(本日、2つ目)
10月23日(日)2回目の車中泊。PA(パーキングエリア)を5つほどやり過ごして見つけたのが本村(ほんむら)というPA。手前で道路工事中だったせいか、ほとんどの車が通りこしていく小さなPA。先客はトラックが一台だけでした。何よりトイレが真新しく、お花が飾ってあって、清掃も行き届いていて、7時40分、ここに決定。
9時ごろレトルトのカレーを食べましたが美味しい。片付けて、この日は冬用の羽毛のシュラフを広げて中に埋まって寝ることに。22時30分就寝。走行距離390㎞。
24日(月)夜、小雨が降っていましたが、朝6時、起床時は晴れ。外気温9℃。
2度目なので要領が分かって私も手伝いました。椅子を袋に収めるとコンパクトに。
一晩過ごした先客のトラックはエンジンをかけたまま(暖房)でした。
朝の食事とコーヒーを飲み、7時40分片付け終了。私の足元のバッグに入れたカメラは夜中にスイッチがON(足で押したか?)で電池切れ。充電器も持ってこなかったので、夫のカメラの充電を済ませて私が使わせてもらうことに。8時25分、このまま山越えをして瀬戸内海の鷲羽山(わしゅうざん)へ寄って家へ帰ることに決定。8時30分スタート。
岡山に入って懐かしい新見(にいみ)や高梁(たかはし)という地名が出てきました。私が22歳の時、父が社会人になると旅行も出来なくなるから行ってこいと3人姉妹の旅行代金を出してくれました。その時、3人で倉敷から北に上って高梁、新見、そして鳥取の砂丘を見て山陰線の列車で帰りました。行きそびれたのが鷲羽山でした。その頃、瀬戸大橋は勿論なかったので今回は新しい景色が見られるはず。
10時20分ごろ倉敷市に入り、10時35分に小島出口で降りる。
10時45分、駐車場に着いた時から、わぁ~!と声が出るほど美しい!
海面の輝きが日本海側と違うような気がします。
駐車場にあった碑。
第一展望台から。
瀬戸大橋の両端は一度では見えないので、首を動かします。
勿論カメラにも収まりません。
瀬戸内海の潮の流れが相当早いというのが見えます。昔学校で聞いた、中国人が瀬戸内海を見て「日本にも大きな川があるんですね」と言ったという話を思い出しました。
標高133mの頂上まで登ります。松と花崗岩の山です。
ゾウの化石が出たので大陸と陸続きだったのが分かるとか。
「島一つ 土産に欲しい 鷲羽山」
サヌカイトを使っていた石器時代の人たち。
足元が危ないけれど先へ行きたくなります。
讃岐の円錐形の山々が見えて。何故か人工物と自然が美しい・・・
頂上は花崗岩の岩山で危ない。先客のカップルの男性が石の上に立ち上がっていたので、つい「危ないから、気を付けて、でも若いから」と言ってしまった。「うん、ちょっと危ない。若くないし」と。「若い若い。私たちから見たら若い…」と私。夫が写真撮りましょうか、ついでに私たちも」とスマホとカメラで撮りっこしました。若くない…と言った彼は30歳代だったのかな~。若くないなんて思ってるんだ~と。
頂上から、四国側とは反対側を見ると、入り江になっていました。
橋脚の西側は下津井港。
海面の右側に見える綺麗な三角錐の島の説明。
瀬戸内海の成り立ち。多島海という謂れも。
レストハウスの屋根が見えます。
振り返った分かれ道。頂上までの往路は左、帰りは右の道を下ってきました。
12時にレストラン着。中華でしたがとても美味しい食事でした。
団体さんと入れ替わるように12時50分ごろレストハウスを出て、最初の展望台へ。
展望台から下って松林の中の階段を下ると広い駐車場。
さて、いよいよ帰ります。1時30分スタート。BGMはベートーヴェンのピアノ曲。
山陽道を帰ることに。
途中、雨が降りましたが、兵庫県に入った赤穂辺りで虹が見えました。
いよいよ近畿、関西が近くなります。
高速を走っていて箕面の看板を見たのは初めて。新名神の出入り口が出来たからです。
いよいよ高速道路を降ります。
この工事のせいで箕面の滝の水源が切れてポンプでくみ上げるという事態に。今もくみ上げているのかしら・・・。
高速を降りると全長5キロ以上もある有料(420円は高い)トンネルです。4時12分、トンネルを抜けると新御堂の突き当たり。私たちは右手(西)の山麓線に入り、元被昇天学園の横を下って桜通りを右折して・・・すぐ我が家です。
この日の走行距離365㎞。全走行距離1360㎞でした。
後期高齢者夫婦が車内で横になっているのを見られたら、心中かと間違われて通報されるんじゃないかと心配でしたが、窓には紗幕がかかって中は見えないし、夜のパーキングは誰もいないし、また、誰もいないパーキングを選んでいるし…。こういう旅をする人も確かにいるんだそうですので、安心できました。車と歩いたり登ったり下ったりの3日間でしたが、愉快でした。夫は1か月の間に車で本州縦断を果たしました。
我が家の車はハイブリッド車ですが、あと10数年もすれば日本も電気自動車に代わるでしょう。「shuueiのメモ」さん:日本勢にEV化迫る EU、ガソリン車禁止で合意 HV、35年以降販売できず 2022年10月29日 - shuueiのメモ (hatenablog.com)
夫の車は私たちが80代で使い切って終わることになると思います。高速自動車道が物流の要であることも良く分かりました。土日を挟んでいたので乗用車も走っていましたが、圧倒的にトラックが毎日猛スピードで西や東に走っています。どこの道路もあちこちで片側一車線にして工事中でした。美しい自然と人間の営み。これからは自然優先の時代に変わって行ってほしいと思います。