←神戸市東遊園地、追悼の灯篭(朝日)
◎今日は1月17日、阪神淡路大震災から27年です。あの日の明け方、突き上げるような振動からしばらく轟音を伴ったヒドイ揺れに襲われました。揺れが収まってから階下に降りると食器棚の観音開きが開いて食器がばらばらと下に落ちていました。この日は夫が東京出張の日、車で大阪空港へ向かいそのまま東京へ。テレビをつけて初めて震源地が隣県の兵庫だとわかり、阪神高速が横倒しになり、千切れたところからバスの前輪が宙に浮いている映像を見て足が震えました。その後も延々と映し出されるあちこちから上がる火の手・・・。今日、この辺りの自治会では、午前中、黄色いハンカチを表に出して班長さんがチェックして回ることになっています。あれ以後も頻繁に災害に見舞われ、東日本大震災では原発爆発まで引き起こしています。それ以後も自然災害や人災は続き、そして、今はトンガです。地球の活動の激しさ厳しさを思い知るこの頃です
★13日の午後5時から配信スタートしたNetflixシリーズ「新聞記者」ですがツィッターの反応を拾ってみました。15日のネトフリ・ランキングでは総合2位に、翌日の昨日は1位だったそうです:
★森友問題と酷似させながら(外すとこは大胆に外して)、フィクションの人間関係を絡めてドラマの主張をアピールするという、やりますね! これで森友問題、税金1億円以上を使って「認諾」し裁判を終わらせた国に、国民は忘れてないよ~と一矢報いることになれば嬉しい。ドラマの木下亮が言ってたように「政治を他人事ではなく自分事として考える」若い人たちがたくさん生まれてくれることを願っています。
全出演者迫真の演技と言ってもいいくらい、どの役の俳優さんも最高の演技です。主演の3人は言うに及ばず、赤木夫妻をモデルとした吉岡秀隆、寺島しのぶ、財務局の尊敬する上司の田口トモロヲ(よかった)、綾野剛さんの上司の田中哲司の冷酷さ、名古屋県警の事件を扱う大倉さん、亮の母親役、新聞社の上司の橋本じゅんさんや理財局長等々、どの役者さんも最高の演技でした(ユースケ・サンタマリアについては下の引用ツィートの町山氏に同感)。相対する立場のそれぞれの人間が良く描かれていた脚本によるところ大なり。説明やセリフ抜きの映像だけが重なるパートのBGMに流れる岩代太郎の音楽も美しい。最後は裁判所の建物の前で終わるのですが、このドラマの公開が1年早かったらと悔まれます。いくつかツィッターから:
🔲森友問題のおさらいのような記事を見つけました:
「安倍隠し」に血税1億。森友裁判“認諾”に怒らぬ日本国民の腑抜けぶり
🔲ところで、記者からの「森友問題、再調査のお考えは?」という質問に岸田首相は「再調査は考えておりません」との返答。
◎いつもツィッターから引用させていただいている山崎雅弘氏は、記者の問い方に問題ありと説いておられます。まず、岸田首相の総裁選での発言、9月2日には「捜査が十分かどうかは国民が判断する。国民は足りないと言っている」から、5日後には「再調査は考えていない」に変りました。この変化をもたらしたチカラの源(国家権力の怖さを「新聞記者」はリアルに描いている)は、また裁判を終わらせた源でもあるのですが、ここはそれとは別に、記者団の問いかけに焦点を当てて『再調査』という言葉と、「お考えは?」という問いかけについて考えます:
「再調査するお考えは?」「その考えはない」という森友問題の本質を隠す詭弁問答
●山崎雅弘の詭弁ハンター(第12回)
2021年9月7日、自民党総裁選へ出馬する意向を示していた岸田文雄政調会長(現総裁)は、「森友問題について再調査する考えはあるか?」という記者団の質問に対し「再調査等は考えていない」と明言しました。「既に行政において調査が行われ、報告書も出されている。司法において今、裁判が行われている」というのが、その理由でした。
