◎降り続いた雨がやっと上がりました。能登の珠洲市、大きな地震の後の大雨が本当にお気の毒です。二年程揺れ続けているという珠洲。子どもがトラックの音に怯えるというお母さんのお話に思い出しました。私も1995年の阪神淡路大震災の時ゴォーというような、巨大トラックが迫ってくる音にいつも地震を思い出して身体がこわばっていました。2年ぐらいはトラックの音に反応し続けていました。地鳴りの音が反射的に身体の反応を生むという感じ。怖いだろうな~と思ってしまいました。
🔲イギリスでは、女王様から王様に。エリザベス女王が長命だったのでチャールズ国王は高齢での引継ぎで在位もそんなに長くはありませんよね。君主制に対する支持もいつまで続くか、前途多難な戴冠式でした:内田樹さんがリツイートしました
🔲荻原ひろ子さん「無保険者があふれ、個人情報がダダ漏れになるなどということは、あってはならない未来です。そうした悪夢のような未来を子供たちに残さないためにも、拙速な「マイナ保険証」の義務化、「健康保険証」の廃止は、踏みとどまるべきでしょう」:
🔲同じく荻原ひろ子さん「国民負担率47.5%は江戸時代の年貢と同じ重税」だと:
🔲「血を流す覚悟」なんて、そんな覚悟をしなくて済むようにするのが政治:
🔲この馳石川県知事の「暴挙」はもっと取り上げられるべきだと思います:
◆県知事が報道に圧力をかけて言いなりにしようとする動きには屈しないでキチンと対応しなければ、なし崩しに報道の自由は侵され続ける:
—石川県の馳浩知事は、地元テレビ局の石川テレビ放送(金沢市、フジテレビ系列)が製作したドキュメンタリー映画「裸のムラ」に使用された自身や県職員の映像の肖像権を巡って同社と対立し、定例記者会見への同社社長の出席などを求めている。肖像権の侵害があったとしても、知事の公共的な職務である会見を開かない理由にはならない。過去に権利侵害があったと考えるなら、弁護士を代理人として立てて、司法判断を求めるべきだ。損害賠償請求や映画のソフト化の差し止めを求めるなどの手法もある。将来的に県職員の肖像権の侵害を防ぎたいのなら、議会内や県施設内での撮影ルールを明確化すれば良い。個人の肖像権を守るために尽くせる手続きは十分にあり、知事の会見を利用することは筋違いだ。石川県知事の会見拒否問題 馳浩知事は2023年1月の定例記者会見で、石川テレビ放送が製作したドキュメンタリー映画「裸のムラ」(22年公開)について、自身や県職員の映像が使用されたことを「肖像権の侵害に当たる」と主張し、定例会見の開催条件として同社の社長が会見に出て議論することを要求。石川テレビは映像の使用は「報道の一環」で許諾の必要はなく、社長は会見に出ないとの見解を示した。2月の定例会見は開かれたが、3月は取りやめになった。馳知事は4月4日、定例会見とは別の新年度会見で「社長の出席を踏まえて(定例会見を)開催したいということだ」と述べた。さらに同14日に急きょ会見し、定例会見とは別の形で随時会見を開くと表明したが、定例会見の開催条件は変えていない。馳知事は22年3月の知事選で定例会見開催を公約に掲げ、就任以来毎月1回開いてきた。
—知事は裁判を起こすつもりはなく、倫理的な問題を問いたいとしている。知事の職務権限を使って自分の考える倫理を強制するのは、思想・良心の自由や表現の自由の侵害になる可能性が出てくる。肖像権侵害を理由にした会見拒否以上に倫理の強制は問題だ。もちろん一石を投じるために発言するだけなら問題はないが、社長出席を定例会見実施条件にして圧力をかけつつ、ガイドライン策定、映像検証を求めたりするのでは、権力の乱用と言われても仕方がない。定例会見を、報道倫理の強制の手段にしてよいと定めた憲法・法律の根拠はない。—肖像権を巡る対立から、定例会見を開かない知事の姿勢については。県主催の会見は知事の職務権限で開かれる。憲法や地方自治法に開催義務が明示されているわけではないが、会見を開かない判断には、公共的な理由が必要になる。そもそも今回、知事が最も気になっているのは映画の内容ではないか。ただ、映画のシーンの削除を強制しようとすると、憲法で禁じられている表現の自由の制限につながるので、肖像権侵害を口実に定例会見開催の権限を使うという構造になっているように見える。—気に入らない報道をするメディアを名指しして会見を開かないことは、批判を自粛する空気感をつくり出すのではないか。特定メディアへの圧力であり、表現の自由や差別されない権利が問題になってくる。映画の表現の内容に着目して、職務権限を使って、制裁を科したり、圧迫を加えたりするのは、表現行為に相当な萎縮効果が生じるので控えるべきだ。知事の定例会見を行う権限行使としては不適切で、目的外利用にあたるのではないか。