▼読み捨てられない記事を写真で。1月4日の新聞から:
▼1972年の本土復帰から50年を迎える沖縄です:
▼1月6日の宝島社の全面広告。白抜きのキャプションの言葉を書き移して:
男でも、首相に なれるの?
ドイツでは、子どもたちからこんな質問が出るらしい。
16年間、女性が首相を務めた結果だ。なんだか痛快な気持ちになるのはなぜだろう。
人類の間にはびこるつまらぬ上下関係が、鮮やかにひっくり返されるからだろう。
僅か16年で、常識なんてぱっと変わる。さあ、2022年。ちょっと上を見上げてみる。
次のガラスの天井は何だろうか。変わりそうで変わらない働き方改革だろうか。
いまだはびこる長老政治だろうか。ほんの少しでもひびが入れば、ガラスはもろく
壊れてゆく。
◎朝日新聞に『be』という12頁ほどの土曜版があります。私は10頁にある「悩みのるつぼ」という悩み相談コーナーの回答者の一人、美輪明宏さんの回答を欠かさず読むことにしています。悩みの本質を言い当てて現状をどう変えていけばいいのか、そのために自分はどう変わらなければならないのか・・・とても見事な回答に毎回すごいな~と感心しています。
今週の土曜版9頁には、あの60年代に「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットした「フォーククルセダーズ」のメンバーだった”きたやま おさむ”さんが「あれから何処へ」と題する記事の第一回を書いています。
編集部の紹介欄では「きたやまさんはグループ解散後、心の病の治療者の道に進み、九州大学教授などを務め、専門の深層心理学に基づく研究は、自身の臨床経験にに日本人論や文化論を交えて、私たちの心のありようを解き明かそうとするものです」と紹介しています。
つづき:
こうして日本人が心理的に特殊であることはコロナ対策に置いても役立っており、それが私の言う「光」の部分だ。それは一面喜ばしいことだし誇らしいことかもしれない。しかし、日本人特殊説は「陰」で大和魂をくすぐり、「神風が吹いた」や「日本人は頑張ればスゴイ」という神話的思考を招いたことがある。
皮肉にも、特殊説は個々が特殊であることを圧殺するのだ。すでに恥意識は同調圧力を強化し、自分を殺す傾向や異類排除を駆り立てている。皆が十人十色なのに、周囲に同調して生き続けるのは相当無理があり、その暴発こそが心配である。
社会の多様性はますます求められ、すでに日本は同じような人間だけではやっていけない。それ故、これから日本人特殊説が再燃するのを横目で見ながら、排外主義の危険、そして私たち自身が「個性的な変異株」となれる可能性が押しつぶされてしまう危険を再確認しておきたい。 (精神科医、作詞家)