現在は日本国総理大臣でもある岸田氏ですが、実はこのわずか5日前の9月2日には、全然違うことを述べていました。この日出演したテレビ番組(BS-TBS『報道1930』)で、彼は「調査が十分かどうかは国民側が判断する話。国民は足りないと言っている」「さらなる説明をしなければいけない。国民が納得するまで説明を続ける」と話し、国民が納得していないのであれば再調査もありうるという含みを持たせた説明をしていました。
たった5日で言うことが反転した理由については、この2日の岸田発言に、疑惑の当事者である安倍晋三元首相が激しく反発し、総裁選での支援の対象を岸田氏から高市早苗前総務相に鞍替えしたため、それに慌てたからだという解釈が広まっています。
強い力を持つ権力者に睨まれれば、自分の政治的信念を、いとも簡単に曲げてしまう人が今の日本政府トップというのは、いろいろな意味で国民にとって不安となる要素です。しかし今回は、そんな岸田氏個人の政治家としての弱腰や頼りなさではなく、ここでやりとりされた「再調査するお考えは?」「その考えはない」という一見ありきたりな記者とのやりとりが、実は国民の認識を特定の方向に誘導する詭弁であることを解説します。
首相や閣僚の「考え」に委ねていいこと、そうでないこと
2020年7月17日から19日にかけて、共同通信社は全国電話世論調査を行いましたが、森友学園問題の公文書改ざんを命じられて自殺した近畿財務局職員・赤木俊夫さんの遺族による訴訟を受け、「政府は再調査する必要がある」との回答が82・7%に上りました。
この世論調査で興味深いのは、自民党を批判している野党の支持者(立憲民主、共産両党の支持層は共に100%が「再調査は必要」と回答)だけでなく、自民党支持者の71・7%、公明党支持者の85・5%も「政府は再調査する必要がある」と答えていた事実です。「再調査の必要はない」と回答したのは、自民党支持者が21・4%、公明党支持者が12・2%、維新支持者が14・7%、無党派層が9・3%でした。
この調査結果を踏まえれば、岸田氏が9月2日に述べた「調査が十分かどうかは国民側が判断する話。国民は足りないと言っている」という言葉は、正しい現実認識であったと言えます。自民党の支持者ですら、安倍政権下で行われた「調査」は不十分ではないと判断しているのですから、再調査することは自民党支持者の要望にも応える行動です。
けれども、もし再調査を行えば、財務省が近畿財務局に行わせた公文書改ざんという前代未聞の不正疑惑において、当時の首相と財務大臣だった安倍晋三氏と麻生太郎氏の責任が問われる新事実が、次々と出てくる可能性があります。
2018年3月13日付朝日新聞朝刊が1面〜4面を中心に大きく取り上げたように、この公文書改ざんで削除されたのは、森友学園の小学校新設問題に深く関わった安倍氏の妻の昭恵氏(名誉校長にも就任して公式サイトで宣伝文句を披露)や自民党の政治家、そして安倍氏と繋がりの深い政治運動団体「日本会議」などの名前でした。こうした全体像が、さらに詳細に調査されれば、安倍氏と自民党に大きなダメージとなるのは確実です。
また、森友学園問題が「財務省による組織ぐるみの公文書改ざん」であった事実を考えれば、当時の財務大臣である麻生氏の責任は免れず、欧米など民主主義が一定レベルで保たれている国であれば、財務相の辞任あるいは更迭は避けられないはずでしょう。
しかし、安倍氏と麻生氏は閣僚を退いたとはいえ、今も自民党の中で大きな影響力を持つ「重鎮」であり、有形無形の「力」を使って、再調査の道を封じています。実際、岸田内閣の鈴木俊一財務相は、10月5日に行った就任後初の記者会見で、森友学園問題の再調査について「考えていない」と否定し、松野博一官房長官も10月7日の記者会見で「再調査する考えはあるか?」と問われて「再調査は考えていない」と答えました。
これらのやりとりを見て、あれ、おかしいな、と思われませんか?
