原田マハ著「リーチ先生」(小石原焼と小鹿田焼)

◎今日は阪神淡路大震災から28年。朝、黄色いハンカチを玄関扉のドアノブに掛けました。午前中、班長さんが安全確認に回ります。記憶の更新。あの日は忘れられない。

◎先週、夫が山仲間(暮れに我が家で鍋パーティ忘年会をやった3人組)と志賀高原のスキー教室に参加。定番のお土産を、いつもなら友だちと.なんですが、コロナの所為で昨日は夫と二人で入刀でした。シロップにつけたというリンゴがとても美味しい:

母の入居しているホームでは川柳を発表していた男性が退去されたので俳句の作品を発表する場がなくなったと母がガッカリしていましたので、私のブログで時々書いているので俳句は続けてと昨年からお願いしてありました。母から封書が届いて1月の俳句が書いてありました:

 

   よい目覚め 百一歳の お正月

 

   答えるに 言葉ためらう 初明り

 

   手のひらは 私の年輪 枯木立

 

◎暮れに原田マハ著「リーチ先生」を読み始めていました。あの陶芸家のバーナード・リーチについて書かれた本です。小説なんですが、読み進んでいくうちにバーナード・リーチと日本の陶芸家や白樺派の面々が登場、その内、これは小説というよりリーチの伝記なのか・・・と。日本各地で作られている陶器に「用の美」を見出した柳宗悦。登り窯での作陶の芸術運動が、日本と英国で根付く過程を描いたドキュメンタリ―のようでした。

が、解説を読んでビックリ。物語の案内役でリーチの活動に寄り添うように就いていた沖亀之助も息子の高市も実在しないのだと知って、小説家の頭ってどうなってるの!?とびっくりしました。その解説の中からバーナード・リーチについて:

Leach, Bernard(1887 ~1979 ) イギリス人。生後間もなく母と死別し、日本に住む祖父母に育てられ、幼少期は京都や彦根に住む。その後ロンドンの美術学校で学び、渡英中の高村光太郎を知り、ラフカディオ・ハーンを読んで日本への関心を深くした。1909年に来日。富本憲吉と親しみ、六世尾形乾山(けんざん)に入門、白樺派の文学に触れ柳宗悦むねよし)と交友、濱田庄司を知った。濱田と共にイギリスに帰り、コーンウォール半島西端の港町セント・アイヴスに窯を造り、ここに滞在して陶芸を究めた。その後も度々来日し、日英両国の芸術の交流・発展に多大な功績を残した巨匠であるとこれは人名辞典で補った知識だが・・・

小説の出だしは1954年(昭和29年)4月、沖高市(こういち)の住む小鹿田(おんた)にリーチ先生が濱田庄司河井寛次郎を伴ってやってくる。それに先立って戦前には柳宗悦がやってきて、近くの小石原と小鹿田の窯元からたくさんの陶器を持ち帰ったという。お茶の稽古で小鹿田焼も小石原焼のお茶碗も扱ったはず。あ~、あの.ツルっとした肌に縦筋の模様が入った一寸モダンな感じのするお茶碗だった。

お稽古に使った小石原焼のお茶碗の写真がありました。

小石原焼きと小鹿田焼Wikipedia で:

小石原焼

小石原焼(こいしわらやき)は、福岡県朝倉郡東峰村にて焼かれる陶器。主に生活雑器が焼かれる。

概要

江戸時代前期の1662年寛文2年)に、福岡藩3代藩主・黒田光之肥前国伊万里から陶工を招いて窯場を開いたのが始まりである]1669年(寛文9年)から同地で茶陶を手がけていた高取焼との交流により発展し、陶器が作られるようになった

器をろくろで回しながら、刃先やハケなどを使い規則的に入れる独特の幾何学的模様が特徴である[1]。その技法には化粧土を刷毛で塗る刷毛目、工具による削り目が特徴の飛び鉋[3]、櫛描き、指描き、流し掛け、打ち掛けなどがある

柳宗悦によって提唱された民芸運動の中で小鹿田焼が脚光を浴びた後、そのルーツである小石原も注目されるようになり、1954年昭和29年)、柳やバーナード・リーチらが小石原を訪れ、「用の美の極致である」と絶賛したことで全国的に知られるようになった1958年(昭和33年)ブリュッセルで開かれた万国博覧会日本館第3部出品でのグランプリ受賞、1961年昭和36年)の日本工芸館小石原分館(現在の小石原工芸館)の設立によってさらなる発展を遂げ、1975年(昭和50年)には陶磁器では日本初となる伝統的工芸品に指定された

2020年(令和2年)時点、44軒の窯元がある。このうち9軒の窯元と東峰村商工会が2008年、「小石原ポタリー」という食器のブランドを始めた(ポタリーは陶器を意味する英語)。サイズや形を規格化したうえで厳しく検品して品質を管理し、模様は窯元間で競作する。(右側が小石原焼)

小石原焼 - 歴史

小鹿田焼の大皿。「飛びカンナ」と呼ばれる柔軟性のある金属製の薄いヘラで付ける削り文様が小鹿田焼の特徴の一つである。

小鹿田焼(おんたやき)は、大分県日田市の山あいに位置する小鹿田皿山地区(日田市源栄町皿山(もとえまちさらやま))で焼かれる陶器である。現在も機械を使わず手作りが続けられている。その陶芸技法が1995年平成7年)に国の重要無形文化財に指定され、2008年(平成20年)3月には地区全体(約14ヘクタール)が「小鹿田焼の里」の名称で、池ノ鶴地区の棚田とともに重要文化的景観として選定されている。地元には市立の小鹿田焼陶芸陶芸館がある