大きな青虫と箕面の滝と箕面出身笹川良一氏の碑

◎門の扉の郵便受けの隣には小さなリラの木が植わっています。一昨日の夕方、右半分の葉っぱが無くなっているのに気が付いたのですが、大きな青虫の所為でした。

頭は左、葉っぱを食べているところ。一角獣のような棘のあるのがお尻。

一夜明けて、早くサナギにならないかな~

リラの葉が丸坊主になってしまうのも可哀そうだし…

八月も、平成天皇が「忘れてならない4つの日」と仰っていた2つの日が終わりました。8月6日の原爆の日と15日の敗戦記念日。もう一つは6月23日の沖縄慰霊の日。そして4つ目は12月8日の開戦記念日。どれも第2次世界大戦関連の戦争にまつわる日です。今年も残るはあと1日だけです。

15日の政府主催の全国戦没者追悼式(日本武道館)では今上天皇が「おことば」を読み上げられました。最後のくだり「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、先陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から哀悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

一方岸田首相の式辞については:戦没者追悼式の式辞「岸田カラー」見えた? 「にじませた」「見えない中身」割れた新聞評価: J-CAST ニュース

安倍元首相が使った『積極的平和主義』という言葉を踏襲して、加害責任には触れず、反省という言葉もなかった朝日新聞では「8割以上が前年の菅義偉前首相の表現と一言一句同じだった。残りも安倍晋三元首相の式辞を踏襲した部分が目立ち、「岸田カラー」の見えない中身となった」。記者会見での聞く耳持たない態度と言い、広島長崎のあいさつ文といい、安倍・菅・元首相たちと同じく中身のない心のこもらない言葉が岸田カラーでもあるようです。

◎先日沖縄から次男が戻ってきて空港まで迎えに出た夫が聞いた第一声が、「沖縄より大阪、暑い~!」だったとか。沖縄で最高気温が31℃くらいだと大阪では33か34℃程度ですから暑いわけです。ところが湿度は梅雨時90%にもなって、これは大変だそうです。地域によって違いますね。

◎昨日は京都の大文字の送り火でした。8月に入ったら亡き妹の三回忌のお供えのお金を送るようにと母から言われていましたので我が家分と一緒に送りました。その後、妹の夫であるYさんからお礼の電話。沼津の長男家族とお墓参りに行ってお坊さんにお経をあげてもらった、その時三回忌は3年目でも良いと言われたので来年します、お供えのお金はそれまで預からせていただきますとのこと。今までの力のない声ではなくて元気そうでした。週2日のデイサービスに出かけているとのこと。コロナが収まって来年は神奈川の妹のお墓の前で集まれることを願っています。

◎月曜日、3時過ぎてから、家を自転車で出て、一の橋の駐輪場に自転車を置いて滝まで歩いてきました。汗が出てこの日は大変でした。気温32℃ほどあったのかも。

細かいもみじの葉を通して木漏れ日が美しい滝道。

夏休みだし、お盆ということで人出は多く、子供連れで川遊びも。

直角に曲がるところの昆虫館もこの日は人が入っているようでした。

野口英世像。ここは駅から1・4キロ、滝まで1・4キロの中間地点。

試験管を仰ぎ見ている野口博士。アメリカから一時帰国の折、お母さんを箕面の滝まで案内して親孝行されたという逸話がある。

反対側の崖の下に、その時立ち寄られた「琴の家」という旅館の建物がある。今は立ち入り禁止ですが。

箕面山の植相を表す代表はこの丸い豆ヅタだと聞いたことがあります。

川の流れがあって適度な湿度があるので石も生木もこの丸い小さな蔦で覆われる。

いよいよ滝です! わっ! 今日は人が多い!! ここからマスクです。

川遊びも。子どももいるけど、大人の方が多いかな。

滝つぼの前のベンチも空いていないようなので、赤い橋の欄干にもたれて一服。

汗を拭いてお茶を飲んで一息入れて、5分程で引き返すことに。丁度4時でした。

龍安寺にも寄らず。昆虫館の手前の川向こう。川床の提灯に灯りが灯っていました。

さて、最後の一枚は、自転車置き場で自転車に乗ってからの一枚です。

一の橋より上流は大阪府立公園の管轄。駅から一の橋までは箕面市の管轄だそうです。

一の橋から少し下った左の崖沿いにこの像が立っています。写真に撮ったのは初めて。

今話題の統一教会というより勝共連合と関係のある笹川良一氏の像です。

私が通っていた北小の南の道路の西側の一角からバス道まで笹川良一氏の邸宅がありました。Wikipediaによると「1899年明治32年〉5月4日 - 1995年平成7年〉7月18日)は、大正昭和時代の日本政治家社会奉仕活動家。大阪府三島郡豊川村小野原(のちの箕面市小野原)出身。国際勝共連合名誉会長(のちに辞任)、衆議院議員、財団法人日本船舶振興会(のちの公益財団法人日本財団)会長」などと書いてあります。

大きな石垣と貝塚伊吹の生け垣でお屋敷の中は窺えないものの大きな両開きの門と、門を開けても、車寄せがあって玄関は見えないほどの奥にある大邸宅でした。箕面市は笹川氏のお陰で市政が潤っていると自民党議員の口癖でした。住之江ボートの収益が市の懐に入ってきます。でも福祉行政がそれで充分潤っているかと言えば、障害者教育や行政の取り組みは長年の障害者自身のたゆまぬ努力のおかげで他市より充実しているかもしれませんが、病院や保健所やその他施設は隣の豊中市にはるかに劣りますので、バブル期ラスパイレス指数が日本一といわれた公務員給与に反映されているだけなのかも。あるいは維新に抱き着いた前市長が決めた地下鉄御堂筋線延伸計画に注ぎ込んでしまっているのかも。
 笹川良一氏が亡くなられた時、お葬式は自宅でした。バス道の南の、その頃未だ箕面製材所もあって、製材所の空き地が駐車場になりました。黒い服を着ていても風体でそれと解るいわゆる反社の人たちと大きな外車で一杯、異様な雰囲気でした。

写真にある碑の言葉「世界一家人類兄弟」というのは『世界統一教会』ということですね。箕面も首長は維新ですし、統一協会との関係はどうなんでしょう? 誰かに聞いてみないといけませんね。