森友学園問題とは、国有地の払い下げ案件に現職総理大臣の妻が深く関与し、その存在によって国側(財務省とその傘下組織)の土地価格の評価などの判断が歪められたのではないか、という疑惑です。そこに不正が無かったことを、あらゆる公的記録の開示と事実関係の解明によって証明するのは、政府が国民に対して負う「義務」です。
言い換えれば、当事者(あるいは疑惑の対象という意味での容疑者)とその仲間に「調査する『考え』があるか無いか」という判断を委ねてもいい問題ではありません。
ところが、政治報道の記者たちは、もうそれが当たり前になったかのように、調査するか否かは、疑惑の当事者集団である「自民党の政治家」の「考え」次第であるかのような質問の仕方をしています。「安倍政権以降の歴代内閣は、疑惑の発覚以来、森友学園問題について真相を解明する『義務』を果たしていない。いつそれを果たすのか?」という、権力監視者として本来行うべき問いかけを、今の政治記者は放棄しているようです。
もう一つ、われわれ市民が見過ごしてはいけないのは「再調査」という言葉です。
この言葉は、普通は「過去にすでに徹底的な調査が行われた状況で、再度調査を行うこと」という意味で使われます。これを、森友学園問題で使うのは正しいのでしょうか?
2021年6月24日、自殺した赤木俊夫さんの妻・雅子さんは外国特派員協会で記者会見を行い、「再調査される側の人間である麻生財務大臣が、自ら再調査をしないと言い続けるのはおかしい」との考えを述べました。安倍氏と麻生氏は、すでに検察の捜査が済んでいることを理由に調査しないとしているが、「検察の捜査は刑事処分のためのもので、真相解明の調査とは別のもの」だから、というのが、その理由でした。
雅子さんはこの会見で「夫の死の真相を明らかにするため、第三者委員会による再調査を求める電子署名を始めた」とも話しましたが、論理的に考えれば、いずれも筋の通った主張だと思います。麻生氏は「調査される側」であり、また「検察の捜査」は立件が可能かどうかという範囲の調査に過ぎないのですから、真相解明の調査とは見なせません。
これに対し、麻生氏は2021年7月7日の記者会見で、雅子さんの主張について問われて「検察当局による捜査は『第三者』であり、再調査を行う必要ない」と切り捨てました。
ほとんどのメディアは、こうした議論を報じる際に「誰々、再調査はしないとの考え」という風に「再調査」という言葉を使います。安倍氏や麻生氏、自民党の閣僚らが異口同音に口にしているのですから、その言葉を使うことは「政治的中立」を逸脱しない、という風に、記者やデスク、政治部長は考えている、あるいは言い訳するかもしれません。
けれども、この「再調査」という言葉をメディアが留保無しに使い、見出しなどで繰り返し社会に拡散する行為は、「すでに捜査は完了した」という、自民党が国民に信じさせたい「ストーリー」の宣伝(プロパガンダ)に、実質的に加担する行為に他なりません。
森友学園問題について、過去に行われた「調査」は、財務省の調査と、検察による捜査の二つですが、前者は「不正の当事者である組織による内部調査」であり、立件の可否を前提とする後者の捜査と同様、事件の全体像を隅々まで明らかにする中立的かつ本質的な「真相解明の調査」としてはきわめて不十分なものだと言えます。
実際、雅子さんは一年前の2020年6月15日に、第三者委員会による再調査を求める署名を当時の安倍首相と麻生財務相に提出しましたが、その署名の数は約35万筆に達していました。これほど多くの人が「過去の調査は不十分だ」と見なしているという事実を、麻生氏は正面から受け止めず、翌6月16日に「再調査は考えていない」と答えました。
職務に忠実で正義感の強い、公務員の鑑のような赤木俊夫さんの死という悲劇を引き起こした森友学園問題は、このままウヤムヤにされてしまうのでしょうか?
報道でさりげなく使われる「再調査」する「お考えは?」という問い方は、問題をウヤムヤにすることを望む政治家と、それに気づいていながら加担する報道記者が、国民の心情を「幕引き」へと誘導する「不誠実な詭弁芝居」だと言えます。こうした詭弁にだまされないよう、われわれ市民は報道で使われる言葉に細心の注意を払うべきでしょう。