🔲岸田首相の軍事費増額の安保3文書について早速アメリカからお褒めのお言葉:
🔲NHKが公共放送の役割を捨てて政府広報機関になってしまっているような:
🔲安倍元首相の大きな置土産の一つがNHK『改革』でした。経営委員会のメンバーに日本会議の人たちを送りこんで「政府が右と言えば右」というNHKにしました。良心的なキャスターが飛ばされたり、辞めざるを得なくしたり。その結果、安倍さんベッタリの女性解説委員が政府寄りの政治の解説を始めるようになり・・・放送料金を払っている多くの国民の立場からの報道は影を潜め、いまや政府発表を伝達する広報の役割を果たすのみ・・・のようにみえます:
★途中から有料記事ですが・・・全文(ほぼ)はコチラで「エルピス」の佐野亜裕美プロデューサーに聞く「『どこにもないドラマ』を追求」(朝日新聞) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)
★韓流ドラマやK-POPファンが増えて、韓国語を学んだりコロナ以前には韓国旅行に出かける人たちも増えていました。日本人がアジアの国々の方達と接するとき、日本の加害の歴史を知らないでは済まないと思います。自民党の国会議員の中には戦争中のことは知らなかったことだから責任はないと豪語する議員さんもいますが、それでは、アジアの一員として仲良くやっていくことはできないでしょう:
★とても良い記事だと思います。一部をコピーで:
「歴史と文化は別だから……」
現在の日本社会でK-POPを聴くことは特別なことではないが、それを聴く日本人のなかで、どれほどの人が日韓の歴史について考えているだろうか。「歴史と文化は別だから」という言葉にあらわれているように、歴史は無視して(意図しているか、していないかにかかわらず)、楽しく音楽を聴いている人たちが多いのではないだろうか。私もかつてはそうだった。
そんな状況に対し疑問を投げかけたのが、私が大学で所属していた学部ゼミナールのメンバーと共同で執筆した書籍『「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし』(大月書店、2021年)である。日本の韓国文化ファンにとって身近なK-POPや韓国ドラマに触れながら、日韓の歴史とそれに対する日本人の向き合い方を学び、考えるための本として執筆した。ここでは改めて、「歴史と文化は別だから」という日本人のK-POPの聴き方について考えたい。
「反日」という言葉
冒頭で記した「K-POPアイドルによる日韓の歴史にかかわる言動」に関していうと、そのような発言をしたK-POPアイドルに対して、日本のK-POPファンのあいだでは「反日だ」という声があがることがある。
(省略)
「反日」という言葉が使われる際、日本では「一方的な日本(人)嫌い」といった意味合いが強いように思われる。しかし、まず忘れてはならないのは、日本の帝国主義的な朝鮮侵略と植民地支配の歴史のなかでの、日本軍「慰安婦」制度の性被害に代表されるように、多くの人権侵害があったということである。日韓の歴史問題は、政治・外交問題以前に人権問題なのである。
つまり、日本で「反日」的だとされる言動は、「反・日本帝国主義」が本質であり、日本の朝鮮侵略・植民地支配による人権侵害の歴史を記憶しようとするものであって、理由なき「日本人嫌い」や「日本〝ヘイト〟」などではない。そうした意味では「反日」的な言動は正当なものだといえるし、それを「反日」として否定することは、人権や平和といった大切な価値観を否定することにつながる。また、「K-POPアイドルには、日本のファンも多いから『反日』的な言動をしないでほしい」という意見は、加害国側が、被害国側に口を閉じるように求めている構図をあらわし、上から目線の倒錯した態度とも言えるだろう。こうしたK-POPアイドルの言動に対し、「K-POPアイドルも韓国人で、韓国の反日教育を受けているから仕方がない」といった声もあるが、そもそも自国の歴史に、日本の侵略と植民地支配という歴史的経験が刻まれている以上、そうした史実を学校で学ぶのは当然である。
「歴史を見ないで楽しいところだけを見るのは文化の消費だ」
