密でやったら、3万人くらいが永久立退きになって、損害額は最低でも国家予算の半分以上が吹き飛ぶという試算がでた。それで過疎地にしか作れないということになって若狭湾とか福島沿岸とかに建つわけです。ところが69年には、近くに原発が建つのに賛成ですかと総理府が調査したら、反対の方がずっと多くなった。各地の原発立地地域でも、反対運動が強くなってきた
 そして核開発の方は国際的に行き詰ったし、反対も多いので、だんだん作る勢いがなくなってきた。ところが、そこでぶち当たったのが73年の石油ショック(注)。そこから利益誘導の構造ができて、ここまできている。

3)「ひとのあかし」と「関電停電テロ?」 - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)(2012年5月20日

「苦界浄土」と言えば水俣病、公害事件です。いずれ若松さんのフクシマ版苦界浄土が書かれることでしょう。
そして思い出すのは「3・12の思想」で著者の矢部(やぶ)史郎氏が名付けた「東京電力放射能公害事件」という名称です。水俣をはるかに超えた大規模で深刻な公害事件の2年目を私たちは過ごしています。

4)「なでしこ」まず1勝!女子ソフト世界一そしてイチロー - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)(2012年7月26日)

◆昨日の「クローズアップ現代」は水俣病について、石牟礼道子さんに聞くでした。
69歳で4年前に亡くなった杉本さん、家族は認定患者。亡くなる直前の言葉が紹介されました。「私は、許すことにした。国もチッソも許す、許さなければ自分が苦しいから。私たちは代わりに病んでいる。」そして、「もっと生きたい」。
石牟礼道子さんは言います、「私たちは”代わりに病んでもらって”生きている。最低の希望は分りあえること。普通に生きることは大事ですよね。」水俣病発症から56年、救済のための申請は、今月31日で打ち切られます。ここでも、弱者切り捨てです

5)「核事故は人間を壊します、そして分断され差別される福島」(辛淑玉) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)(2013年3月13日)

フクシマと言うのは近代の日本が生んだ新しい差別部落です。
そしてフクシマ差別と言うのは、今まで私たちがもう無くなってしまったと思っていた、
広島・長崎の被爆2世・3世の人達への差別です。
そして膨大な環境汚染をしました。
それは私たちが環境汚染によってしんどい思いをして死んでいった

そして今なお助けられない水俣病差別と一緒です。
近代の差別です。
差別があるからこそ原発が造られました。
そしてその差別は沖縄の差別とも一緒です。
であるならば、この京都1200年の歴史、
その1200年の歴史は差別の歴史でもありました。

だからこそ新しい時代を作るという事は、
被災した人、そして叩かれた人、弱者を差別しないでともに生きていく社会をつくること。
これが原発村に対抗できる私たちの生き方、私の生き方だと思います。

6)金曜デモと美智子皇后 - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)

(2013年11月2日)

▼▽▼そして、☆句の無限遠点☆さんで紹介されている美智子皇后水俣病、「苦海浄土」の著者で、高齢と病をおしてなお社会に発信し続けておられる石牟礼道子さんとの交流についてのエピソード(東京新聞)は、山本太郎氏の手紙をことさら政治問題に仕立てあげようという人たちにとっては無縁の世界です。この社会にあって今ここ数十年の原発政策の報いを私たちに代わって一身に引き受けなければならない福島の人たちへの両陛下の思いは、水俣と通じ合っていると思います。
是非コチラで山本太郎手紙事件より、官僚右翼は皇后の崇高な精神にうたれよ」http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20131101/1383313507

7)金曜デモと「水俣と福島」そして「放射能は、貧困者により多く降り注ぎます」 - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)(2015年3月7日)

ところで、捨てられないで残しておいた、日経新聞(2/27)の切り抜きです。
リード部分:東電の原発事故の被害が続く福島県で、「公害の原点」とされる水俣病から学ぼうという動きが進んでいる。事故から4年を前に、水俣病関係者が福島の被災地を訪れるなど相互の交流も。熊本県水俣市の患者、緒方正実(57)さんは、公害病の認定などを巡り住民間の分断が続いた水俣病の歴史を振り返り「同じ過ちを繰り返さないで」と訴えている

8)「未来への種をまく」 - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)

(2016年3月9日)

水俣病」を見てもイタイイタイ病」を見ても同じように、この問題は放射能半減期よりも早く解決するかなどうかなって、(何の半減期?)セシウムなら30年、それより早く解決したらいいよね…と私の中ではすごく絶望的な思いを持っているんです。でも負け戦であっても、絶望的であってもどういうふうに次の世代に何を残していくかというところでは、やはりきちんと物を言っていかなくてはならない、と思っています。しかし、自分が生きている間に国や東電がこの原発事故のことを謝ることはないんだろうなと。この事実が私の心に浮かんだとき、とても悔しかった。国や東電を許せないという激しい怒りと自分の中に湧き出た失望感も許せなかったのです

9)「人間のための経済学 宇沢弘文 」(2014年NHK) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)

(2016年3月27日)

経済学者 宇沢弘文さん経済学の原点は人間、人間でいちばん大事なのは、実は心なんだね。
その心を大事にする。
一人一人の人間の生きざまを全うするのが、実は経済学の原点でもあるわけね。」

 

研究室を飛び出し、現実の問題と向き合うことを大切にした宇沢さん。
公害問題に悩む水俣では、患者を訪ねてはその苦しみを聞き、空港建設問題に揺れる成田では、国と住民の調停役を買って出ました。
理論にとどまらず、現実の世界に貢献しようと考えていたのです。

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