庭のあちこちでドクダミの白い花が咲き出しています。
木下蔭で咲いているのは、まるで星が瞬いているように見えます。
母が大事にしていた八重の花(写真の左側)も今年は数が大分増えてきました。
🔲24日(火)の朝日新聞オピニオン頁「耕論」は「昭和天皇とヒトラー並べた動画」というタイトルでウクライナ政府がツィッターでヒトラー、ムッソリーニに加えて昭和天皇の写真を掲載、日本政府の抗議後、謝罪・削除された問題を取り上げていました。
◎上の写真ですね、日本政府の抗議を受けた後は、昭和天皇を消して2人にした写真を見ましたが、三国同盟を結んでいたのは紛れもなく日本と独・伊でしたので、歴史的事実は消せないのですが・・・「ファシズムとナチズムは1945年に敗れた」というコメントをつけて三国同盟の日本を代表するのに、では誰の顔写真だったらよかったのでしょうか? 東条英機では、畏れ多くも天皇を差し置いて…となりかねないでしょう。
ついでに、ファシズムについて:
極右の国家主義的、全体主義的政治形態。初めはイタリアのムッソリーニの政治運動の呼称であったが、広義にはドイツのナチズムやスペインその他雄同様の支持運動を指す。自由主義、共産主義に反対し、独裁的な指導者や暴力による政治の謳歌などを特徴とする。出典 デジタル大辞泉(小学館)
例えば以下のような考え方はファシズム的だと言えます。
・個人の自由よりも国が戦争で勝つことを優先しよう。
・個人の利益よりも植民地を得ることを優先しよう。
「国家主義」とは「個人よりも国のことを大切にする考え方」のことで、
「ファシズム」はこの「国家主義」をさらに発展させた考え方を指す。
ファッショ(束)- ファシズムは「個人を束ねた全体を重んじる思想」という意味で使うようになり、全体を重んじる為「個人の自由や利益」は抑圧される。
🔲それでは朝日の「耕論」から、書き移してみます:
不快な現実 直視できたか
高橋 哲哉さん 哲学者
1956年生まれ。東京大学名誉教授。著書に「戦後責任論」「靖国問題」
「日米安保と沖縄基地闘争」など
ヒトラー、ムソリーニと昭和天皇を並べた動画はウクライナ政府側から発信されました。第2次世界大戦当時、ウクライナはソビエト連邦の一部でした。つまり、連合国側にあったことになります。
連合国では、戦時中、この3人を並べた形で描いたり語ったりしていました。敵である枢軸国のイメージです。
戦争当時、天皇は大日本帝国憲法によって統治権の総攬(そうらん)者であると規定されていました。日本軍は「皇軍」と呼ばれる天皇の軍隊であり、天皇は大元帥として全軍の最高司令官でもありました。
今回、「3人を並べるなんて、とんでもない」という反応が出たことには、戦争に関する記憶がいよいよ薄れてきていることを感じます。
天皇を、極悪人のイメージであるヒトラーと同列に並べられることに不快感を抱く人はいるでしょうが、歴史問題を快・不快だけで反応すべきものではありません。なぜウクライナからこの動画が出て来たのかを考えるべきです。
敗戦直後に日本では南原繁・東大総長が、昭和天皇の「道徳的責任」に触れながら退位を求めました。戦争について天皇には何らかの責任があるという意見は、日本国民の中にもあったのです。
他方、天皇の戦争責任をあいまいにさせようとする動きや、責任を問う議論自体を暴力で威嚇しタブーにさせる動きも戦後日本にはありました。1990年には、昭和天皇には戦争責任があると発言した本島等・長崎市長が右翼に銃撃される事件も起きています。自由に議論できる環境があったとは言えません。
極東国際軍事裁判で連合国側が天皇の責任を問わなかったのは米国の政治的思惑によるものだということは、ほぼ周知の事実です。責任をあいまいにしておくことを許してくれたのは米国なのです。
今月9日に行われたプーチン・ロシア大統領の演説には、日本を指すと思えるくだりがありました。冷戦後に米国がより特別な国のように振る舞い始めたと指摘しつつ「(米国は)何も気づかないふりをして従順に従わざるを得なかった衛星国にも屈辱を与えた」と述べたのです。
この衛星国の典型は、米軍基地問題や沖縄問題などで米国への忖度や追随をし、主権国家としての振る舞いができずにいる日本ではないでしょうか。そんな日本にプーチン氏は「屈辱を感じないのか」と言ってるいるように思えるのです。しかしウクライナの動画への敏感な反応とは対照的に、この発言への不快を示す声はほとんど聞かれません。
自国の不快な現実を直視できているのか―――。外からそう問われていることへの自覚が薄い日本人の姿を映し出している点で、動画問題と通底する現象だと思います。(聞き手 編集委員・塩倉裕)
◎歴史学者という方の分も、書き移してみます:
歴史修正 誤解与えかねず
1941年生まれ。米国における日本近現代史研究の第一人者。
著書に「歴史で考える」「戦争の記憶」など。
まず、世界の視点から見て見ましょう。日本、ドイツとイタリアは第2次世界大戦の枢軸国と見なされています。この戦争はナチズム、或いはファシズム陣営と呼ばれた側が戦争に敗れました。
戦争中、昭和天皇は日本の最高指導者として広く知られ、軍服を着て、白い馬にまたがった姿が知られていました。そうしたイメージは日本の政府から発信されていました。当時の甲斐が報道でも、日本の指導者として東条英機が登場することもありましたが、大半は昭和天皇(海外では当時から「ヒロヒト天皇」)でした。
同時に、昭和天皇は神格化され、軍服姿の大元帥としてだけ存在したのではないということは誰もが知っているでしょう。戦後は何十年もの間、平和国家の象徴でした。
磯崎仁彦官房副長官は「全く不適切であり極めて遺憾だ」と述べましたが、同じ動画に対して、ドイツやイタリアがウクライナ政府に抗議をしたでしょうか。
ドイツはナチズムを、イタリアはファシズムを乗り越えて、戦後は平和を愛し、民主主義国家として歩んでいることを誇りに思っているでしょう。しかし、日本政府はまるで風車に戦いを挑んだドン・キホーテのように受け止められてしまうのではないでしょうか。どんなに日本政府が努力しても、日本が枢軸国の一員だったことを書き換えることはできません。
あらゆる国において、歴史と記憶の問題があります。ドイツや日本にとって、戦争の直後は被害者だったという記憶が大きかったですが、ドイツもホロコーストや近隣諸国に与えてしまった苦難に向き合わなければならなくなりました。英国やフランス、オランダなどの国々も旧植民地との間に、多くの歴史と記憶に関する問題を抱えています。米国にも人種差別といった問題があります。
戦争の記憶も変化し続けていいます。常によい方向に変化するとは限りません。政治的な道をたどってしまうこともあります。ロシアのプーチン大統領をはじめ、様々な政治家が歴史を書き換えようとしています。私は歴史家として、歴史と記憶がもう少しうまく機能してほしいと願っています。
1989年から今までに、メディアで様々な戦争に関する問題が報道され、平成の天皇による戦争記憶の大使としての行動などもあって、一般の日本人の戦争に対する意識はだいぶ変化してきていると思います。
日本政府が、今回のような反応をすることは、そうした日本人のせっかくの変化が世界に届かず、日本も歴史を書き換えようとしているのかという誤解を与えてしまいかねないことが残念です。 (聞き手・池田伸壹)