筆者の意識を変えたのは、大学1年の頃に出会った同世代の在日朝鮮人の学生の言葉だった。K-POPが流行する日本社会について、「歴史を見ないで楽しいところだけを見るのは文化の消費だ」と言われたのだ。その言葉をきっかけに、日本人である自分の歴史認識や、内なる差別意識と向き合うことになる。「韓国文化が好きだから、韓国に対する偏見や差別意識はない」と思っていたけれど、そもそも自分は、日本の加害の歴史について深く考えたことがなかったのだ。無知であるがゆえに、他人を傷つけてしまう加害性をもっていることを、そこで初めて悟った。
★「ラーゲリより愛を込めて」を観てからずっと頭の中で「愛しのクレメンタイン」が流れ続けています。最初の場面から英語の「Oh my darling, Clementine」を山本(二宮和也)が口づさみます。あれ!?「荒野の決闘」って戦前? って思ってしまいましたが、違いますね。クレメンタインの替え歌の「雪山賛歌」が昭和の初めには歌われていたので、大正時代には原曲を大学生たちは歌っていたということです。
『雪山讃歌』(ゆきやまさんか)は、ダークダックスが1959年6月にリリースした雪山ソング・山の歌。NHK「みんなのうた」で1961年12月に初回放送された。
メロディの原曲は、19世紀アメリカのフォークバラード『いとしのクレメンタイン Oh My Darling, Clementine』。
歌詞は、京都帝國大学山岳部の西堀榮三郎らが雪山ソングとして替え歌したもの。
1926年(大正15年)1月、西堀は山岳部で群馬県嬬恋村(つまごいむら)の鹿沢温泉(かざわおんせん)を訪れた。スキー場「鹿沢スノーエリア」がある場所。
しかし大雪で足留めされてしまい、何もすることがなくなってしまった。退屈を紛らわせるため、仲間たちと『いとしのクレメンタイン Oh My Darling, Clementine』を替え歌して山の歌を作った。これが今日知られる『雪山讃歌』の原形となっている。
鹿沢温泉には後に歌碑が建立され、嬬恋村では正午を告げる防災無線のチャイムに『雪山讃歌』のメロディが使用されている。
スキー場がある長野県白馬駅にJR東日本の特急「あずさ」号が到着する際の車内メロディにも使われていた。
歌詞(ダークダックス版)
『雪山讃歌』は歌集によって歌詞が一部異なるが、ここではダークダックス版『雪山讃歌』の歌詞を次のとおり引用し、その意味・内容について簡単に補足してみたい。
雪よ岩よ われらが宿り
おれたちゃ町には 住めないからに
おれたちゃ町には 住めないからにテントの中でも 月見はできる
雨が降ったら ぬれればいいさ
雨が降ったら ぬれればいいさシールはずして パイプの煙
輝く尾根に 春風そよぐ
輝く尾根に 春風そよぐ荒れて狂うは 吹雪か雪崩(なだれ)
俺達ゃそんなもの 恐れはせぬぞ
俺達ゃそんなもの 恐れはせぬぞ朝日に輝く 新雪踏んで
今日も行こうよ あの嶺越えて
今日も行こうよ あの嶺越えて山よさよなら ごきげんよろしゅう
また来る時にも 笑っておくれ
また来る時にも 笑っておくれ
「住めないからに」の「からに」は、理由を表す「~だから、~ので」の意味。京大の学生が考えた歌詞ということもあり、「~やさかいに」のような京都弁の影響が見受けられる。
「シールはずして パイプの煙」の「シール」とは、ステッカーなどのシールではなく、アザラシ(英語でseal)の皮のこと。
☆作詞は「タロ・ジロ」南極観測隊『雪山讃歌』作詞者・西堀 栄三郎は、第一次南極観測隊(1958年)の越冬隊長を務めたことでも知られる。
第一次南極観測隊といえば、同行した樺太犬の兄弟犬「タロとジロ(タロウとジロウ)」が登場する映画「南極物語」が有名。
『雪山讃歌』作詞者の西堀氏は、まさにこのタロとジロと共に南極へ渡った観測隊の越冬隊長だったのだ。西堀氏はこの時の体験を著書「南極越冬記」(岩波新書)に記しており、同著は半世紀を越え重版されている。
★南極に置いて行かれたタロウ、ジロウの樺太犬が有名ですが、「ラーゲリ」にもクロという犬が登場します。このエピソードはフィクションだろうと思っていたら、実話だそうです。これには驚きました。夫が山仲間の方に映画を薦めたら「二人で行って一年分泣いてきました」とメールが。私はヨーガ仲間の小中同窓生の一人に「I先生を思い出す映画」と話しました。